タイトル | : Re^9: ワッハーブ派のセオリー |
投稿日 | : 2009/08/18(Tue) 23:42 |
投稿者 | : FF |
アッサラーム アライクム ムスリムの兄弟姉妹のみなさん
> >でもこれは自分の子供に対してであり、「拡大解釈」のような気がしますけど。
>
> 「タリバンの社会は、イスラム的か否か」が話の焦点です。
> イスラム的社会なら、自分の子供だけになりますかね?
>
No.1824でご返事を書いた際、この部分に気がつきませんでした。
アブー・ダーウードのハディースの引用に対してのみの意見を述べました。
「話の焦点」わかっていませんでした。失礼しました。
〈啓示のくだっていない事について尋ねられた場合、《これはアッラーが示されたところによって》(4:105)というアッラーの言葉に従って、啓示が下るまで、「わたしは知らない」または「答がない」とお答えになり、個人的意見や類推によってはお答えにならなった。〉(サヒーフ アル=ブハーリー)
マーリキー派の学祖マーリク師の弟子の一人は、師が質問を受けた48の問題に対して、そのうち32問については「私は分からない」と答えた、と証言しています。またマーリキー師は、ある問題について「私は分からない」と答えたとき、「(どうして答えないのですか)こんなに簡単な問題ではないですか?」と尋ねられ、怒って「学問に『簡単な問題』などないのだ」と答えられたと伝えられています。(ムスリム新聞72号)
未熟な私にお尋ねになるよりも、どなたか専門の方にお尋ねになってください。
> >ただ「厳格」はやはり望ましくないことのようです。
>
> 逆にどの程度の社会なら、イスラム的な社会といえるのでしょうか?
これも私はよくわかりません。ただイスラームの本質としては以下のハディースが参考になるかと思います。
〈ムトリフ・ビン・アブドッラーによるとアッラーのみ使いSは「何ごとも中庸(ワスト)であるのが一番良い」と言われました。〉
(バイハキー)
シャハーダに関しては以下のハディースも参考になるでしょうか。
サヒーフムスリムの第1巻76Pから79p「カリマ(信仰告白)を唱えた不信者について」をご覧下さい
第1巻50p&51Pもひとつの意見の根拠になるような気がします。
〈イトバーン・ビン・マーリクによるとアッラーのみ使いSは、礼拝を終え、次のように言われた。「マーリク・ビン・ドゥフシャム(サハーバたちはアッラーのみ使いSが礼拝しているとき、マーリクのことを話題にしていた。彼らは預言者さまSがマーリクを呪って死に至らしめるか、または災難に遭わせるようにアッラーに祈願すればよいのにと話していた)は、アッラー以外に神はなく、私がアッラーのみ使いであることを証言しないのですか」これに対し、「彼は勿論証言は致しますが、しかし、決して心底からのものではありません」と彼らが答えると。み使いSは「アッラー以外に神はなく、私がアッラーのみ使いであると証言する者は、地獄に入ることはなく、業火もそのものを焼き尽くすことはないであろう」と言われた。〉
これ以上の書き込みは「マーラヤーニ(無益)」かもしれないと恐れます。
「ムスリムにとって無益なもの(マーラヤーニ)を放棄することは、イスラームの良さの一つである」(ティルミディ、イブン・マージャ)←MFギュレンさんの訳本「日本人のためにーーー預言者ムハンマドを語る第二巻」から引用しました。・・よくまとめられていて私には有益でした。
故に、私の書き込みはこれで終わりと致します。
よいラマダーンをお迎えください