イスラム掲示板(第3代目)
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タイトル Re^3: キリスト教徒とのディベート
投稿日: 2009/04/01(Wed) 03:58
投稿者piano

あるユダヤ人は、アメリカのニューヨークで育ちました。その人の町は、半分くらいがユダヤ人でしたが、その人の家庭は、ユダヤの慣習や伝統を熱心に守ってはいなかったそうです。ユダヤ人の会堂(シナゴーグ)には、数回くらいしか行った事が無いし、聖書のことも、よく知らないと。ただ、「新約聖書は読むな!」と言われていたそうです。また、「クリスチャンになったりしたら、迫害される」と。ユダヤ人社会では、一般に、クリスチャンになったら、家族から捨てられるそうです。

そのユダヤ人は、成人して日本で就職しました。その人の上司は、クリスチャンで、ユダヤ教に興味がある人でしたが、当の本人は聖書のことをあまり知らない。ただ、大学時代に学んだ仏教などの方が知っている。

そのユダヤ人は、「私は、ユダヤ人ですから、新約聖書や預言者イエスに対して抵抗がありました。」と。でも、「イエスの時代、ユダヤ人がクリスチャンになっている」という、事実を熟考した時、『目からうろこ』状態になったということです。

そして、そのユダヤ人は祈りました。
「神様、あなたは私たちユダヤ人の神様です。そして本当の神様です。もし新約聖書を読んでイエス様が本当にメシアであれば、私にそのことをはっきりと示すことができるのではないですか。」


 さて、なぜ、私がそのユダヤ人を例に出したかと言うと、今のムスリムも似たような状態になっているからです。

1、『「聖書は改ざんされている」から、読むな!読む価値なし!!!』としている人があまりにも多い。

2、他宗教に対する「無知から来る」偏見と、抵抗感、及び優越感

3、「神の唯一性」の理解の欠如



ところで、私に神道の友人らがいますが、その人は、「神様は、唯一」と、言っています。以前、話の中でイスラムの話題になり、「その人の信じるアッラーの神が、、」と言いかけたので、私が、すかさず「神様は、唯一なんだよ。そうでしょ?アラビア語で神様を、アッラーと言うだけでしょ?」と言うと、「あっ!!!そうだった。そうだった。そうだよね!」と、言いました。

「神の唯一性」を学んでいるにも関わらず、うっかり、「別物の神」と考えてしまうのです。

別のクリスチャンの友人は、毎日のように聖書を読んでいます。その人も、「神は唯一」と知っています。でも、「ヘブライ語読みの神の名」に非常なこだわりを示しています。その人は、ユダヤ教とキリスト教は同じ神を崇拝していることは知っています。その人に、「アラビア語では、それをアッラーと言い、ヘブライ語ではヤーウェ、または、エホバと言います。そして、イスラム教徒と同じ神ですよ」と言ったら、非常にビックリしていました。

「自分たちだけが唯一の神を唯一の正しい神の名の呼び方で、そして、唯一の方法で崇拝している。他の宗教や宗派は間違いだらけ。他宗教は、悪魔の影響!」と、心底信じています。だから、非常にビックリするのです。

「神の唯一性」を知りながら、理解できていないのです。神は、特定の集団を差別あるいは、ひいきされる方だと感じているように見受けられます。

色々な宗教との対話は、非常に楽しく、有意義です。いつも時間がアッという間に過ぎてしまいます。また、「神は唯一」と知っていて、神が慈愛に溢れている方というのを体得していればしている程、その人は親切で慈愛に溢れています。

私は、まだまだ未熟者です。

ところで、そのクリスチャンに、「神の唯一性」を説明するために、

1、「ユダヤ教とキリスト教、イスラム教は、アブラハムの宗教」であると、伝える。

2、アブラハムの時代、『彼だけが唯一神の信仰者ではなかった』ことを聖書の中の部分を指し示して伝える。これは、「神からひいきされている」と考える人にとって受け入れ難いことですが、非常に重要です。これも、その人に伝えた時、ビックリしていました。

『 アブラハムは、サレム(シャレム)の王メルキゼデクより、祝福されました。
「祝福を受けよ。アブラム(神からアブラハムと名乗るように言われる以前の名)。
天と地を造られた方、いと高き神より。
あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ!!」

サレムの王を訳すると、義の王であり、平和の王です。彼は、いと高い神の祭司、優れて高い神の祭司でした。

また、「イエスはメルキゼデク王の位に等しい大祭司」とあります。

族長であるアブラハムでさえ、戦利品の十分の一をサレムの王メルキゼデクに渡しました。』
 旧約と新約より


  とても悲しいことですが、『聖書を読むこと』や『聖書を読んだことのある人』を軽蔑したり、疎んじたりするムスリムがいるというのを聞いたことがあります。

 中世時代、ヨーロッパでは、上流階級者や聖職者たちは、民衆が聖書を読み賢くなることを嫌がりました。彼らの悪行がばれないように。同じことみたいです。「歴史は、繰り返す」です。

 中には、「聖書はかいざん」されていると言う人もいますね。
預言者エレミヤは、聖書の中で、その事を指摘しています。ユダヤ教徒、キリスト教徒の持っている旧約聖書の中にあります。クルアーンの中にもありますネ!

 でも、「アッラーは、お優しい方」です。そんな、放っておくわけ無いではありませんか?

 読んでみたら、お分かりになると思いますが、「神の唯一性」は、全くぶれておりません。そして、「アッラーが、慈悲あまねく慈悲深いお方」であるということも。

 問題は、聖典にあるのではなく、聖典を持っていても、「理解しようとするか、理解したか」という、人間側の問題なのです。


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