タイトル | : Re^4: 違わないのです。←違いますよ。←やはり違わないのです。 |
投稿日 | : 2008/10/28(Tue) 19:25 |
投稿者 | : 途中参加ムスリム <assalaamalaikum@yahoo.co.jp> |
愛の概念が違うのではないですか?
異教徒である親を愛する。イスラムを頑なに拒み異教の習慣を固執し続ける親を愛し続ける。
それが結局誰のためになるのか?親の為になりますか?
イスラムを知らずして死んだ人にはまだ天国へのチャンスが残っている。しかし一度、イスラムを知って、イスラムをあえて拒み続ける人には天国への門はありません。あなたたちの親はもうイスラムを知っているのです。あなたたちが優しい主人と幸せな家庭に恵まれイスラムが正しい神の道だとすでに知っているのです。なのにイスラムを拒む。世間体か、民族への固執か、理由はそれぞれでしょうが・・・それでも親を愛する。クルアーンが禁じていても・・
それが親の為になるのでしょうか?
愛する人が地獄へ行くのを黙って見ているとは恐れ入ります。それとも、イスラムを信じていなくても自分の親は立派だから天国に行けるだろうなどと思っているのでしょうか?だとしたら信仰が足りません。今一度クルアーンを読んでみてください。アッラー以外の異教の神や先祖を拝むものは地獄に行くと書いてあります。
私は親にも一緒に天国に行ってほしいから、今はメッセージを伝えるだけ。愛しはしない。親は先祖を拝んだり、火葬にしたり、酒や豚肉を口にしたり、明確にクルアーンが禁じていることをするので今は私から会いには行かない。特に子供は。子供はまだ未成熟だから何が正しいか間違っているか分からないから余計に
ただし物理的、金銭的な援助は喜んでする。それはむしろ、ムハンマド聖人も推奨していることである。ただし心で愛することはできない。愛とはアッラー信じるものに対してのみ向けられる感情である。そうでない人は愛しません。それが信仰です。