タイトル | : Re^6: (訂正)ヒジャブを被ること |
投稿日 | : 2011/07/27(Wed) 00:31 |
投稿者 | : おばさん <ummu_baraka@yahoo.co.jp> |
ワアライクムサラーム
ご質問の件につきましては、管理人さんからお答えいただいた通りです。
これはクルアーンに基づく法的解釈の範疇にあり、容易に(勝手に)判断されるべきものではないので…お任せしました。
個人的には、サヒーフムスリム(第3巻、p.659)の中にあるハディースがとても興味深いものに思えます。
それは預言者の妻〜アーイシャに対する中傷について〜の中に記されています。
「預言者の妻、アーイシャは語った。…(略)…、私は、み使いと共に出発した。それは、ヴェール(ヒジャーブ)に関する啓示が下された頃のことであった。…(略)…、そのような状態で待つうちに、眠気におそわれ、私は眠ってしまった。…(略)…。彼は、女性がヴェールを付けるよう命じられる以前に、私を見かけたことがあり、私が誰であるか、すぐに気づいたようであった。私は、彼の「私たちは、アッラーのためにあり、アッラーの元に帰りゆく者であります」と唱える声で起き上がり、着ていた外衣で顔を隠した。(以下省略)」
私たちはイスラーム共同体(ウンマ)の一員です。預言者の家族の女性に下された啓示は、当然ウンマの女性たちにとっても同様ですから、”女性たちを守りなさい”という啓示を喜んで受け入れないはずはありません。
また『アラビア研究論叢ー民族と文化』の中にはこのような内容のものがあります。
―歴史家アッラーズィ(888-955)やタバリー(839-923)は、「アラブの女性は自由の女性であろうと、女奴隷であろうとベールを付けずに外出した。イスラームが起こって始めて、女性は長い衣服を纏い、頭を布で被うようになった」と言っている。―
というものです。
ヒジャーブの歴史は、イスラームの歴史でもあります。
文化というものが、”その社会で受け継がれる生活・行動のあり方”であるならば、イスラーム社会で育まれた文化は、明らかにその根底に宗教としてのイスラームがあることは紛れもない事実です。
イスラームは人が生きるための指針を示し、正しい道への導きであるのですから…
本当にヒジャーブは、私たちに多くのことを提示してくれていると思います。
これからも、少しづつ皆で理解を深めあっていきましょう。