タイトル | : Re^5: (訂正)ヒジャブを被ること |
投稿日 | : 2011/07/21(Thu) 16:27 |
投稿者 | : ハナ |
ユリ様、おばさん様
お返事ありがとうございます。
おふたりの誠意あるお返事に、こちらも誠意をもって。
おばさん様がヒジャーブをウェジペとおっしゃるのなら、神へ示すべき態度として(つまり神から論じる視点であるとして)、こちらも何も申し上げることはないでしょう。
しかし「文化ではなく宗教」という御言葉は本当に成立するのでしょうかというところなのです。
ここは私自身もさらに考えていかなければならない点なのですが…。
神はひとつであって、私にとってもよかった。
しかしひとつの神とのあいだが、本当にこのようでしかあることができなかったのだろうか。
乾燥地イスラム文化を直に自分の目で見て思う時、私には複雑な思いが心をよぎるのです。
日本人の心で、コラーンを解し、美しく生きている方々がいることを、私も否定はしません。
でも、私は、
イスラムは、周りの人と助け合うなかで、
人々とのつきあいを調停していく教えであるとも思うのです。
無理なことをして、孤立し、自分も人をも傷つけるものではないと思うのです。
そうであれば、私のような視点もまた、でてきてもおかしくはないものであると、考えます。
もう少し、勉強する時間をいただけたらとも思います。
おふたりのお答えに感謝します。