イスラム掲示板(第3代目)
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タイトル Re: こんにちは
投稿日: 2009/03/22(Sun) 18:39
投稿者Salam   <spiderwort77@hotmail.com>

> 私は色々な宗教を学習しています(イスラム教は最近学び始めました。キリスト教は少しわかります)。未熟ですが思ったことを書こうと思います。
ーーー>インシャアッラー、あなたが正しい情報を学ばれますように。まず、あなたのご質問はイスラムの基礎を学んだ者であれば誰でもすぐに理解できる内容ですが、あなたがまだ学習中だということですので、ご質問に対して説明していきたいと思います。これからも学習を是非続けてください。
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> > わたしの返答:奇跡を起こしたのは神の意向によるものであり、イエスの意向ではない。神が全てを創造し、運命を左右し、罪を請う者を許すか許さないかは神が決めることであり、それに仲介人は必要ない。
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> ◇もちろんイエスは神に従っています。「私の意思ではなく、あなたの意思が行われますように」とイエスキリストは神に呼びかけました。奇跡については神の意向ですが、イエスに同じ考えがなかったとは言い切れません。
ーーー>まず、神(アッラー)の存在についてご理解ください。アッラーとは、アッラーという名前の神ではなく、かれは全能全知、永遠の存在で、存在するもの全ての創造者です。他の表題でアッラーの性質を貼付けますので、そこでご確認ください。そこにも書かれていますが、アッラーの性質として、創造者は創造物と類似しない、創造物を必要としない。と書かれています。イエスの起こした奇跡、イエスに限らずアッラーが使わした124,000の使途・預言者は全員、奇跡を起こすことができました。人々にアッラーの存在を理解させるために普通の人間ができない事を可能にする力をアッラーは彼らに与えました。従いまして、預言者達が起こした奇跡はアッラーの意向なしには起こりえない訳です。我々の一字一句、行動の全てはアッラーの意向の上で行われます。かれの我々に与えた運命の上で我々は生かされています。全てはアッラーの意向なしには何も起こりえません。
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> > わたしの質問:ではなぜイエスが罪を背負わなければいけないのか。最高に慈悲深い全能全知の神が人が犯した罪を許さない訳はない。最初の人間であるアダムが犯した罪でさえも神は彼が罪を許してほしいと願った時に許した。その子孫である我々が罪を請えば神はもちろん、それを許すだろう。なぜなら彼は最高に慈悲深くお許しになる方であるから。
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> ◇神の意思について人が何を知っているでしょうか?
> 全知全能の神がアダムの罪を許し、イエスに罪を負わせることについて人が何を言えるでしょうか?
ーーー>我々はアッラーが最高に慈悲深いかただと知っています。預言者であるアダムが許しを請い、それを拒絶するほどアッラーは慈悲深くないかたではありません。コーランの中にも何度も出てきます。
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
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> > ポイント:彼らが預言者モハメッドを否定するのと同じように、彼らはモスリムもイエスを否定するものだと誤解している。
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> ◇預言者ムハンマドを否定するクリスチャン、肯定するクリスチャン、どちらもいると思います。同様に、モスリムがイエスを否定していると誤解しているクリスチャン、理解しているクリスチャンどちらもいます。
ーーー>預言者モハメッドを預言者だと認識しているか、単なる偉人だと認識しているかの違いです。モスリムはイエスを否定すること絶対ありません。一部のクリスチャンのイエスの捉え方とは異なることは明らかで、その点で合意しないことはありませんが、イエスの存在自体は預言者としてとらえています。一部のクリスチャンはモスリムと同じく、イエスを預言者の一人だと理解している人もいます。
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> > Sさん返答:モハメッドさんは大変素晴らしい人でした。しかし、イエスよりは素晴らしい存在ではない。
> > ポイント:預言者モハメッド出現の事はトーラ、インジルなどヒンズー教の教典にまで書かれているにもかかわらずそれを預言者だと認識しない。すなわち彼らは自分たちの教典を信じていない、その時点で背信をしている。
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> ◇預言者とは認めていると思います。ただ「イエスキリストよりは素晴らしくない」と考えているのです。ムハンマドさんは自分を人間だと言っておられ、天使からの言葉を語った尊敬すべき方でしょう。しかしイエスキリストは十字架にかけられ罪をあがない、神と人間とを仲介した方と思われています。
> ヒンドゥ教の経典は沢山ありますがどこに書かれているでしょうか?
ーーー>預言者モハメッドを預言者だと認めているとすれば、イエスと同じくアッラーから使わされた預言者を別物扱いする必要があるでしょうか。預言者モハメッドも、預言者モーゼもアッラーの言葉を聞き、天使とも会話をしています。多くの奇跡も起こしています。イエスだけではありません。ヒンズーの教典に関しては以前に学者から話を聞いた事があるまでの知識ですので、どれかは知りませんが、機会がありましたら聞いておきます。
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> > ポイント:4つの意見を合わせれば答えがでる???合わせてもそれが正確で真実であると、どうやって確証するのか。’プロパビリティー(仮定/可能性があるかないか)’を寄せ集めても、’プロバビリティー(仮定)のポッシビリティー(可能性)’を集めるだけであり、真実を見つけたことにはならない=真実ではない可能性もかなり高い。ということは、彼らの信仰は全て’仮定’に乗っ取ったものであり、真実に乗っ取ったものではない、ことが分かる。
>
> ◇そういう考えですと、イスラム教も預言者と名乗る人の言葉を信じているだけであって、仮定にのっとったものである、ということにはならないでしょうか。
ーーー>そうするとナポレオンの存在も、織田信長の存在もすべて仮定という事になりますが、それを知るすべは歴史を書き連ねてきた記録があり、彼の存在が明らかであり、ナポレオンが存在した事を見てもいないのに信じることができるのは揺るがない歴史の記録があるからです。それは別として、わたしの言っている仮定は、4つの違う出来事が書かれた本を集めて、そこに真理を見つけることはできない。という意味です。真実は必ず1つであり、仮定を4つ集めても真実にはなり得ない。

