タイトル | : Re^4: P.S |
投稿日 | : 2009/04/01(Wed) 05:26 |
投稿者 | : piano |
旧約聖書に書かれており、「この民」とは、ユダヤの民のことです。
次に、パウロについてですが、かれは、新約聖書の中にある福音書(アラビア語では、何と言うのか詳しくないので分かりません)の中に、『「啓示」をうけた』ことが書かれています。また、預言と異言、また、使徒についての説明が福音の中でなされています。
「御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。
預言する者は、教会の徳を高めます。
私は、あなた方が皆、異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなた方が、預言することを望みます。もし、異言(自分の徳を高める宗教の話)を話す者が、その解き明かしをして教会の徳を高めるのでないなら、異言を語る者よりも、預言する者の方が勝っています。、、、、
異言を語る者は、それを解き明かすことが出来るように祈りなさい。、、、、
異言は、信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。けれども、預言は、不信者でなく、信者のためのしるしです。
ですから、もし、教会全体が一箇所に集まって、皆が異言を話すとしたら、初心の者とか信者で無い者とかが入ってきたとき、彼らは、あなた方をキチガイと言わないでしょうか?
しかし、もし皆が預言をするなら、信者でない者や初心の者が入ってきた時、その人は皆の者によって罪を示されます。皆に裁かれ、心の秘密が露にされます。そうして、神が確かにあなた方の中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。
、、、、、、
預言者たちの霊は、預言者たちの霊に服従するものなのです。
それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。、、、、、
私は、使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、神の教会を迫害したからです。
ところが、神の恵みによって今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、無駄にはならず、私は他の全ての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは、私ではなく、私にある神の恵みです。」福音より
また、ハディ−スですが、<傑出した者たちの章>の前あたりです。今、手元にないので、日本語訳の3巻のうちのどの巻で、何ページかをお伝え出来ません。申し訳ありません。
その前に、
預言者ムハンマドの言葉として、
「かつてのイスラエルの民は、預言者達に治められており一人の預言者が死ぬと、他の預言者が後を継いだが、私の後には預言者というものは無く、ただ、代理人がいるだけで、その数は多くなるであろう」
だから、
「彼らのそれぞれとの約束を守り、彼らに対する義務を果たせ。アッラーは、彼らに与えた指揮権について、責任を問うであろう」
という、ハディースがありました。その後には、
『以前、ある人が傷を受けたとき、その痛みに耐えかねて、小刀で手を切り落とすと、血が流れ続け、遂にその人は死んだ。これについて、いと高き神は「この人間は、私が定めた死の時期を勝手に早めたので、天国に入ることを禁ずる」と言われた』
という、ハディ−スがあったと思います。