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第一通洞
ここにも説明板が設けられているが、文字がかすれて判読不明であった。
別資料にて、以下の説明が書かれていたことがわかった。
旧別子案内 No 24
第一通洞北口
別子銅山が盛んになるにつれて、産銅の搬出と物資の輸送量が増大し、新居浜まで牛車道ができたが、途中にある標高1300mの銅山越は交通の隘路となり、輸送路の短縮と合理化を図る必要が生じてきた。
そこで嶺南旧別子銅山の東延谷と嶺北の角石原をトンネルで結ぶことを計画し、明治15年(1882)から19年(1886)にかけて、長さ1,010mの第一通洞を貫通させた。
内部には軌道が敷かれ、人車や牛車によって輸送を行っていたが、明治44年(1911)運搬方法が第3通洞(明治35年完成、日浦通洞が同44年完成)経由となることによって廃止された。
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