タイトル | : Re^6: ワッハーブ派のセオリー |
投稿日 | : 2009/08/14(Fri) 20:41 |
投稿者 | : so |
>ムチで脅して礼拝させるのが可だという句があるなら、まず、そちらを引用してくださいな。
Hadith - Dawud, Narrated As-Saburah
The Prophet said: Order your children to pray at the age of seven. And beat them [lightly] if they do not do so by the age of ten.
彼らはこれを解釈したのだと思います。
>原則的に、私は、シャハーダした人はムスリムだと思っています。
私の意見が気に入らなくて書き込んでおられるのでしょうけれども、私は、ワッハーブ派をイスラームの一派であると書きました。ヌルジュだってそうでしょう。分裂を禁止していることは知っていますよ。だからこそ、「どちらもイスラームの範疇だ」と、私は思っていますので。
これ(クルアーン)こそは、万人への教訓に外ならない。
それはあなたがたの中、誰でも正しい道を歩みたいと望む者のためのものである。
私が言いたいことは、「誰それが気に入らない」という感情論ではありません。
「クルアーンをイスラムの判断の基準に使わないのは、どうなのだろうか?」ということです。
砂漠のアラブたちは、「わたしたちは信仰します。」と言う。言ってやるがいい。あなたがたは信じてはいない。
ただ『わたしたちは服従しました』と言いなさい。信仰はまだあなたがたの心の中に入ってはいない。
もしあなたがたが、アッラーとその使徒に従うなら、かれはその行いに就いて、少しも(報奨を)軽減されることはない。
正しく仕えるということは、あなたがたの顔を東または西に向けることではない。つまり正しく仕えるとは..略。
あなたのシャハーダの定義は、単に入信しただけの人やイスラムの家に生まれただけのものでしょうか?
それともアッラーの絶対性とクルアーンの正当性を確信している人のことでしょうか?
前者だけなら、まだ昔の砂漠のアラブ達と同じ状態です。
それにムスリムの定義は、アラビア語の意味です。
もしかれ(使徒)が、われに関して何らかの言葉を捏造するならば、われはきっとかれの右手を捕え、かれの頚動脈を必ず切るであろう
他宗教や宗派を認めるの意味は「存在するのは、仕方ないこと」という風に解釈してます。
そうでないなら、その宗派や宗教に自分が入ってもいいという意味になりかねません。
>その人間を許すか否かをお決めになるのはアッラーだけでしょう?
信仰する者よ、もしあなたがたがアッラーを畏れるならば、かれはあなたがたに識別を与え、あなたがたの諸悪を消滅し赦して下される。
この句や「言ってやるがいい」と書いてある以上、どう考えてもある程度の判断が禁止されているとは思えません。
(それで)アッラーは、偽信者の男たちと女たち、また多神教徒の男たちと女たちを、処罰なされる。
だがアッラーは、信仰する男たちと女たちには、哀れみをかけられる。
許しは、信仰していることが前提ではないでしょうか?
まあ例外があってもおかしくないですけどね・・。
>あなたのお好きな道をお行きくださいな。
どうやらもう終わりにしたほうがよさそうですね。