東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内端出場水力発電所


端出場水力発電所


 マイントピア別子と川を挟んだ隣に端出場水力発電所がある。
 明治45年に運転を開始し、昭和45年2月に休止するまで、最大4,800kWの電気を別子銅山に送り続けた。
 純落差 597.18mは当時日本一を誇っていた。
 赤煉瓦造りの建屋は当時の流行であったそうだ。
 古い発電機はドイツのファイト社およびジーメンス社製で、出力1.641kwの発電能力を持つものであった。
 
 端出場水力発電所は普段は一般公開されていない。
 2000年8月19日に開催された、近代化産業遺産全国フォーラムの視察に参加して訪れた。

旧端出場水力発電所の建屋

最近設置された水車

 水力発電所の制御室

 端出場水力発電所の内部




 マイントピア別子の本館2階のテラスから、対岸の端出場水力発電所の建物を見ることができる。
 
 2006年、市内の8箇所に産業遺産説明板が設けられたが、ここには端出場水力発電所の説明が設置されている。

 
旧端出場水力発電所
 
 明治45年(1912)完成。明治時代の後期、大量出鉱体制を整えつつあった別子銅山では、電力の増強が課題であった。そこで、銅山峰の南を流れる銅山川とその支流の水を利用した水力発電を行うこととした。日浦に集められた水は、日浦通洞(明治44年(1911)貫通)と第三通洞(明治38年(1905?)貫通)を通り、水路で石ヶ山丈(海抜約750m)の煉瓦作りの水槽まで引水し、当時日本一を誇った落差597.18mの水力を利用して発電を行った。
 大正時代に入り、水路の拡張と発電機の増設を実施。この増設により、大正10年(1921)から始まった四阪島精錬所の大改造計画で急務とされた、蒸気動力の電気転換のための電気供給が可能となり、同11年新居浜−四阪島間の約20kmの海底ケーブルが敷設され、送電が開始された。
 昭和45年(1970)、発電所は廃止されたが、煉瓦造の建物内には、運転開始時のドイツ国シーメンス社製の発電機や同国フォイト社の水車などが残っている。

 きゅうはでばすいりょくはつでんしょ
小学生用解説

 1912年に完成。銅山川などの水を利用した水力発電所。1922年に発電機と水車を増やし、四阪島へ海底ケーブルを使い1970年まで電気が送られた。現在建物内には、運転開始時の発電機や水車が残っている。
新居浜市
 

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