タイトル | : Re^13: P.S |
投稿日 | : 2009/04/08(Wed) 10:46 |
投稿者 | : piano |
”聖戦“と言う言葉が、聖書の中何度も出てきますが、クルアーンにも出てきますね。
大本の意味は一緒でも、「理解の程度」は人によってまちまちです。
仏教に“空”と言う言葉があります。聖書の中にも、ソロモン王が「全ては空である」と、言っています。その意味を、根本の意味を同じと考えるか、使用されている用方が違うから全く別物だと考えるか、、、
それは、人によってまちまちです。
宗教名が違うから、全く別物と考える場合、『話は平行線をたどるか、決裂』するのではないでしょうか?
でも、「本当の意味」、「根本はなんだろう?」と、一緒に考えていった場合、お互い切磋琢磨できるのではないでしょうか?
Sloth様
あなたは、仏を信じている時点で「アウト」と仰いましたが、私は、「万物の根源、私を創造され、慈悲に満ちている御方」で、仏像や仏陀ではないことを理解している者です。「根本の意味の仏」と「アッラー」は、一緒であると、心から信じているのです。
あなたは、神でもないのに、「神道信者や仏教徒である」ということを理由に、日本だと、一億人の人間を『地獄行き』宣告ですか?
あなたが、私の言っていることを全く理解されないのは、クルアーンに説明があるではありませんか?
『心が覆われているから』と、あります。聖書にも、同様のことが書かれています。
何で覆われているか?
「神は、自分たちを一番愛でられている」とし、他の宗教名の人間は「下等」としているからです。他の宗教名の人間でさえ、「神は、全てあまねく慈悲を、愛を、降り注ぎ、慈悲深い御方」と言うのを認めたくないために、嫉妬しているのです。その嫉妬から、軽蔑が生まれ、あなたは、高慢に陥り、傲慢になっているから、「地獄行き宣告」が出来るのです。
あなたの心から、自惚れ、高慢、傲慢、嫉妬や憎悪、軽蔑、、、、をなくすこと
つまり、『神は、慈悲あまねく慈悲深い御方』ということを、真摯に理解しようと努めていく時、
『心の覆いが取れる』のです。