高橋精錬所からさらに登ると、別子銅山の最初の坑口である歓喜坑に到達する。
坑口は塞がれているが、歓喜坑と歓東坑が保存されている。 |
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歓喜坑 | 歓東坑 |
歓喜坑
左側の木柵の中は水の貯槽 |
歓東坑 |
現在は、別子銅山記念館の近くにある大山積神社も、かつては旧別子にあったものが遷座されたものである。
元禄四(1691)年、別子銅山稼行に際し、住友家が鉱山鎮守の神として大三島の大山祇神社からご分霊を頂き、別子山村足谷に祀られたのが別子大山積神社の縁起という。 明治26年には別子山村足谷の目出度町に遷座されたのが、この場所ということだろう。 その後新居浜市山根町の内宮神社に仮遷座後、昭和3年に現社地に正遷座された。 |
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旧別子案内 No 17 前方の小高い岩山の上に見えるコの字形の石垣が蘭塔場である。蘭塔場とは墓場のことである。 元禄7年(1694)4月25日焼鉱窯からの飛火が折柄の旱天続きにたちまち燃え拡がり、山中の主要設備をほとんど焼きつくした。 ここには、当時猛火の中に逃げ場を失って山中に殉職した手代、杉本助七以下132人の犠牲者の霊を祭る墓所であったが、大正5年別子上部撤退にともない山根町瑞応寺境内に移され、そこに安らかに眠っている。 なお、この蘭塔場でも毎年欠かさず供養がつづけられている |