天正18年 | 1590 | 住友業祖(蘇我理右衛門)京都にて銅製錬・銅細工開業 |
慶長年間 | 1600頃 | 南蛮吹(銀銅吹分け)開業 |
寛永年間 | 1636〜43 | 立川銅山(西条藩領)開坑 |
延宝8年 | 1680 | 備中吉岡銅山稼行開始 |
貞享4年 | 1687 | 宇摩郡三嶋村・祇太夫が別子銅山(幕領)を試掘 |
元禄3年 | 1690 | 備中吉岡銅山住友家支配人・田向重右衛門が別子銅山見分 |
元禄4年 | 1691 | 別子銅山開坑許可、採掘開始、製錬開始 |
元禄7年 | 1694 | 別子大火災 |
元禄8年 | 1695 | 大和間符(別子)と大黒間符(立川)が抜き合い境界紛争発生 |
元禄10年 | 1697 | 境界紛争、幕府が分水嶺を境界とすることで裁決 |
元禄11年 | 1698 | 別子銅山産銅量、明治以前の最高を記録(1.521t) |
元禄15年 | 1702 | 住友家4代家長・友芳、幕府に産銅増加策を上申
立川中宿、新居浜口屋(浜宿)を設置 |
享保6年 | 1721 | 代官石原新十郎支配下の伊予幕領が松山藩御預り所となる |
寛延2年 | 1749 | 泉屋が立川銅山を手代名義で請け負う |
宝暦6年 | 1756 | 歓東坑大湧水 |
宝暦12年 | 1762 | 立川銅山請負名義を住友家に変更(大別子の実現) |
安永5年 | 1776 | 寛永間符(疎水坑)完成 |
天明5年 | 1785 | 別子本鋪大湧水 |
寛政2年 | 1790 | 別子開坑100年 |
寛政4年 | 1792 | 小足谷疎水道の開さく着手(1回目) |
文化元年 | 1804 | 小足谷疎水道の開さく一時中止(1回目) |
文政8年 | 1825 | 別子本鋪大湧水 |
天保11年 | 1840 | 別子開坑150年 |
天保14年 | 1843 | 別子銅山旧山願、幕府却下(1回目) |
弘化2年 | 1845 | 幕府隠密が別子銅山に来山、実情調査 |
嘉永4年 | 1851 | 新居郡中村上原を開発 |
嘉永6年 | 1853 | 惣開新田(新居浜浦塩浜)を開拓 |
安政元年 | 1854 | 地震により坑内大湧水 |
安政2年 | 1855 | 別子銅山休山願、幕府却下(2回目) |
文久元年 | 1861 | 小足谷疎水道の開さく(2回目)、失敗 |
慶応元年 | 1865 | 広瀬宰平、別子支配人となる |
慶応2年 | 1866 | 幕府が長崎御用銅廃止通達
幕府が銅山買請米精度停止通達(陳情により翌年復活) |
慶応3年 | 1867 | 飯米削減による別子銅山稼人紛争発生 |
慶応4年 | 1868 | 官軍による別子銅山一時封鎖
廣瀬宰平、住友による別子銅山稼業継続出願、新政府許可 立川精銅場完成 小足谷疎水道の開さく再開(3回目) |
明治2年 | 1869 | 立川精銅場操業開始(山元一貫操業が決まる)
黒色火薬の採鉱実験成功 |
明治3年 | 1870 | 黒色火薬使用開始
小足谷酒造場設置 |
明治5年 | 1872 | 蒸気船「白水丸」購入 大阪−新居浜間を就航 |
明治6年 | 1873 | 市立足谷小学校開校(別子山村目出度町)
フランス人鉱山技師・コワニェ別子銅山来山 小足谷酒造場で醸造成功 |
明治7年 | 1874 | フランス人鉱山技師・ラロックを雇用し、近代化に着手 |
明治8年 | 1875 | ラロック著「別子銅山目論見書」完成、ラロック解雇 |
明治9年 | 1876 | 大阪から立川へ製錬作業の移転完了
東延斜坑の開さく着手 広瀬宰平、別子近代化起業方針を示す 牛車道(目出度町〜新居浜)の開さく着手、のち一時中断 |
明治10年 | 1877 | 新居浜御代島築港着手 |
明治11年 | 1878 | 牛車道(目出度町〜新居浜)の開さく再開
小足谷疎水道の開さく一時中止(3回目) 弟地坑(のち筏津坑)開坑 弟地沈殿銅工場の建設着手 |
明治12年 | 1879 | 高橋洋式精錬所完成
新居浜御代島築港完成 |
明治13年 | 1880 | 別子山吹方に湿式収銅所完成
