タイトル | : Re^6: (訂正)ヒジャブを被ること |
投稿日 | : 2011/07/28(Thu) 00:16 |
投稿者 | : おばさん <ummu_baraka@yahoo.co.jp> |
アッサラームアライクム
少しいいでしょうか?
信者の敬神の念を示す三つのものがある。
それは「アッラーへ信頼・現実に対する満足・不足に対する忍耐である」(金曜日のフトゥバより)
神学者でもあるガザーリーは、理性的判断の中で信仰に苦悩した末、その救いは「至高なる神が心に投入した光によって実現した。…(知識の)開示はそのような光から求めなければならない。その光は、時として神の寛大さの中から自由に流れ出てくるものであり、人は心してそれを待ち受けなければならない」と語っています。
預言者ムハンマドも言っておられるように「イスラームは行うに易しい教えであるから、掟を守るのにあまり厳格にならぬよう。さもなければ、人は耐えられない。それで正しい方向を目指し、完全に近付くよう勤め、よい報いを望み、朝の祈り、夕の祈り、そしていくばくかの夜の祈りに助けを求めよ。」(サヒーフ・ブハーリー)
いろいろ疑問や不安がお有りと思いますが…日々の祈りの中で、神に問いかけていれば、きっとその答えがあなたに与えられることでしょう。
信仰告白した者は皆ムスリム・ムスリマですが、しかしそのすべてが信仰者であるとはいえないと、クルアーンにもあります。
信仰を告白した者は、その信仰を体現して行かなければなりません。しかし、その者の真の信仰を問うのは神のみですから、他者がその人の信仰の有無を判断することはできません。できることがあるとすれば、その人のために祈ることでしょう。
このように、ハディースにあります。
「信仰とは、まことに不思議なものである。なぜなら、信仰者の全てに祝福がみられるからである。それらは、実際、信仰者以外にはだれにもみられることではない。たとえば、なにか喜ばしいことがあってアッラーに感謝すれば、そのことで良いことが生じ、また、困難があっても忍耐すれば、そのことで良いことが生ずるのである」。
与えられた中で、それぞれが自分のできることから始めたらいいのだと、私は思います。
基本的には皆が助け合って(相互扶助はイスラームの精神でもあります)支え合って…これからの日本におけるイスラームのために、皆の力を結集して行きましょう
追記:夫婦間のことに他者の口出しは無用でしょう。
夫婦のことに関しては、二人(夫婦)にしか分からない繊細な感情が含まれます…因みに、夫に従うことは妻の美徳とされています。(日本にも同じようなことが言われていると思いますが)