タイトル | : Re^5: P.S |
投稿日 | : 2009/04/02(Thu) 13:46 |
投稿者 | : うんむらふま <ummu_rahmah@infoseek.jp> |
お返事ありがとうございました。
少し調べてみましたので、またお話させてください。
福音書(al-injil):新約聖書のなかで直接にイエスが語った言葉を意味するが、クルアーンでは、キリスト教の聖書の意味で用いられる。原語のインジールは、ギリシャ語のeuangelionがエチオピアを経由してアラビア語化されたものである。―イスラーム辞典より
啓示:唯一神が預言者を選んで人間にことばを与えること、また、そのことば。イスラームにおける啓示は、ムハンマド(彼の上に祝福あれ)のことばではなく、神がアラビア語で語ったことばそのものである。啓示は天に保存された書板(ラウフ・マフフーズ)のアラビア語版である。このような書板概念は、旧約聖書にも見受けられる。(略)啓示に類似したことがらにイルハームがある。これは照明ないし照明体験において一種の直観知を得ること、あるいはその直観知を意味する。通常の認識によらない知識という点で共通するが、預言者に与えられる啓示とは区別される。―イスラーム辞典より
預言者:啓示された神の言葉を預かる者。旧約聖書でいうナービー(ヘブライ語)に相当するが、アラビア語の原義としては”知らせnaba”から、神について知らせる者とするほか、”屹立するnaba/最後のaは伸ばす”から転じて神に選ばれた(高位の)者などの説がある。預言者のなかでも、とくに天啓の法(シャリーア)をもたらす使命をもつ使徒(ラスール)がある。―イスラーム辞典より
パウロについて:
「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、」―ローマ人への手紙1-1
「神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、」―コリント人への手紙第一1-1
「神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロ、」―コリント人への手紙第二1-1
「兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。」「私はそれを人間から受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」―ガラテヤ人の手紙1-11・12
「私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の徳を高めるのでないなら、異言を語る者よりも預言する者のほうがまさっています。」―コリント人への手紙第一14-5
「そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行う者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語るものなどです。」―コリント人への手紙第一12-28
以上から考えました。
預言:神の信仰に基づいて語る(神の言葉を語る者)
異言:明らかな信仰に未だ至らずに語る(人間の舌で語る者)
ちなみに、”パウロの回心”に至った経験〜ダマスコへの途上「サウル・サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と復活したイエス・キリストに呼びかけられ目が見えなくなった。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロ(パウロ)のために祈ると、目から鱗のようなものが落ちて目がみえるようになった。〜これも啓示という判断なのでしょうか。
いろいろ勉強になりました、ありがとうございました。
追記:先のハディース、ブハーリーの伝承集成から見つけました。
中巻‐p.215、”傑出した者達”の前”預言者達”の中にありました。