別子銅山山林方を設置(住友林業の前身) ダイナマイト使用実験成功 弟地沈殿銅工場完成 牛車道(目出度町〜新居浜)完成 |
明治15年 | 1882 | 第一通洞の開さく着手
広瀬宰平、惣開精錬所の建設を政府に出願 ダイナマイトをわが国の鉱山で初めて採用(第一通洞) |
明治16年 | 1883 | 住友私立別子病院開業(別子山村目出度町)
惣開精錬所の建設着手 小足谷疎水道の開さく再開(4回目) |
明治17年 | 1884 | 小足谷疎水貫通
私立足谷小学校を別子山村へ寄附(村立となる) |
明治18年 | 1885 | 弟地収銅所の建設着手
東延事業所の堰堤竣工 |
明治19年 | 1886 | 第一通洞貫通(旧代々坑口〜角石原)
山根精錬所の建設着手 小足谷疎水道の拡幅工事完成 角石原焼鉱場完成 弟地収銅所完成 私立小足谷小学校開校(別子山村小足谷) |
明治20年 | 1887 | 角石原選鉱場完成 |
明治21年 | 1888 | 山根精錬所完成、操業開始
惣開精錬所完成、操業開始 別子銅山工作方を設置(住友重機械工業の前身) |
明治22年 | 1889 | 第二通洞の開さく着手(小足谷疎水道〜寛永谷)
山根精錬所で硫酸製造開始 |
明治23年 | 1890 | 別子開坑200年
惣開に新居浜出店移転、惣開精錬所を合併して新居浜分店に 惣開精錬所を新居浜精錬所と改称 山根精錬所が塩化焙焼法による湿式収銅に着手 山根精錬所に製鉄係設置 |
明治24年 | 1891 | 複式高架索道完成(石ヶ山丈〜端出場)
立川精銅場の丁銅吹きを全廃し新居浜精錬所でKS銅製出 別子鉱山鉄道下部線(下部鉄道)の建設着手 電話線開通(別子〜立川) 第二通洞の開さくにシュラム式削岩機導入 |
明治25年 | 1892 | 別子鉱山鉄道上部線(上部鉄道)の建設着手
第二通洞の開さく中止(激しい湧水による) |
明治26年 | 1893 | 下部鉄道開通(端出場〜惣開)
上部鉄道開通(角石原〜石ヶ山丈) 牛車運搬廃止 煙害問題発生 |
明治27年 | 1894 | 第三通洞の開さく着手
山根精錬所休業 住友家総理人、広瀬宰平辞職 |
明治28年 | 1895 | 東延斜坑貫通(東延〜8番坑道準)
東平にペルトン水車設置(第三通洞開さく削岩機動力用) 山根精錬所廃止 四阪島購入 私立別子尋常高等小学校惣開分教場開校 |
明治29年 | 1896 | 高橋精錬所の拡充工事着手
新精錬所の候補地、四阪島に決定 |
明治30年 | 1897 | 四阪島精錬所の建設着手
単式高架索道完成(石ヶ山丈〜端出場) 端出場火力発電所完成 別子山村足谷小学校廃校 私立別子尋常高等小学校足谷分教室開校 |
明治31年 | 1898 | 単式高架索道運転開始、牛車、人車廃止
湿式収銅を流水沈殿を残し全廃 高橋精錬所の拡充工事完成 小足谷、東延、寛永に沈殿池完成 |
明治32年 | 1899 | 住友私設小足谷測候所開設
私設電話使用開始 別子大水害(死者513人、高橋精錬所など施設大破) 焼鉱作業を除き、新居浜精錬所の一貫製錬となる 私立住友病院を惣開に本院として移転 (目出度町の病院は出張所となる) |
明治33年 | 1900 | 惣開分教場が私立住友惣開尋常小学校として開校
新居浜精錬所の大煙突完成 角石原焼鉱場をストール式に改造 伊庭貞剛総理事就任 別子銅山開坑200年を記念し、皇居前に楠公銅像献納 |
明治34年 | 1901 | 私立別子尋常高等小学校の校名を私立住友別子尋常高等小学校に改称
私立住友四阪島尋常高等小学校開校(生徒35人) 新居浜(惣開)に住友病院新築 弟地坑(筏津坑)休坑 |
明治35年 | 1902 | 端出場火力発電所完成
第三通洞貫通(東平坑口〜東延斜坑底) |
明治36年 | 1903 | 第一通洞の照明を石油灯から電気灯に |
明治37年 | 1904 | 第一四阪丸進水(新居浜〜四阪島)
落シ水力発電所完成 東平第三変電所完成 新居浜精錬所の粗銅、精銅の生産終結、閉鎖 別子焼鉱場操業停止 角石原焼鉱場操業停止 四阪島精錬所完成 四阪島火力発電所完成 四阪島郵便局開局 総理事伊庭貞剛退職 |
