イスラム掲示板(第3代目)
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タイトル 違わないのです。
投稿日: 2008/10/21(Tue) 18:21
投稿者途中参加ムスリム   <assalaamalaikum@yahoo.co.jp>


猫さんアッサラ−ムアライクム
まずは下記のサイトをご覧ください。
http://www.islam-qa.com/ja/ref/182
日本語が苦手ということですが当サイトは英語や、アラビア語、フランス語、ウルドゥー語、インドネシア語などでも見れますので猫さんの得意の言葉があれば、それで見てもらってもかまいません。

あなたの言葉の中に、「ガールフレンドの両親は我々の宗教を拒絶しているが、私はかれらを深く愛している」とあるが、アッラーと最後の日を信じるムスリムの男性が、アッラーと最後の日を信じず、アッラーが禁じることを禁じず、真の宗教を行わず、イスラームの宗教を拒絶する非ムスリムを、どうして愛することができるのか、驚かされる。これはクルアーンのアッラーの御言葉に反しているのではないだろうか。 スーラ・アル・ムジャーダラ(抗弁する女章 58:22) (意味の解釈): 「あなたは、アッラーと終末の日を信じる民が、アッラーと使徒 (ムハンマド- 彼に平安とアッラーのご加護を)に反抗するような者と親交を結ぶところを見ないであろう。たとえかれらの父や、子、兄弟や親族であっでも…」 あなたがかれらを呪い、かれらに対して武器を取り上げよと言っているのではない。しかしながら、彼らが全宇宙の主を否定し、信仰を否定することを忌み嫌い、また彼らが守っている虚偽の宗教を憎しむことが、あなたの義務である。一方では、心の中では嫌っていようとも、かれらを親切に扱い、かれらに優しくすることに異論はない。アッラーがあなたを通じてかれらをお導きになられるかもしれない。これらの二つの考えを注意深く考えるならば、対立も矛盾もないであろう。 さらに、彼女の両親が禁じられた行為(豚肉を食べること、飲酒など)を家の中でしないかぎり、あなたがたが結婚後、かれらと同居することに問題はない

この文は私が考えた文ではありません。一般的なイスラム法学者の意見です。そしてこの文は正しいと全てのムスリムは確信できるでしょう。なぜならたとえ、親や兄弟であっても無心者は愛してはいけないとクルアーンにしっかり書いてあるからです。
クルアーンに書いてない事で、あなたと私の意見が違うのはかまいません。しかしクルアーンにかいてある事は私もあなたも同じ意見でなくてはならない。じゃないとそれはイスラムではなくなってしまう。無信者の親は愛してはいけません。これは信仰です。
私たちイスラム教徒が一番に愛さなくてはいけないのは親でも子でもなくアッラーです。
そのアッラーを否定する人をなぜ愛することができるのか?アッラーを否定する人を愛することは、アッラーを愛さない事と同じです。これは大変な罪です。
以下も参照してください。


