東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内マイントピア別子観光坑道(江戸時代の別子銅山 1)


観光坑道(江戸時代の別子銅山 1)



歓喜坑
"KANKI-KHO"

 
 歓喜坑は、元禄4年(1691)に開かれた別子銅山の最初の坑道でした。人々はこの将来有望な銅山の坑口に立って、前途を祝福し、抱き合って歓喜したところから、この名がつけられたといいます。
 


旧別子の歓喜坑
 

負夫(おいふ)と掘子(ほりこ)
 An ore carrier and excavator

 
 坑口の上には、銅山の守護神がまつってありました。背に葛で編んだ篭を背負った運搬夫(負夫)と採鉱夫(掘子)は螺の貝殻でつくった明かり取りを手にして坑内に入りました。
 


別子銅山図巻 入坑の図
 

掘場(つぼ)
 Place of excavation

 
 採鉱は主につちとのみなどを使い、手作業で行われました。また、地表近くで通気の良いところでは、薪に火をつけ、この熱で砕き、鉱石を採る方法も使われました。
 


別子銅山図巻 採鉱の図
 

湧水の引揚げ
 Water hand pump

 
 鉱石を採ると、石の目を伝って水が溜まり、採鉱が難しくなりました。そこでこの湧水を昼も夜も、坑外へ汲み出す作業が行われました。
 


別子銅山図巻 水引きの図
 

坑口と風呂場
 Mine entranceand bath room

 
 別子銅山では、歓喜坑を出るとすぐ共同浴場があり、大変便利につくられていました。銅山で働く人々は、その日の作業を終えると、これを使い、疲れを癒しました。
 
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