タイトル | : Re^7: (訂正)ヒジャブを被ること |
投稿日 | : 2011/08/02(Tue) 03:35 |
投稿者 | : maryam |
ユリさん
もちろん、イスラームはそんなものではありません。
でも、残念だけど、イスラームでないものがイスラームとしてまかり通っていること(匿名さんの事例もそのひとつ)もたくさんありすぎて、本当に悲しく思います。(ぜんぜん逆の夫婦もまたたくさん知っています。)
これは、もちろん、すべては、イスラームの本当の教えの知識と実践が足りないことが原因です。
ですが、DV家庭でもよく起きているように、その渦中にある被害者からは、はたから見て簡単に思うようには決して行動を起こせないものです。当事者になってみないと分からないものの見方、感じ方だと思います。
私は、こういう問題の解決策は、法的手段によるしかないと思っています。預言者SAW存命の時代やカリフ制の時代にもこういう男性たちはたくさん居たと思うのです。だけど、女性が訴えて出られる場所があった。そして、女性の主張が認められたときに、男性側に圧力をかけられる権威的存在があった。だから、こういう問題を解決できたのだと思うのです。そして、究極的には、それはイスラーム法によるものだと思っています。今の世界には欠けているものです。
話は元に戻って、ヒジャーブは何故必要なのか?ということですが、それは、クルアーンと預言者SAWの言行録によるものです。
具体的に、顔と手以外を覆うと主張する人たちは、
妻の親族の女性が軽装で預言者さまのいる部屋に入ってきたとき、預言者さまは手で顔と手を指して、こことここ以外は覆いなさいといったことを話されたことを元にしていたと思います。(ごめんなさい、ちゃんと調べます、インシャーアッラー。)
私たちが今ラマダーンで断食をするのは何故でしょうか?
アッラーにそう命じられたからです。礼拝もそう、食事もそう。
イスラームとは、アッラーに聴き従い、平安になることです。
そして、ムスリムとは、アッラーに聴き従い、平安になる者です。
今ヒジャーブに抵抗を覚えるならば、今はそれを横においておいてぜんぜんかまわないと思います。
それより優先順位の高い事項から、ひとつひとつ、確実に根を下ろして実践していってみて下さい。
人間いつ命をとられるか分からない身、
生きている時間を立ち往生することに使って無為にせず、
今は、イスラームの中で、今のご自分が必要としていて、さらに納得のいくことを一つ一つ吸収し、実践されてください。
そうやって一歩一歩進んでいくうちに、ふと、
ヒジャーブの意味が、分かるようになってくると思います。インシャーアッラー。
よいラマダーンをお過ごしください。