タイトル | : Re^2: キリスト教徒とのディベート |
投稿日 | : 2009/03/28(Sat) 21:50 |
投稿者 | : Salam <spiderwort77@hotmail.com> |
> ムスリムがキリスト教徒とディベートを行う場合、心しておかなければならないことがあります。
>
> 1、「同じ神を崇拝していること」を肝に銘じる。
>
> これを、心から感じているか、ただ、頭だけで分かっているかで方向性が大きく変わってきます。
--->今回のこの特定な人物、Sさんとのディベートに関してだけ申し上げますが、この人の信じる神と、私の信じる神が同じ神でないことがそもそもの発端です。従いまして’「同じ神を崇拝していること」を肝に銘じる。’ことは不可能です。それをしてしまうと、私が背信者になってしまいます。別のキリスト教徒で私たちの神と同じ捉え方をしている人がいる事は知っています。その人たちに関してはあなたのおっしゃる事は間違いではないかと思います。全てのキリスト教徒に適応されるものではありません。
> 頭だけで分かっている場合、気づかないうちに相手を軽蔑してしまっているからです。軽蔑を感じる相手は、話を理解しようとするのではなく、攻撃されたと感じて躍起になります。
ーーー>お互い正しいと思っているうちはどちらも折れる所がないので話は平行線です。軽蔑するかしないかは、相手によると思います。攻撃されたと感じるのも、その人の話し方や話のもっていきようによります。
>
> 2、「多くのムスリムがしっかりとクルアーンを理解していないのと同じように、多くのキリスト教徒も聖書をきちんと理解しているわけではない」ことを、念頭に置き、相手の宗教観に敬意を払う。
ーーー>おっしゃる通りです。
>
> 3、「高慢にならない」ように気をつける。
>
> 神は、かつて、ユダヤ教徒にこう言いました。「「自分を特別だ」としてはならない。」と。
> ムスリムが、一番神に愛されているわけではありません。ムスリムが、一番真理を理解しているわけではありません。ムスリムが、一番人間的に優れているわけではありません。
ーーー>モスリムが、なんとかというのではなく、この場合はイスラムが、と言い換える方が適切かと思います。違いはモスリムは人ですのでもちろん過ちを犯します。しかし、真実=イスラム=神に身を委ねる、に間違いはありません。預言者モハメッドが伝えてきたことだけがイスラムではありません、アダムの時代からノア、モーゼ、。。。イエス、モハメッドまでずっと同じイスラムです。アッラーの存在を伝えてきた預言者達は全てモスリムです。預言者たちを信じた人々も全てモスリムです。人の手によって書き換えられた本に書かれてることを信じると原本にある信仰と異なってくるのも当然です。’特別’や’高慢’という捉え方ではなく、異教徒ととらえるのは当然です。
Salam