タイトル | : Re^9: P.S |
投稿日 | : 2009/04/05(Sun) 04:09 |
投稿者 | : piano |
私も、仏教の話をされていましたが、神(仏)だと思います。その他にも、そう感じる所が多々出てきますよね。ですから、そういった共通点から、深く互いに思索することが必要だと感じます。
「親鸞や、日蓮、イエスやムハンマドやモーセといった仏からのメッセンジャーが一堂に会したら、宗教戦争なんか無くなるのに。仏からのメッセージは、表現は違っても一緒なんだから」
と、語っている友人の仏教徒もいます。
私は、同士だと思ってお話しています。敵意はありません。
「主を畏れる者たちとは、幽玄界を信じ、礼拝の勤めを守り、また、われが授けた者を施す者、またわれがムハンマドに啓示したもの、また、あなた以前の預言者たちに啓示したものを信じ、また、来世を固く信じるものたちである」
この、「信じる」というのは、『信じて疑わない』という意味ですが、サラムさんは信じていらっしゃるのですか?ただ、「以前の預言者たちに啓示された」というのを、知るというのとは、随分違います。
『「世界には、たくさんの神々が存在している」ことを、信じている』ということは、「多くの神の中から、『アッラー(アラビア語の神)』を選んだ」ということになりませんか?
『唯一の神』のみが存在しているのに。
「使徒は、主から下されたものを信じる、信者たちもまた同じである。皆、神と天使たち、諸経典と使徒たちを信じる。私たちは、使徒たちの誰にも差別をつけないという。、、、、
経典の民の中にも、神を信仰し、あなた方にくだされたものを信じて神に謙虚に仕え、僅かな代価で神の啓示を売ったりしない者がいる。これらの者には、神の御許で報奨があろう。本当に神は清算に迅速であられる。、、、、
使徒よ、互いに不信心に競う者のためにあなたの心を痛めてはならない。彼らは口で「私たちは信仰する」というが、心では信じていない。
また、ユダヤ人(ユダヤ人とは、「神は唯一である」と言いながら、その本質を理解していない人全般の象徴です。宗教名や宗派に関係なく)の中には、虚偽を聞きだすことばかりに熱心で、あなたの所に寄り付かない者がいる。彼らは、その言葉を歪めて言う。
「もし、これが、あなた方に与えられたものと同じであると思うならば、受け入れなさい。だが、あなた方に与えられた者と同じでないならば、用心しなさい。」、、、、、、これらの者は、神がその心を清めることを望まれない者である。」
クルアーンだけでなく、聖典を読むとき、2通りの読み方があります。
1、私は、「失敗者」ではないし、「不信者」ではないし、、、、、、『自分は、本当の信仰者』であると自惚れながら読む。→得られる教訓は狭いものとなる上、読めば読むほど高慢さで膨れ上がります。
2、思索に思索を重ね、悔悟しながら読む
様々な言語で色々な表現がある『唯一の神』に誓います。
『私は、神を信じ、私たちに下されたものを信じます。また、アブラハム、イシュマエル、イサク、ヤコブと、諸支部族に啓示されたもの、と、モーセとイエスに与えられたもの、と、主から預言者たちに下されたものを信じます。彼らの間のどちらにも、差別をつけません。かれに、服従帰依します。』