東人の新居浜生活あかがね探訪足尾銅山


足尾銅山


  関東に住所を遷てからも、暫くの間、足尾銅山に出かける機会が無かった。
 2007年になって、休日に日帰りで足尾銅山出かけることにした。
 
 調べてみると、東武鉄道桐生線の相老(あいおい)にて、わたらせ渓谷鐵道に乗り換えることになるが、約4時間かかることが分かった。
 時間的には、大阪まで出かけるのと同じぐらいかかる場所となる。
 朝、8:00前に出かけて、わたらせ渓谷鐵道の「通洞」駅に着いたのが、12:10であった。
 
 「足尾銅山観光」、「足尾歴史館」、「掛水倶楽部」、「古河橋」などの主なスポットを歩いて周り、「通洞」駅から17:20の電車で戻り、夜中に帰宅した。
 
 


わたらせ渓谷鐵道
通洞駅
足尾キリスト教会
宝増寺
  
 足尾銅山観光
通洞坑
通洞坑内部
通洞坑前広場
削岩機体験コーナー   
鉄道車輌
鋳銭座

 
 

通洞鉱山神社
足尾の山
足尾歴史館
選鉱所跡
足字銭と鋳銭座跡   
呑龍寺
足尾駅
  

煉瓦倉庫
掛水倶楽部
掛水役宅
銅山電話資料館
渡良瀬川発祥の地  
波之利大黒天
橋脚
  

藤間駅
下間藤 往時の賑わい
踏切跡
間藤水力発電所跡
上間藤 往時の街並
赤倉 往時の街並
古河橋
精錬所
直利音頭
  
→あかがね探訪に戻る

わたらせ渓谷鐵道

   2007年5月の連休の時に足尾銅山まで行ってみることにした。
 東武鉄道の東武動物公園駅で桐生線特急に乗り換え相老まで行き、わたらせ渓谷鐵道に乗り換えた。

 相老駅で電車を待っていると、やや古い形の茶色い電車が入ってきた。
 連休でもあり電車は混雑していた。
 後で分かったことであるが、鉄道を使って足尾銅山に行く人はあまり居ないようで、登山かその他の観光地に行くのが目的の人が多かったようだ。
 予定していた通洞駅までは、約1時間半の行程であった。
 
 わたらせ渓谷鐵道の運転本数は少なく、現地での移動に利用するには時間が合わなかった。
 結局、通洞駅から終点の間籐駅の先の古河橋まで歩き、さらに通洞駅に戻ってから帰りの電車を待つことになった。
 
 帰路では、途中で車両の調子が悪くなったとのことで別の電車と交換するというハプニングがあり、相老駅への到着が遅れて東武鉄道との連絡も悪かった。
 

→戻る

通洞駅

 わたらせ渓谷鐵道に乗車して約1時間半で通洞駅に到着した。
 隣の駅が足尾駅であるが、通洞駅が足尾銅山観光の最寄り駅となる。
 
   
通洞駅は小さい駅ではあるが、周辺は比較的広い平地が広り、人家が立ち並んだ街であった。
 これだけの平地と交通の便があったので、銅山が閉山しても人々の生活は続けられたのだろう。
 閉山と共に人々も去っていった別子の鉱山街とは異なる街であった。
 


鉄道唱歌足尾編

 ”汽笛一声新橋を・・・”で知られるこの歌は、全国の風物を歌い込んだもので、その中に足尾の文句が7番もある。足尾が歌われたのは足尾線が足尾に敷かれた大正元年(1912)以後であろう。

 
31 
町をめぐれる渡良瀬の  
水上深く尋ぬれば
いにしえ勝道上人が
白き猿に案内させ
32
分け入り初めし所とて  
その名に因む庚申山
百聞幕の巌石を
ながめてゆけば茸石
33
さきにそばたつ櫓石  
見るもいぶせき女体石
おののきおののき一の門
くぐれば数丈の梵字石
34
谷間にそいて屹立し  
風に傾ぶく風情なり
さらに進めば富士見石
拳に似たるさざえ石
35
ろうそく石は道の果て  
ここに踵をめぐらせば
胎内くぐり二つあり
小なるほうは匍匐いつ
36 
大なるほうは立ちしまま  
くぐりくぐれば奥の院
数えつくせぬ怪石の
奇景は真に別世界
37
山に続きて二里南  
銅鉱出す足尾あり
富田すぐれば佐野の駅
葛生 越名にいたるみち
日光市
 

 このモニュメントは、足尾町町制100周年の記念として建てられたものです。
 台座の山形は、足尾の山なみを、空洞の部分は長い歴史を持った足尾銅山坑道を表しています。
 赤銅に輝く上部は、足尾町の未来・発展を望む「飛翔」を表しています。  
平成元年11月 足尾町
 
   
通洞駅の前に足尾町分庁舎の建物があり、「足尾銅山観光 300m先」の看板が掲げられていた。
 
 その横には「足尾銅山の世界遺産登録をめざしています」という看板もあった。

 

→戻る

足尾キリスト教会

   通洞駅と足尾駅の中間地点に足尾キリスト教会があった。

 

足尾キリスト教会

 18世紀末の英国の鉱山王グリン・ビビアンが、失明を期に入信し、後に鉱山労働者に対する宣教使命が与えられ伝道団を設立した。彼は「自己の遺産を以て全世界の一国に一教会を」との意志を伝え永眠した。日本では国内屈指の足尾銅山が選ばれ、現在の教会堂が明治41年(1908)に建立された。
 
日光市
 

→戻る

宝増寺

   足尾キリスト教会の近くに宝増寺という寺院があった。

 

宝増寺

 延暦7年(788)伝教大師が創立したと伝えられ、もと渡良瀬の地にあったが、明治元年僧茂海がここに寺基を移し現本堂を建立した。本堂には「足尾」の地名の由来となった勝道上人作の”波之利大黒天”の木像や、藤原秀郷の”陣旗”が納められ、境内には足尾銅山発展の礎を築いた坑長木村長兵衛の墓がある。
 
日光市
 

→戻る