東人の新居浜生活あかがね探訪足尾銅山足尾銅山(6)


足尾銅山(6)


煉瓦倉庫



 足尾駅の近くにテニスコートがあり、その傍らに赤煉瓦造りの建物が目についた。
 このテニスコートの場所に、かつては足尾鉱業所事務所があり、煉瓦造りの建物は書庫として当時から使われているものであった。
 

旧足尾鉱業所事務所付属倉庫

 明治40年(1907)暴動により本山鉱業所事務所は焼失し、明治43年(1910)に掛水倶楽部と隣接するこの地に新事務所が建設された。
 洋風の赤レンガとの木造の2階建で、この赤レンガの建物は付属の書庫として建設され、現在もその役割を果たしている。
 鉱業所事務所は大正10年(1921)足利市庁舎として売却され、その後昭和40年代後半に老朽化により取り壊された。その後敷地跡は古河虎之助社長を主賓とした大園遊会に利用されたが、現在はテニスコートとして利用されている。
 
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掛水倶楽部




 入り口

 撞球室
 煉瓦倉庫のあるテニスコートの隣に掛水倶楽部がある。
 掛水倶楽部は、足尾銅山の迎賓館であり、古河機械金属株式会社の福利厚生施設として現在も使われているが、土・日・祝日には一般に公開されている。
 


パンフレットより
 掛水倶楽部は明治32年(1899年)に足尾銅山の迎賓館として建設され、当初は和洋折衷の構造になっており、明治34年刊の「足尾銅山図絵」には和風の挿絵が掲載され、又明治36年発行の蓮沼業雲著「足尾銅山」にも「渡瀬の袂・・・・洋風の大館和風の高桜相並ぶ・・・・応接所、広間、食堂、寝室及び娯楽の各室を設け・・・・・」とある。明治43年鉱業所の掛水事務所新築に伴い、和風部分を洋風に改築し、正面は洋風2階建て、庭園側は石造りの部分も含め3階建てとなり現在に至っている。

 
営業日時
土・日・祝日 AM10:00〜PM3:00
 ウィークデーは事前予約にて受付
連休公開:4月末〜5月初めの連休中
冬季休館:12月上旬〜3月下旬

入場料
大人 300円
小・中学生 200円
20人以上の団体は20%割引

問い合わせ先
平日      tel.0288-93-3255   
         fax.0288-93-3386
土・日・祝日  tel.0288-93-2015
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掛水役宅

 掛水倶楽部の案内図にて、「鉱石資料館」となっている建物は、幹部職員用の住宅の一つであった。
 閉館時間間際であったので、内部には入らず、外から建物だけを見てきた。

掛水役宅

 この建物は明治44年(1911)、幹部社員向けに建設された社宅で、床面積は約42坪あり、10畳間1室、8畳間3室、6畳間1室、3畳間1室、勝手、浴室となっており、6畳間は書生部屋、3畳間は女中部屋に使用された。
 庭園部分は約216坪で、第2次世界大戦の時には「古河家」の疎開に使用された事から、庭には防空壕が作られている。
 掛水地区の社宅は明治末期から大正初期に建設され、今もそのほとんどが使用されており、板塀、砂利道、木製電柱等、町並みそのものが古いまま残っており、貴重な建物群である。



 

この辺りには、「鉱石資料館」として公開されている役宅以外にも、同じような造りの家が並んでいる。
 ここに管理社員の住宅が集まっていたようで、別子銅山で言えば
星越の山田社宅のような場所であったのだろう。
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銅山電話資料館

   掛水倶楽部の敷地内、入り口の近くには「銅山電話資料館」があったが、閉館時間になったため、中までは見ることはできなかった。

銅山電話資料館
 

 明治9年(1876)ベルが発明した電話機は翌明治10年に日本輸入されたが、私企業では明治19年(1886)足尾銅山の坑内外で使用され、これが民間第1号であった。
 明治23年にはドイツのシーメンス社より坑内電話機を購入し電話網が整備され、明治40年の「足尾鉱業所電話番号表」では100回線となっており、足尾町全町のみならず、遠くは日光まで通話する事ができた。
 当時の交換局は本山事務所にあり、束髪の交換手2名が終日従事したと言われている。 この交換所は昭和26年(1951)間藤より移設、昭和40年に自動交換機を導入した。
 その後、携帯電話などの発達により、平成12年3月にその役目を終えたが、現在も使用可能で当時の電磁式の電話の体験や交換機の動く様が見学できる。
 

昔なつかしい電話機を体験しよう!

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