”汽笛一声新橋を・・・”で知られるこの歌は、全国の風物を歌い込んだもので、その中に足尾の文句が7番もある。足尾が歌われたのは足尾線が足尾に敷かれた大正元年(1912)以後であろう。
日光市
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18世紀末の英国の鉱山王グリン・ビビアンが、失明を期に入信し、後に鉱山労働者に対する宣教使命が与えられ伝道団を設立した。彼は「自己の遺産を以て全世界の一国に一教会を」との意志を伝え永眠した。日本では国内屈指の足尾銅山が選ばれ、現在の教会堂が明治41年(1908)に建立された。 日光市
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延暦7年(788)伝教大師が創立したと伝えられ、もと渡良瀬の地にあったが、明治元年僧茂海がここに寺基を移し現本堂を建立した。本堂には「足尾」の地名の由来となった勝道上人作の”波之利大黒天”の木像や、藤原秀郷の”陣旗”が納められ、境内には足尾銅山発展の礎を築いた坑長木村長兵衛の墓がある。 日光市
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