明治38年 | 1905 | 四阪島精錬所の本格操業開始
角石原焼鉱場廃止 複式索道完成(東平〜黒石) 第三通洞に電車導入 東平選鉱場完成 東平収銅場完成 山根収銅所完成 坑水路完成(第三通洞〜東平〜端出場〜新居浜) 新居浜火力発電所完成 四阪島精錬所の煙害問題発生 四阪島日用品配給所開設 住友病院四阪島出張所開設 住友病院東平出張所開設 |
明治39年 | 1906 | 東延選鉱場廃止
私立東平尋常高等小学校開校(生徒21人) 飯場制度改革に着手 太平坑の開さく着手 四阪島に住友別邸(日暮亭)完成 四阪島娯楽場設置 |
明治40年 | 1907 | 別子山中で暴動発生 |
明治41年 | 1908 | 東平郵便局開局
日浦通洞の開さく着手 |
明治42年 | 1909 | 別子産銅量が6,000tを超える |
明治43年 | 1910 | 第四通洞の開さく着手
四阪島精錬所の煙害に関し、第1回の賠償契約成立 |
明治44年 | 1911 | 日浦通洞貫通(東延斜坑底〜日浦)第三通洞と連絡
上部鉄道廃止 第一通洞の牛車運搬廃止 索道廃止(石ヶ山丈〜端出場) 角石原選鉱場廃止 大立坑の開さく着手 小足谷酒造場の醸造中止 |
明治45年 | 1912 | 端出場水力発電所完成
東平娯楽場設置 |
大正元年 | 1912 | 端出場水力発電所発電開始
自彊舎開設(別子山方) |
大正2年 | 1913 | 住友肥料製造所開設(住友化学工業の前身) |
大正3年 | 1914 | 四阪島精錬所の六本煙突完成
広瀬宰平没 |
大正4年 | 1915 | 大山積神社を目出度町から東平へ奉遷
大立坑が第四通洞に到達 第四通洞貫通(端出場坑口〜大立坑) |
大正5年 | 1916 | 採鉱本部を東延から東平に移転
東平浮遊選鉱試験工場完成 弟地坑(筏津坑)の探鉱再開 自彊舎を別子山村から東平に移転 蘭塔場の石碑を瑞応寺へ移設 |
大正6年 | 1917 | 弟地坑を筏津坑の名で探鉱再開
余慶坑開坑 私立住友惣開小学校鹿森分教場開校 住友病院端出場出張所開設 |
大正7年 | 1918 | 積善坑開坑 |
大正8年 | 1919 | 端出場仮手選鉱場完成
新居浜電錬(精銅)工場完成 |
大正9年 | 1920 | 住友予州親友会設立
東平粉鉱選鉱場(比重選鉱)完成 |
大正10年 | 1921 | 四阪島精錬所大改造着手 |
大正11年 | 1922 | 東平粒鉱選鉱場(比重選鉱)完成 |
大正12年 | 1923 | 全坑水を第四通洞から排水 |
大正13年 | 1924 | 四阪島精錬所の大煙突完成 |
大正14年 | 1925 | 新居浜浮遊選鉱場(新居浜選鉱場)完成、星越駅設置
坑内に蓄電池式機関車導入 端出場手選鉱場の建設着手 住友病院筏津診療所開設 |
大正15年 | 1926 | 東平比重選鉱設備を新居浜選鉱場に移転
自彊舎を東平から川口新田に移転 伊庭貞剛没 |
昭和2年 | 1927 | 端出場手選鉱場完成
鷲尾勘解治、最高責任者となり末期の経営を説く |
昭和3年 | 1928 | 大山積神社を東平から川口新田に奉遷 筏津手選鉱場完成 山根収銅所拡張 東平収銅所廃止 四阪島精錬所のペテルゼン式硫酸工事第1期工事着工 山根グラウンド完成 住友病院東平出張所を分院に 住友病院四阪島出張所を分院に |
昭和4年 | 1929 | 四阪島精錬所のペテルゼン式硫酸工事第1期工事完成
新居浜築港計画出願 別子鉱山鉄道を専用鉄道から地方鉄道に転換 |
昭和5年 | 1930 | 四阪島精錬所のペテルゼン式硫酸工事第2期工事完成
東平選鉱場廃止 採鉱本部を東平から端出場に移転 東延斜坑の使用中止 川口新田倶楽部完成 |
昭和6年 | 1931 | 昭和通り完成
住友病院山根分院開設 |
昭和7年 | 1932 | 四阪島精錬所のペテルゼン式硫酸工事第3期工事完成
東延斜坑廃止 |
昭和9年 | 1934 | 別子銅山の全鉱石を浮遊選鉱に |
昭和10年 | 1935 | 東平〜黒石(東黒索道)を短縮して東平〜端出場(東端索道とする)