一字一句変えられることのないコーランがアッラーの存在の証拠です。アッラーの存在はそれだけではありません。我々の生活の至ところにかれの存在の証はあります。それを見つけられるか、見つけられないかはアッラーの意向によるものです。

> > わたしの質問:イエスは十字架で死んでいない。あなたの言う神がイエスが息子だと言うのならば、どの世界に自分の息子をそんなひどい目に合わせる親がいるのか?
> > Sさんの回答:(笑)(イエスが死んでいない、事に対して彼女は笑いました。)だからイエスの存在が尊いのだ。それが神の愛である。
> > ポイント:モスリムはイエスは今での第2の楽園にて生活しており、時期がくると地上に戻ってくることを知っています。最高に慈悲深い神が預言者をそんなひどい目に合わせる訳がない事も知っています。恐らく、第3者から見てもこちらの意見の方が道理的だと判断するでしょう。
>
> ◇この世には息子を殺す親もいます。親を殺す子もいます。最高に慈悲深い神は、世界で飢えている人々を餓死させ、イスラム教徒とキリスト教徒の間の争いを続けさせています。ですから預言者をそんな目に合わせることもありうるのではないでしょうか。
ーーー>アッラーは人間とは違います。過ちを犯す人間とは違います。
イスラム教徒とキリスト教徒の争い、イスラム教徒とユダヤ教徒の争い。。。とされている争いの根本は対外、宗教と関係のない所になります。パレスチナとイスラエルの戦いも、宗教戦争だとメディアでは言われていますが、実際は単なる政治であり、領土問題であり、宗教とかけ離れた理由で起こっているのが現実です。
アッラーが預言者を使わせる理由は、人々にアッラーの存在を伝えるためです。過去最初の預言者アダムから最後の預言者モハメッドまで、ずーーーっと同じ理由で使わされています。その預言者をわざわざ殺す、痛めつける、理由があるでしょうか。その前に戻って、罪を請うものを許す慈悲深いアッラーが存在することから、アダムの時代からイエスの時代まで引き継がれてきた全ての罪の存在がなくなりますが、そうすると、イエスが十字架に掛けられ、殺された理由がなくなります。

