タイトル | : Re^2: (訂正)ヒジャブを被ること |
投稿日 | : 2011/07/20(Wed) 18:21 |
投稿者 | : ハナ |
男性による女性の対象化を永遠不変のものとして語ることは何の前進にもつながらない。
妻が男と話をすることに耐えられないのも文化、女性をモノ化(フィギュア、水着姿等)することしかできず、人間(男?)扱いできないのも文化。そして2つは違うものであり、双方とも男の問題。
ヒジャブを被ることは、“私は文化的な男女の区別を尊重する”ことにつながるけれども、男のアホ理性を抑制することなどできない。頑張れ男。女の問題に非ず。
基本的に皆さまの「宗教的」熱心さには心を打たれますが、
不毛ですね。
日本人としてがんばることしか日本人にはできないと私は思います。
私の結論として、文化としてのヒジャブ、被る必要性を私は認めません(私は女性)。これに対する反論は、「神」以外にないはずです。ゆえに「神」とは?…、そこを議論する余地がないのであれば、被ればいいのだと思います。