索道完成(太平坑〜東平) 探鉱通洞の開さく着手 新立坑の開さく着手 筏津娯楽場設置 |
昭和11年 | 1936 | 別子鉱山鉄道新居浜港線開通(星越〜新居浜港)
住友別子病院新築工事完成 住友倶楽部、泉寿亭完成 ほぼ全面的に削岩機に切り替え、手堀りはほとんどなくなる |
昭和12年 | 1937 | 四阪島精錬所の中和工事第1期工事着工
住友倶楽部完成(住友5社共同施設) 泉寿亭完成(住友5社共同施設) |
昭和13年 | 1938 | 四阪島精錬所の中和工事第1期工事完成
駕籠電車運転開始(東平〜日浦)一般利用にも提供 |
昭和14年 | 1939 | 新居浜港完成
四阪島精錬所の中和工事第2期工事完成、排ガス完全処理に成功 四阪島精錬所の煙害問題が完全解決 |
昭和15年 | 1940 | 別子開坑250年
新立坑完成 |
昭和16年 | 1941 | 私立住友惣開小学校を新居浜市に移管、鹿森分教場は東平小学校の分教場となる。 |
昭和17年 | 1942 | 別子鉱山鉄道国鉄新居浜駅連絡線開通(滝の宮〜新居浜駅) |
昭和18年 | 1943 | 探鉱通洞貫通(大立坑〜筏津坑下部)第四通洞と連絡 |
昭和21年 | 1946 | 別子復興運動始まる |
昭和22年 | 1947 | 学制改革により、別子学園東平小・中学校、別子学園四阪島小・中学校に改称 |
昭和23年 | 1948 | 別子銅山下部開発起業着手 |
昭和25年 | 1950 | 別子鉱山鉄道の電化完成
別子百貨店開設 |
昭和26年 | 1951 | 別子百貨店が別子大丸と改称 |
昭和29年 | 1954 | 別子銅山上部開発・中部開発起業着手 |
昭和30年 | 1955 | 別子鉱山鉄道が地方鉄道から専用鉄道に再転換
別子銅山下部開発起業完成 新居浜電錬工場を新居浜精銅工場と改称 |
昭和31年 | 1956 | 別子銅山上部開発・中部開発起業完成 |
昭和32年 | 1957 | 索道廃止(太平坑〜東平) |
昭和33年 | 1958 | 別子銅山筏津下部開発起業着手 |
昭和35年 | 1960 | 大斜坑の開さく着手 |
昭和36年 | 1961 | 別子学園(東平・四阪島小・中学校)公立に移管
四阪島精錬所のペテルゼン式硫化工場を新式に改造 別子銅山30番坑道準で富鉱帯に着脈 |
昭和38年 | 1963 | 大斜坑の開さく計画変更
別子銅山筏津下部開発起業完成 |
昭和40年 | 1965 | 地圧増大による山鳴り発生 |
昭和41年 | 1966 | 住友病院山根分院廃止 |
昭和43年 | 1968 | 東平坑終掘、東平撤退
索道廃止(東平〜端出場) 新居浜市立東平小、中学校廃校、鹿森分校は新居浜市立角野小学校の分校となる |
昭和44年 | 1969 | 大斜坑貫通(端出場坑外〜32番坑道準)
東予精錬所の建設着手 |
昭和45年 | 1970 | 新居浜市立角野小学校鹿森分校廃校
中部坑終掘 |
昭和46年 | 1971 | 東予精錬所完成、生産開始 |
昭和47年 | 1972 | 山ハネ現象発生
本山坑坑内作業停止 駕籠電車廃止(東平〜日浦) |
昭和48年 | 1973 | 筏津坑終掘により別子銅山休山 |
昭和50年 | 1975 | 別子銅山記念館開館
別子鉱山鉄道新居浜港線廃止 別子大丸が新居浜大丸と改称 |
昭和51年 | 1976 | 四阪島精錬所の銅製錬の操業終結 |
昭和52年 | 1977 | 別子鉱山鉄道下部線(下部鉄道)廃止 |
平成2年 | 1990 | 別子開坑300年 |
平成3年 | 1991 | マイントピア別子端出場ゾーン オープン |
平成4年 | 1992 | 別子銅山記念図書館開館 |
平成6年 | 1994 | マイントピア別子東平ゾーン オープン |
平成9年 | 1997 | 広瀬歴史記念館開館 |
平成13年 | 2001 | 旧住友銀行新居浜支店が登録有形文化財となる |
平成15年 | 2003 | 旧広瀬邸が登録有形文化財となる |
平成17年 | 2005 | 遠登志橋が登録有形文化財となる |