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昭和初期の川口新田倶楽部(別子銅山記念館蔵)
川口新田倶楽部跡
自彊舎、大山積神社、相撲場、大運動場、販売所、浴場などの文化施設の揃った川口新田社宅を建設するとの住友別子鉱山常務・鷲尾勘解治の構想のもとに、川口新田倶楽部は、昭和5年(1930)1月、別子銅山に働く社員とその家族のための集会や社交利用の福利厚生施設として建設された。
木造2階建の外観は、左右対称で板張りペンキ塗り、上げ下げ窓のある洋風であったが、内部は外観から受ける印象とは異なり和風のインテリアで統一されていた。
施設としては、1階には大浴場(東側が女湯、西側が男湯)、2階には床の間付きの40畳の娯楽室(囲碁・将棋、図書コーナー)と17.5畳の理髪室があり、社員の一日の疲れをいやす場として大いに利用された。建設当時の入浴料金は、大人4銭、小人2銭の格安料金で好評であった。入場者数も日に1,500人と賑わった。
福利厚生施設としての倶楽部は、筏津(筏津倶楽部)、東平(東平倶楽部)、端出場(鹿森倶楽部)、立川(立川倶楽部)、新居浜(住友倶楽部)、四阪島(美ノ上倶楽部・中央倶楽部)にもそれぞれ建設された。
かわぐちしんでんくらぶあと
小学生用解説
1930年に住友別子鉱山の鷲尾勘解治が計画してつくった、別子銅山で働く社員とその家族のための施設。1階には大浴場、2階には娯楽室と理髪室があった。このような倶楽部は、他の地区にもつくられた。
新居浜市
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