タイトル | : (訂正)ヒジャブを被ること |
投稿日 | : 2011/07/04(Mon) 20:45 |
投稿者 | : ユリ |
私は、ヒジャブを被って生活はしていません。
一応、ヒジャブを被る経緯や必要性は知っているつもりでいます。
しかしながら、改めて「ヒジャブをどうしても被るべきなのか」という疑問を持ちました。
宗教は、絶対に変わってはいけないことと、時代の流れに応じて(または、文化に応じて)変えるべきところの二面性を持っているのではないかと考えます。イスラム教は、教えの原理を貫いているからこそ支持されここまで広まったのだろうと思うし、私自身もそういう一貫性があるところに惹かれて信仰告白しました。しかし、イスラム教に足りないことは、時代の流れに応じていないというところです。
私たち人間の考えや思想は、100年前と現在でさえ大きく違うのです。男女平等という考えもこの1世紀の間に急速に広まったものです。
ところで、先日イランでは、女性にブルカ、ヒジャブの着用を徹底する警察の取り締まりが始まりました。しかし、女性たちは、被らなかったり、前髪をずいぶんと大きく出して被っているようです。
私は、良いか悪いかという話はしていません。
ただ、「ヒジャブはどうしても被るべきなのか」ということなのです。柔軟な考えをイスラム教は寛容していないのでしょうか。ヒジャブを被ることは、男性の目から守ることだと言うのは、疑問です。
また、男性こそ、その弱い部分を理解し、自分で自分を守れと言いたいところです。結局のところ、女性を犯すのは男性からですよね。それなのに、わたしたち女性が気を使わなければならないのですか?
極度な肌の露出は、下品なので控えるべきですが、少しの肌の露出くらいなぜ許されないのでしょう。
「ヒジャブはどうしても被るべきなのか」みなさんも考えてみてください。男性の意見も聞きたいと思います。