東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内マイントピア別子


マイントピア別子


マイントピア別子

 
 新居浜で唯一と言って良いほどの観光地。
 別子銅山の「端出場」地区に建てられたマイニング(鉱山)に関するテーマパーク。


 別子銅山には、多くの坑道が有ったが、蜂の巣のように巡らされた坑道からの鉱石は約10,000メートルの直線坑道である第4通洞から搬出されていた。
「端出場」とは、第4通洞口に設けられた選鉱場であったが、1930年からは採鉱本部が東平から端出場に移されて、昭和48年(1973)の閉山までの間、採鉱の拠点であった。

 マイントピア別子は、赤煉瓦風の本館、本館から鉱山鉄道で結ばれた観光坑道、および本館近くの砂金採り体験パークなどからなり、また本館4階はヘルシーランド別子という温泉施設がある。
 
 マイントピア本館の周囲には芝生広場や泉寿亭という旧接待館、駐車場の近くには、昔の貯鉱庫の跡なども確認できる。
 
 
 
本館


鉱山鉄道

打除鉄橋

鉱山機械展示

打除

観光坑道
江戸時代の別子銅山
体験コーナー


周辺施設
   
端出場大橋

橋脚

貯鉱庫跡

炭宿窯

鉄道車両

はでば駅

砂金採り

別子仙人の丘
(花の散歩道)
   
遺構

泉寿亭

あかがねの里

芝生広場

和田佳木子句碑

第四通洞

大斜坑
 

【関連URL】

マイントピア別子のホームページ
日本の金属鉱山
新居浜物語(新居浜市のホームページ)
街道物語

マイントピア別子 本館

 
由来記

 この地、端出場は、日本三大銅山の一つで、かつて世界一の産銅量を誇った別子銅山のの採鉱本部のあった所です。
 別子銅山は、元禄四年(1691年)の開坑、爾来、昭和四十八年(1973年)にその歴史を閉じるまで、一貫して住友によって経営された銅山です。
 別子銅山は、今日の住友グループを育むと共に、新居浜市に工業を興し、四国屈指の工業都市としての大きな礎となりました。
 この別子銅山の永い歴史と文化を風化させることなく、永き将来にわたり、心の故郷として蘇生を図ると共に、二十一世紀に向けた潤いと活力にみちた産業・文化創造都市にいはまの拠点として観光レクリェーション開発の事業に取り組んでまいりました。
 この事業は別子銅山開坑三〇〇年を記念すると共に、事業の推進にあたっては、国の指定を受けた「ふるさとづくり特別対策事業」(自治省)による新居浜市の事業と、「産業基盤整備基金」(通産省)や住友グループ十一社等、地域経済団体二十三団体の出資による第三セクターとの共同で、観光地「マイントピア別子」として新しく生まれ変わり、再び脚光を浴びようといたしております。
 マインは「鉱山」を、トピアは「ユートピア(理想郷)」を意味し、栄光の歴史を秘めた別子銅山遺跡が、いつまでも皆様に親しまれ、愛され、心に残る地となりますことを願って、マイントピア別子と命名いたしました。
平成三年六月
  
新居浜市長 伊藤武志
 
 
   本館入り口には、子供太鼓台が展示されている。

太鼓台(たいこだい)

 
 この太鼓台は、別子銅山で知られる新居浜市の秋祭りに繰り出される子供用太鼓台ですが、大人用のものは、高さ5メートル、長さ10メートル、重さ2トンにも及ぶ巨大なもので、総勢150人余の人手によってかつがれます。
 新居浜の太鼓台と同じ系統の屋台は、関西、特に瀬戸内海地方にだけありますが、四国では香川県西部と本県東部の新居浜、西条のものが最も豪華であるといわれております。 
 太鼓台の基本構造は、太鼓を据える台場の上に四本柱を立て、その上に蒲団を形どった九枚の重をかさね、かき棒をつけたものです。
 太鼓台の豪華さ、華麗さは屋台の全面を覆う蒲団締め、上幕、下幕と称する飾りの素晴らしさにあります。
 これらは、何れも竜や獅子、鷲などのきん獣や、竜宮門や五重塔、或いは武者を題材としての、金糸、銀糸を使った立体刺しゅうであります。
 現在、新居浜には45台の太鼓台がありますが、これらが人の心をかきたてる勇壮な太鼓の音にあわせて、若者達の熱気溢れる「ソーリャ、ソーリャ」の掛声勇ましく街を練る景観は絵巻物を見るようです。
 特に祭りが最高潮に達するのは、全部の太鼓台が一カ所に集まって演じる、かき比べ、台寄せでありますが、その絢爛豪華さは筆舌に尽くし難く、人々は祭りの興奮に酔いしれます。
 太鼓台は、これまで国民文化祭や日本の祭り等の全国規模の催しにしばしば出場し、大喝采を受けております。
 

 2001年2月24日〜3月4日に愛媛県総合科学博物館で開催された企画展「別子銅山と産業遺産」で披露された、四阪島で使われていたミゼットの消防車が、その後マイントピア別子の本館2階で展示されていた。

四坂島精錬所のミゼット消防車
昭和30年代
新居浜市所蔵


 島内の工場その他の消火に小回りが効くので用いられた。
 ミゼットは、ダイハツ社の往年のヒット商品として懐かしい。
 島内は私有地なので、道交法の適用がなく、運転免許がなくても乗れたという。
 

金鉱石

 元禄4年開坑された別子銅山の銅鉱石からは、銅以外にも多くの金銀が産出されました。
 この鉱石は、別子銅山を稼行していた住友金属鉱山鰍ェ経営する菱刈鉱山(鹿児島県)から採掘されたものです。
 菱刈鉱山は、これまでわが国で発見された金鉱山では最大規模のもので、世界にも例をみない高品位を誇っています。
 
重さ  約2トン
含有量  金・約6.1キログラム
銀・約2.3キログラム
* 金採掘の採算ラインはトン当たり3〜4グラム
時価  約1,000万円

鉱山鉄道

 
 
 観光坑道は、本館の端出場(はでば)駅から観光用鉱山列車に乗って到着する打除(うちよけ)駅近くにある。
 打除駅の横には、昔の別子銅山で使われていた掘削機具などの鉱山機械展示が展示されている。
 
 

マイントピア別子の観光用鉱山鉄道
 日本初の山岳鉱山専用鉄道である「別子1号」を復元した機関車が使われている。

観光用鉱山鉄道はトンネルを抜けて橋を渡ると終着の打除(うちよけ)駅に到着する

観光用鉱山鉄道が渡る橋は、打除鉄橋と呼ばれている。

打除鉄橋から少し離れた所にも鉄橋があり、そのまま第4通洞に繋がっていた跡が確認できる。