タイトル | : Re: キリスト教徒とのディベート |
投稿日 | : 2009/04/09(Thu) 15:57 |
投稿者 | : piano |
以前、アラビア語の「アリフ」と、「ミーム」について、記述しておりますが、それは、ユダヤ人(以前は、正統派や、改革派など色々な派に属し、神を探求してきた方)で、かれは、今、「自分は、何の宗教にも属さず、神を探求する者」と言われております。そして、ヘブライ語の起源などを調べていらっしゃる方の本から引用しました。
さて、「マテオ=リッチ」についてですが、その本は、私は拝読したことがありません。でも、彼の言わんとしている事は、とてもよく分かり、凄く嬉しくなりました。有難う御座います。
また、彼の記述に関する説明が、後世になされていますが、マテオ=リッチの言っていることを理解していない者が説明をしている文章になっております。
“天”(アッラー)が、物事の道理、つまり“理”を顕し、人間の“王“でもあり、全ての源である”命“
日本で、『天理王命』と言う神を崇拝している人たちがいます。一神教です。
さて、「アッラー」という、アラビア語ではないから、「絶対に認められない」とするか、『こいつらは、死んだら、地獄へ行く、「クダラン神」を崇拝している「クダラン奴等」とみなし、「(死んだら地獄へ直行する)かわいそうな人たち」』とするのか、それとも、『共通点を互いに認め合い、更に、お互い神を探求し合って高めていこうとするのか』、
人それぞれです。
全てを、探求すれば、根本は、1つです。
人類も、一つです。
それから、多種多様に分かれてきました。
『遡って、全ての根本を見つけていく』
とても、面白いです。
因みに『天理王命』についてですが、中山さんが存命中、悟った者は一人もいなかったことが、彼女の亡くなる前、「まだ、悟る者はおらぬか?」と言う言葉から分かります。
イスラム教でも、ムハンマドの存命中、悟った者がいたのか?
クルアーンの中で、「イエスの存命中、悟った者は一人もいなかった」ことが記されているはずです。毎日、寝食を共にし、直接彼から教えられていたのにも関わらずに、です。
その時の弟子たちは、『「馬鹿」だから』、と言うことが出来ますか?
ムハンマドの言葉を直接聴いた人間だからと言って、彼の言うことを理解できたわけではありません。
理解できたのであれば、ムハンマドが亡くなった後、分裂することは有り得ないからです。「神が慈悲あまねく慈愛深きもの」、つまり、『神は唯一』ということを、理解して悟っている信者同士で憎むことは、有り得ません。また、信じない者たちに対して、憎むことも有り得ません。
「全てのイスラム教徒の上に、そして、全ての人々の上に、平安がありますように」
あなた方に、平安がふさわしければ、あなた方の下に平安はとどまるでしょう。