大山積神社由来 御鎮座地 本録 新居浜市角野新田町参丁目弐八弐弐番地の壱参 奥の宮社 生子山山頂(標高百五十米) 御祭神 大山積神 倉稲魂命 御由緒 元禄四年(西暦1691年)六月住友家により別子銅山開業の際、鎮護の神として大三島大山祇神社の御分霊を別子山村足谷の山方、縁起の端に奉祠し、明治二十六年別子山村足谷の目出度町に移転奉遷した。 その後別子銅山の採鉱が深部におよび採鉱の中心が別子山村から東平、端出場と移転したことに伴い、昭和二年十月新居浜市山根町内宮神社の仮遷座を行い、昭和三年五月一日現社地に正遷座祭を斉行した。 そもそも大神は別子銅山鎮護の神をして、全従業員の氏神として宗敬され鉱夫入坑の際には必ず坑口に奉祠せる大神を拝礼して入坑するを常とした。また、住友諸事業の発展に伴い新居浜における各事業の守護神として新居浜市磯浦町に鎮座されていた大神も昭和四年当社に遷され、現在も、住友企業の隆盛と社員の安全の守護神として宗敬せられている。 神域は、住友企業社員の勤労奉仕(作務)によって完成されたものであり、毎年元旦に新年祭並びに別子銅山の鉱石を奉献する大ノ祭りが行われ、また五月の春季例大祭には境内相撲場において住友各社社員による奉納相撲大会が開催されていた。 現在も年初の新年祭および5月9日の春季例大祭が在新居浜住友企業により変わることなく執り行われている 昭和六十三年五月一日 |
大ノ 古式により 毎年元旦に銅山守護神である大山積神社に奉献された大いなる鉱石 (昭和48年度に奉献した最後のもので、鉱石の重さは約300キログラムある) 別子銅山大ノの歌
大ノ歌の由来 別子山村郷土誌より(明治45年記) 当鉱山に「ノ祭」と称する古式あり 新年一日 坑夫等は大なる鉱石を曳きて山神社に至り この鉱石は四日に至り (製錬課所属の鎔鉱夫等によりて引き取らる) その小片を飾藁に包みて 坑夫頭之を携えて鉱業所(式場)に至り 鉱山主代理者たる支配人に呈す この歌はこの式場に於いてのみ歌はるるものにして 一人音頭をとなへ 坑夫頭の全員之に和す 歌詞は百年以上の昔に於いて作られたりと聞けども 作者起源等詳ならず 節廻しは もと大阪に於いて 天神社建築用材をひくとき歌はれたる キヤリンブシの伝はりたるなりとの説あり |