イスラム掲示板(第3代目)
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タイトル 他人様の庭先なので、これにて、一旦下がります。
投稿日: 2009/04/10(Fri) 02:18
投稿者sloth

簡単におさらいすると、このツリーはsalamさんが「イスラム教徒がキリスト教徒と宗教について会話をする時のポイント」について述べるというところから始まったと思っています。

そして、salamさんのコメントに対して異議や質問が起こり、それについてイスラム教徒の人達が、辞書や事典、コーランやハディースを元に説明をなさった(本やネットなどで検証できる限りでは、彼らは情報を捏造してはいません)。

そして、部外者の私が、「似たような経験をしたコト」を蛇足な追加情報付でコメをしました(そして、私も情報の捏造をしてはいません)。

で、私の心のコトですが・・・。
「覆われている」と思いますよ。だから、salamさん達にとっての真実を私の真実として受け入れられないのだろうと思います。でも、イスラムをはじめとして、各メジャー宗教に対して萌えています♪(ああ、歪んでる(笑)♪)

でも、私の心が覆われているからこのツリーにおけるpianoさんのコメのほとんどが理解できないというワケではないと思います。
1392におけるpianoさんのコメなら、その趣旨と目的を推察することが、出来ますから。

でも、1392以外のpianoさんのコメの趣旨と目的が、理解できないのです。

例えば、「イスラム掲示板」で、「神の奥義はこうです・・・」とpianoさんが大上段に構えて演説しなければいけないのは、どうしてなのでしょうか?
しかも、その演説の要旨(?)の根拠は、間違いだらけですし・・・。

根拠が正しくなければ(間違っていたり捏造されたり、曲解されたり歪曲されたものであれば)、その根拠に基づいた主張自体が成り立たなくなります。
そのような主張を維持し続ける目的がわからない、と言っただけのつもりだったのですけれど・・・。

とりあえず、pianoさんの「仏教徒や神道の人達が地獄へ行くというのか」という問いに対する答えは、
イスラーム的、またはキリスト教的価値観なら、Yesでしょうね。預言者ムハンマドも、ジャーヒリーヤのまま死んだご先祖達について似たようなコトを仰ってましたから。
ただ、私は、「神はいないから、天国も地獄も存在しない」派ですから、キリスト教徒やイスラム教徒じゃない人達が死んだからと言って地獄へ行くとは思いませんし、キリスト教徒やイスラム教徒が死んだら天国へ行くとも思いません。

さて、ここから、対誤情報ツッコミ・コーナー。

>(聖なる)戦争
ジハードと言うコトバは、聖戦というコトバによく翻訳されますが、努力って意味もあるんですけど〜・・・orz。
こんな風に、ひとつの単語に色んな意味があるから、コーランの翻訳は難しくて、
翻訳されたコーランは、コーランの参考書であってコーランじゃないっていわれるんですよ〜・・・。
努力とは関係のない「戦争」にはハルブとか別なコトバがちゃんと、しかも沢山あります。

>多神教教徒・ユダヤ教教徒・キリスト教教徒
多神教というのは、神が2柱以上存在すると考える人たちのことですが・・・。(複数の神から選んだ1つの神を信仰している人も多神教教徒ですが、Aの神もBの神もCの神もと複数の神を信仰している多神教教徒もいます。)
だから、神が1柱しか存在しないと考えるユダヤ教徒やキリスト教徒、イスラム教徒やバハーイーの人達は多神教徒とはいえません。
で、ユダヤ教教徒やキリスト教教徒はアブラハムの神に帰依する人々で、この2者の間には色んな違いがありますが(例えばマリアの息子を救世主として認めるか否か、神とするか否かのちがいであって)、pianoさんが仰ったような意味での違いじゃないです・・・。

>宗教名が違うから全く別物
宗教の名前が違うから、違う宗教になるのではなく、
宗教の性質が違うからべつの宗教名がつくのだと、思います。
たとえば、キリスト教はユダヤ教の分派として出発しましたが、「マリアの息子を救世主とみなす」というユダヤ教にはない思想を持つために、別の名前を持つ宗教になりました。このように、各宗教が独自の名前を持つのは、それぞれが性質を異にする宗教だからだと、思います。
また、バハーイーもイスラームから出発しましたが、イスラームとは違う要素を持つためにバハーイーという名前になったのだと思います。

>別物と考えるから平行線か決裂
決裂はともかくとして、平行線はいけませんかね?
ラクム・ディーナクム、ワ・リヤ・ディーンって言いますしね・・・。(イスラームのこーゆートコロが、部外者の所為でしょうか、私は好きですね♪)

>仏の定義
初期の仏典を見れば、仏陀が因縁説を採り、「万物の根源、私を創造され、慈悲に満ちている御方」@多神教バージョンの梵我(ブラフマン)や真我(アートマン)のコトを、否定していたのは、明らかです。

仏像や仏陀を信じてらっしゃらないのならば、pianoさんは偶像崇拝者ではないのでしょう。
でも、阿弥陀仏というのは、大乗仏教的如来思想のモノです。
大乗仏教は、唯物論たる仏陀の教えとは違い、多神教です。
阿弥陀仏を信じてらっしゃる時点で、唯一神を信仰しているコトにはならないのです。
多神教教徒のカテゴリーに、宗教学的には入るのです。

阿弥陀と言う名前がアラビア語のアッラーという名前とは違うから、別物であると捉えられるのではなくて、阿弥陀という存在の性質が唯一神の性質とは、宗教学的には違うのです。
阿弥陀と言う観念は、唯物論な仏陀の教えを捻じ曲げて発展させた大乗仏教の如来思想(多神教思想)に則っているものですから、どうがんばっても、アッラーとは違うものでしか、ありえません。

仏陀が否定した梵我や真我をアッラーと仰るのならば、まだわかりますが・・・。
(梵我も真我も多神教的発想ですが、創造主としての性質を持ちますので)
「アッラーを梵我や真我と呼んだのだが、時代を経るに従って多神教の形になってしまったのだ」という主張なら、まだ、理解可能なのですが・・・。


キリスト教には、ecumenical movementと言うものがあります。

あなたは宗派を超えた宗教でのecumenical movementをなさりたいのかも、しれません。
でも、そのようなコトを仰りたかったり、「アブラハムの神たる唯一神を、ユダヤ教やキリスト教やイスラームとは違ったカタチで信仰している人達もいるのだ」という主張をなさりたいのならば、「ほとけ」とかいう、わけのわからない無意味な概念を持ち出すよりは、バハーイーの方々を証左にした方が、話はずっと通りやすくなると思います。


まぁ、色々と突っ込みたいことは山ほどあるのですが、
ツッコミどころがありすぎるし、
ここは他人様の庭先だしというコトで、
これからどんなにヒドイ誤謬をこのツリーで見ても、
ここら辺で、一旦、下がろうかと思います。

(ただ、明らかな誤謬をモトに、論理を構築・発展させて主張するのは、どうなんだろうかと、
また、意図的に、自分の都合の良いように情報を捻じ曲げるのも、いかがなものかと、
そう、思います。(うんむ・らふまさんの仰った利瑪竇の話をドコをどう捻じ曲げたらそんな風に受け取れるんだか・・・) )


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