タイトル | : Re^8: (訂正)ヒジャブを被ること |
投稿日 | : 2011/07/29(Fri) 22:48 |
投稿者 | : おばさん <ummu_baraka@yahoo.co.jp> |
アッサラームアライクム
また少しお時間下さい。
”美徳”とは、神に嘉される善を行うことを意味します。
”善”とはつまり、神からの”しなさい”という命令を持って、それが報奨の対象となるものを意味します。
夫に従うことが美徳とされる場合は、前提として「夫が間違いを犯しても」という意味合いは含まれていません。
イスラームにおいては、”してはならない”という命令事項が罰の対象と為り得ます。
間違いを犯すことは誰にでもあることなので(殺人や大罪とされるもの以外は)悔悟して許しを請い、それらの悪を善で駆逐することは可能とされています。
夫の厳しい妻への態度は、基本的に罰の対象となる過ちには含まれないと思います。(棄教の強要、暴力や生命の危機に陥らせること以外は)
夫には、妻や子を正しく導かなければならないという責任が課せられているので、妻以上に信仰の体現において厳しい状況にあることは充分理解できます。
その一生懸命さが、厳しさに現れてくることもまた、理解できることではないでしょうか。
お話しを伺う限り、匿名さんが、ご主人の厳しさに一生懸命付いて行こうとしておられる姿は、かえって称賛に値します…私はそう思います。
匿名さんが何も考えずにただ従っているだけ―そのようには見受けられませんが…それを積極的に自ら受け入れておられるように拝見しました。
夫婦がどのような形であるべきかは、100の夫婦がいれば100のパターンがあるはずです。
日本でも普通に「他の家庭の問題に口を挟むな」と言うではありませんか?
少しヒジャーブから外れてしまった、このお話しに関してはもう終わりにしませんか。
また、ヒジャーブに関しての法的根拠については、管理人さんがNo.3862で述べられているので確認してください。
ヒジャーブに関して、他者の意見を参考にしようとされることは問題ないと思いますが、賛否を問うことは問題外ではないでしょうか。
『天にあり、地にある、凡てのものはアッラーの有である。あなた方自身の中にあるものを、現わしてもまた隠しても、アッラーはそれとあなたがたを清算しておられる。アッラーは、おぼしめしの者を赦し、またおぼしめしの者を罰される。アッラーは凡てのことに全能であられる』(クルアーン第2章284節)
『アッラーは誰にもその能力以上のものを負わせられない。その稼いだもので自分を益し、その稼いだもので自分を損なう。』(クルアーン第2章286節)
仲良くしましょう!ムスリム・ムスリマは皆兄弟姉妹ですから…
ユリさんのこれからの日本におけるイスラームのあり方についてのお考えには、私も賛同します。
お互いの間に壁を造ってしまうのではなく、理解し合って共存していくことは可能だと思います。
イスラームはいつの時代もそのようにあったはずですから…
聖なるラマダーンの月が始まります。
私たちの信仰の実践において、その行いを易くしてください
私たちを正しい道に導き、神の僕とさせてください
アーミーン