タイトル | : Re^4: (訂正)ヒジャブを被ること |
投稿日 | : 2011/07/08(Fri) 05:42 |
投稿者 | : ユリ |
匿名1さんへ。
> 男性と女性とは本質的に違いがあるのはどうお考えでしょうか。
> 男性は女性よりも本能的に性に対して弱いです。これは事実であり、どの国の男性でも同じです。現に日本にだって、キャバクラや風俗店は男性が行くものばかりですから。
身体の構造が違うので、男女の性差があること認めざるを得えないです。
しかし納得いかないのは、私たち女性が男性のその「性の弱さ」に従わなければなりませんか?
それに、匿名1さんは、「その性の弱さ」故に風俗店があることや、レイプを認めるのですか?
> 男性と女性は根本的に性質が違って作られています。その創造者である神がそれをもちろん知った上で女性は身を隠しなさい、男性は女性を見ないように目線を下げなさい、とコーランにあります。それを不必要だとおっしゃるのであれば、貴女は神の教えに反することになるのですから、貴女はモスリムといえるでしょうか?
被ることを拒否するだけで、ムスリムではないと判断されるのですか?
> 男性が理性を失う努力をしているかどうか、毎日男性は個人差はあれど戦っていると思いますよ。ノンモスリムでもモスリムでも。でないと、今頃社会は大変です。イスラムではまだ妻としか交わってはいけないという規制があるだけ乱交はないですが、ノンモスリムの社会ではそれはあたりまえにあります。それは男性だけでなく、女性も規制がないので理性を失っている証拠ではないでしょうか。
イスラム圏内の国で、性の乱交がないと言い切れませんよ。
サウジアラビアなどでは、使用人の女性が主人に性的な乱暴をされる事件があるじゃないですか。
> 私はモスリムになってから最初の頃は抵抗があったので被れませんでしたが、必要性を肌で感じてから外出時は外すことができなくなりました。確かに、暑い日はするのが嫌だし、人にじろじろ見られるのも嫌です。逆に、していたから道を歩いているモスリムがアッサラムアレイクムと、声をかけてくれたり思いがけない同胞にであえたりします。これはバラカの一つでもあると思います。神は兄弟の心を近づける、と言っています。でも、何故被るのか、と聞かれると男性の理性がどうのこうのという前に、やはり神の教えを疑問無しで忠実に守りたいという気持ちでしています。
最初は被らなかったけれど、「必要性を感じて被るようになった」というのは、もう少し詳しく教えてください。
どんな必要性を感じたのでしょうか?
>
> 被らない人は神の教えに背く分、毎日アウラをさらけ出すたびに罪を犯している、ということになりますがその方が良いのであればそうされれば良いと思いと思いますし、それが嫌なら隠す、貴女次第、ということですので、貴女自身の中の葛藤であり、男性がどうの、というのは責任転換のような気がします。
私が何から責任転嫁してるということですか?