>
> > ポイント:歴代の預言者はアダムを始め預言者モハメッドまで124,000人存在しました。全て創造者、神の存在を人類に伝達するために使わされた預言者達です。それが、イエスを崇拝するべきだと伝えていたとしたら、生まれてもいない人間のことを信じないといけない、その時代の人々は何を信じてよいのか分からなくなるでしょう。この時点で彼女の理論は合理的でない事が分かります。答えが出なかった理由も分かります。
>
> ◇昔の人々は沢山の預言者の伝えた通りに神を崇拝すれば良かったでしょう。キリスト教では、神は当時の人々にイエスキリストを遣わし、イエスキリストを通して崇拝できるようにしてくれたと考えています。またイスラム教徒には預言者ムハンマドを遣わし、コーランを通じて神を崇拝できるようにされたと考えます。
ーーー>その通りです。預言者がアッラーの存在を人々に伝え、その預言者の伝えるがままに、人はそれに従う。一番最後の預言者が預言者モハメッドだから、その後に生まれてきた我々は預言者モハメッドの教えに従う。その前の預言者イエスではなく、最後の預言者に従っている。だけのことで、とても単純明快な解釈です。それが現在のモスリムです。イエスの時代にもし生まれていれば、預言者イエスの教えに従います。それがその当時のモスリムです。モーゼの時代も、ソロモンの時代も、ノアの時代もすべてそうです。当時の人は当時の預言者に従います。
>
> > Sさん意見:私たちは神の姿を知っている、似顔絵を書いたりする人もいるし、彼がどんな顔をしているか知っている。
> > わたしの返答:我々の言う全能全知の創造者、神は創造物に類似することなく、場所なしに存在し、始まりも終わりもない、永遠の存在である。その神を人間の制限のある頭脳で想像しただけの容姿で似顔絵を書くことは許されない。
> > ポイント:こればっかりは絶句しましたが、英語でもAlmighty Godと言いますが、そもそもAlmightyの意味を辞書で調べてみると、全能の、全能者、無限の力をもった、とあります。神の力を制限する事で、それが無限ではなくなること。イエスを信じなければ、死んでから一番最初に神に問われるのは’わたしの息子を信じたか’、だそうです。創造者が創造物を信じたか信じないか疑問の焦点にもなりませんが、これは彼女達の’神’に対する理解が全く誤ったものであるためです。
>
> ◇salamさんの仰る通り、Sさんは神をイエスキリストに限定しています。Sさんの知識がまだ浅いからです。しかしそう考えていないクリスチャンもいます。
ーーー>そうですね。
>
> イスラム教と、大部分のキリスト教は、キリストの神性(三位一体説)について真逆の考え方をしているので、決して相容れるものではないのですね。「あなたがた信仰する者よ,ユダヤ人やキリスト教徒を,仲間としてはならない。」
ーーー>今回のSさんは一部のキリスト教徒の考え方だと言う事は承知しています。かなりモスリムに近い考えを持っているキリスト教徒も知っています。
仲間としてはならない、は何も戦わなくてはならないという意味ではないですので、ご留意ください。最初から仲間になれないと、突き放せばせっかく真実を伝える機会があっても壁ができてしまって伝えられない。そうすると、イスラムにとっても良くない結果となってしますことから、最初から壁は作らないのがベストです。そうでなければ今回のようなディベートはできませんでしたからね。などなど、他にご質問ありましたらまたレスください。
Salam


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