アッラーに讃えあれ。 1. そうである。それは正しい。アッラーの宗教を信じない者をカーフィルであると確信しない者は、カーフィルについてあっラーが我々に教えたことを信じていないことになる。イスラームの宗教が過去のすべての宗教を破棄し、人々はすべて過去の宗教が何であれ、この宗教に従わなければならないことを信じていない。 アッラー曰く(意味の解釈): 「イスラーム以外の教えを追及するものは、決して受け入れられない。また来世においては、これらの者は失敗者の類である。」 [イムラーン家章 3:85] 「(ムハンマドよ)言ってやるがよい:『人びとよ、私はアッラーの使徒として、あなたがた凡てに遣わされた者である。』 [高壁章(アル・アアラーフ) 7:158] 2. アル・カーディ・アイヤードによると:「ムスリムの宗教以外の宗教を信じる者、それに合意する者、ムスリムの宗教に疑いを持つもの、他の宗教が正しいという者、また外見はムスリムでイスラームを信じているが、他のことがすべて間違っている者は、カーフィルである。」 (アル・シファーア・ビ・タリーフ・フクーク・アル・ムスターファ、 2/1071) 3. シェイク・ムハンマド・イブン・アブダル・ワハービ(彼にアッラーの御慈悲を)によると: イスラームを無効にする最も重大な10か条 1. 配偶者も連れもいないアッラーに対する信仰で他の者を配すること。この確証はクルアーンの節に示される(意味の解釈): 「誠に、アッラーは(信仰で)(何ものをも)かれに配することをお赦しになられない。だがその他のことは御心に適えば適えば、御赦しくだされる。」[婦人章(アン・ニサーア) 4:116]. アッラー以外のもの、ジンや墓などに供物を捧げることも含まれる。 2. 自分とアッラーの間に介在者を置き、自分との仲裁を依頼する者は、学者の見解によるとカーフィルである。 3. ムシュリキーンをカーフィルとみなさないもの、またはカーフィルであることを疑うもの、またはムシュリキーンのやり方が正しいと思う者は学者の合意によって、カーフィルとみなされる。 かれらを列挙した後、かれは次のように述べた(かれにアッラーの御慈悲を): イスラームを無効にするこれらのすべての例では、その人物が冗談を言ったのか、真剣であったのか、恐れをなしていったのかは問題ではない。何かを強制された場合は例外である。このようなことは頻繁に起こっており、非常に危険である。ムスリムは注意し、自分に起こらないように気をつけなければならない。アッラーの怒りと痛ましい懲罰を受けるようなことから身を守ってくださるようにアッラーに祈らなければならない。ムハンマドにアッラーのご加護を。 (ムッアッラファータル・シェイク・ムハンマド・イブン・アブダル・ワッハーブ、 212, 213). 1. 規則(フクム)に関しては、シルクとクフルは同じである。 イブン・ハズム曰く: クフルとシルクは同じである。カッフィールはすべてムシュリクである。これはアル・シャーファや他の人々の見解である。 (アル・フィスル、 3/124). 2. ユダヤ人とキリスト教徒はクッファールであり、ムシュリキーンである。アッラーは申された(意味の解釈): 「ユダヤ人はウザイル(エルザ)はアッラーの子であるといい、キリスト教徒はメシアを、アッラーの子であるという。これはかれらが口先で言うところで、昔の不信心な者の言葉を真似たものである。かれらにアッラーの祟りあれ。彼らは心理からなんと迷い去ったことよ。… かれら (ユダヤ人とキリスト教徒)は、(アッラーによって命令されずに自分の欲望にしたがって正当、禁止と決めたことに従うことで)アッラーをおいて律法学者や修道士を自分の主とし、またマルヤム(マリア)の子メシアを(主としている)。しかしかれら(ユダヤ人とキリスト教徒)は、唯一なるイッラー(神―アッラー)に仕える以外の命令―ライラハイラフワ(誰もアッラー以外に使える権利を持っていない)を(タウラート(トーラ)とインジール(福音書)の中で)受けていない。 かれの外に神はないのである。かれらが配するものから離れて(高くいます)かれを讃える。 [悔悟章(アッ・タウバ) 9:30-31]. アブ・フライラの伝承によると、アッラーのみ使い (かれに平安とアッラーのご加護を)は申された:「ムハンマドの魂が委ねられた唯一のものによって、ユダヤ人もキリスト教徒も、私の言葉を聞かず、私が使わされたことを信じずに死ぬ者は、煉獄の住民になる。」 (ムスリムの伝承、 153) ユダヤ人がカーフィルではないという者はすべてアッラーの御言葉(意味の解釈)を信じていないことになる。 「かれらの拒否のため、かれらは仔牛(に対する信仰)を心の中に飲み込んでしまった。」 [雌牛章(アル・バカラ) 2:93] 「ユダヤ人のあるものは(啓典の)字句の位置を変えて、『わたしたちはあなた(ムハンマド)の言葉を聞いた、だが従わない。』と言い、また『あなた(ムハンマド)は、聞かされないことを聞け。』またその舌をゆがめてラーイナー(アラビア語では、『気をつけて我々のことを聞きなさい。我々もあなたの言葉を聞く』であるが、ヘブライ語では、『侮蔑』を意味する)と言い、また宗教(イスラーム)を中傷する。だがかれらがもし、『わたしたちは聞きます、そして従います』『我々に分からせてください』と言うならば、かれらのために最もよく、また最も正しい。だがアッラーはかれらが不信心なために、見はなされた。…」 [婦人章(アン・ニサーア) 4:46] 「かれらは約束を破り、アッラーのアヤー(証拠、確証、節、教訓、印、啓示など)を信じないで、無法にも預言者を殺し、『私たちの心は覆われている(使徒が伝えたことを理解しない)』と言う。そうではない。かれらが不信心なために、アッラーはその心を封じられたのである。だから信仰するものは極少数である。かれら(ユダヤ人)は不信心のため、またマルヤム(マリア)に対する激しい中傷の言葉(彼女が不正な性交渉を持った)のために。『わたしたちはアッラーの使徒、マルヤムの子イーサー(イエス)を殺したぞ』と言った。しかしかれらがかれ(イーサ)を殺したのでもなく、また彼を十字架にかけたのでもない。ただかれらにはイーサ(イエス)に見えただけであり、(かれらが殺したのは)別の男である。…」 [婦人章(アン・ニサーア) 4:155-157] 「本当に、アッラーとかれの使徒たちを信じないで、アッラーとかれの使徒たちの間を、分けようと欲して(アッラーを信じて、かれの使徒たちを信じない)、『わたしたちはあるものは信じるが、あるものは信じない。』と言い、その中間に、一つの路を得ようと欲する者がある。これらの者こそは、本当に不信心者である。われは不信心者のために恥ずべき懲罰を備えている。」[婦人章(アン・ニサーア) 4:150-151] キリスト教徒がカーフィルではないという者はすべてアッラーの御言葉(意味の解釈)を信じていないことになる。 「『アッラーこそは、マルヤム(マリア)の子メシアである。』と言う者は、確かに不信心者である。…」 [食卓章(アル・マーイダ) 5:17] 「『アッラーは三(位)の一つである。』と言う者は、本当に不信心者である。しかしイッラー(神)以外に神はないのである(誰も崇拝される権利を持たない)。もしかれらがその言葉を止めないなら、かれら不信心者には、必ず痛ましい懲罰が下るであろう。 [食卓章(アル・マーイダ) 5:73] ユダヤ教徒とキリスト教徒について、我々の預言者を信じず、従わない者はアッラーの御言葉を信じていない。 「本当に、アッラーとかれの使徒たちを信じないで、アッラーとかれの使徒たちの間を、分けようと欲して(アッラーを信じて、かれの使徒たちを信じない)、『わたしたちはあるものは信じるが、あるものは信じない。』と言い、その中間に、一つの路を得ようと欲する者がある。これらの者こそは、本当に不信心者である。われは不信心者のために恥ずべき懲罰を備えている。」[婦人章(アン・ニサーア) 4:150-151] アッラーが下されたこれらの確証から明らかなように、他に何が言えるであろうか。アッラーに讃えあれ。我々はアッラーのお導きを請う。預言者ムハンマドにアッラーのご加護を。


私の親も異端ですが、あなたは堂々と自分の親が無教徒だといっている。親がイスラムを信仰しないという立場を取ることを許容している。なぜイスラムを信じ、アッラーが唯一の神だと信じるあなたがそう信じない人の立場を許容し、かつ愛する事ができるのか?それは完全に信仰と矛盾している。いやそれでも親を愛しているというのなら、親がイスラムに入り天国に行くことは願わないのですか?愛する人がイスラムを否定し地獄へ行くを許容し、かつ愛しているといえるのですか?
私とあなたがすべき努力は親がイスラムに入るように導くことです。イスラムに入ろうとしない親を愛することではありません。それは偽りの愛です。本当に愛している人のことを思うなら天国に行ってほしいと願う。私はそう願うので、今はあえて親を愛さない。これは信仰であり、真実の愛です。
あなたも私も勉強中、知らなかったことは許される。でも猫さんは今日、ムスリムはムスリム以外愛してはいけないとクルアーんにかいてあることを知ったので、実践する義務が生まれました。お疑いならもよりのモスクでイマームに尋ねていただいてもかまいません。まったく同じ答えが出るはずです。


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