東人の新居浜生活あかがね探訪足尾銅山足尾銅山(1)


足尾銅山(1)


足尾銅山観光

 
 新居浜の
マイントピア別子に相当する施設。
 「足尾銅山観光」と、名称はそのものズバリである。
 
 わたらせ渓谷鐵道の通洞駅から歩いて5分程の所、渡良瀬川に架かる通洞大橋の真下に「足尾銅山観光」の入口があり、標高617m の表示があった。
 

 入口から少し下ると、チケット売り場がある。
 チケット売り場の上がトロッコ乗り場となっていたが、当日は通洞寄りのもう一つの乗り場からトロッコが出ていた。
 
 トロッコは、小さな広場を抜けると直ぐに通洞坑に入る。
 この広場が車輌基地であったのだろう。
  
 

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通洞坑

 

通洞坑

 明治18年(1885)開坑に着手し、11年の才月をかけ本山坑と貫通させ、足尾銅山の大動脈となった。
 昭和48年閉山となり日本最大の銅山は歴史を閉じた。
 
日光市
 

 
 通洞坑の入口右側に「山の神」が祀られている。
 別子銅山の大山積神社と同様、人々は「山の神」に安全を祈願しながら入坑していったのだろう。
  
 「山の神」については、チケット売り場に説明があった。
 

足尾民芸
山の神

 山深い足尾の谷々にも石器時代から人々が生活してきました。住民の多くは災難や厄病などをすべて魔の仕業と考えていたようです。山の神はその魔を除き人々の幸を守る神この神を祭った処が、山の神という地名で今でも処〃に残っております。
 

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通洞坑内部

 
 通洞坑に入り、少し進んだ所に降車場がある。
 ここから先は坑道を歩いて見学することになる。
  
 降車場の先にも通洞坑が続いているのが見学できる。
 
 
 坑道の中の展示場では、人形を使って当時の作業風景を再現している。
 人形は、等身大の大きさで、表現の豊かなものが多かった。
  
 展示場では、「江戸時代」、「明治、大正時代」「昭和時代」と時代毎の採鉱作業が展示されている。
 

 坑内は暗いので、撮影した写真はピンぼけが殆どであった。
 
 出口付近には、広い展示室が設けられ、明治時代から使われていた電気機関車や精錬工場の模型などが展示されていた。
 

電気鉄道の敷設

 
 足尾銅山では、1885年(明治18年)、「本口坑〜精錬所」間にドゴビール
式軽便鉄道を敷設し運搬作業の効率化を図りました。
 また、1891年(明治24年)には国内初の電気鉄道を「本山〜精錬所」
間に敷設し、自家製の電車を使用し実用化させました。
 
 

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