東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内広瀬公園


広瀬公園


   
 灌漑用水のために作られた人工の池(亀池)を中心とする公園。
 この池を作った広瀬宰平は、明治維新の動乱期に別子銅山支配人を務め、後に住友家初代総理事となった人物である。

 広瀬公園の中には広瀬宰平の旧宅があるが、改修工事の後、1997年の4月末に、広瀬歴史記念館として広瀬邸と新設の記念館が一般に公開されるようになった。

 
沿革

亀池

広瀬歴史記念館

広瀬邸
望煙楼
乾蔵

広瀬宰平銅像

広瀬宰平の年譜


 
 
広瀬公園の沿革

 この公園は、住友家初代総領事広瀬宰平翁が、大阪から招いた造園の大家によって明治二十年に完成した遠州流庭園で面積約三万平方メートル(九千坪)におよび、広大な池と豊富な名木草花の配列に、その妙を得た名園として、昭和四十三年三月五日、愛媛県から名勝としての指定を受けた。
 宰平翁は、滋賀県八夫村に生まれ、天保九年若くして住友別子銅山に身を投じ生来剛毅果断、識見早越、刻苦勉励して住友家初代総領事となり、事業発展に尽力すること実に五十有七年におよんだ。
 明治維新という未曾有の政変による混乱から、別子銅山もまた廃山の危機に直面したが、翁は身を挺して難局の打開に当たり、家業を泰山の安きに置き、ひいては新居浜市の今日の発展の基礎を築いた。
 広瀬家は、以来五代にわたって郷土の政治、経済、産業、教育、文化等の向上発展によく貢献してきている。

 当主つぎ子氏に至って、市勢の現状にかんがみて、市の要請にこたえ、全園を市の所管に移し、市政のの進展に寄与することこそ、祖先の素志にこたえるゆえんであるとの信念にもとづいて、昭和四十六年三月末日を期して新居浜市に移管した。
 

昭和四十八年三月

新居浜市長 泉敬太郎

 
 

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