東人の新居浜生活あかがね探訪


あかがね探訪


 新居浜を離れてからも、機会を見つけて鉱山や銅にゆかりのある場所を訪れてみた。

石見銀山 (島根県) 【更新】(2007/06/30)
足尾銅山 (栃木県) 【更新】(2009/01/11)
日立鉱山 (茨城県) 【更新】(2010/04/12)
佐渡金山 (新潟県) 【新着】(2011/01/06)
和銅遺跡 (埼玉県) 【更新】(2011/05/05)
大阪地区 銅座跡 【更新】(2004/03/03)
  住友銅吹所跡 【更新】(2004/02/27)
  大阪歴史博物館 【更新】(2004/11/05)
  大阪府立中之島図書館 【新着】(2004/03/31)
  川口居留地 【更新】(2004/04/10)
奈良 薬師如来像 【更新】(2004/05/09)
富山県 高岡 日本最大の銅なべ 【新着】(2004/03/06)
  格子造りの街並み 【更新】(2004/03/18)
  高岡大仏【新着】(2004/03/24)
  時鐘 【更新】(2007/04/19)
  


 【参考資料】佐々木幹郎/著 普後均/写真 「すみとも風土記 −銅が来た道−」 NTT出版 (2001.3)

大阪府立中之島図書館

        
 大阪の地下鉄御堂筋線淀屋橋駅の北側、土佐堀川と堂島川に挟まれた中之島地区には、大阪市中央公会堂や日本銀行大阪支店などの古い建築物が建ち並んでいる。
 その中に大阪府立中之島図書館がある。
 この図書館は住友の事業が大阪を本拠として発展してきたことを感謝して、住友家第15代住友吉左衞門友純(ともいと)により寄付されたものである。
 石造り三層、銅葺きのドームの特徴ある建物で、野口孫市設計により明治37年(1904年)2月に完成した。
 さらに、大正11年(1922年)には左右両翼部分を増築寄贈している。
 大阪での銅精錬や銅の取引により生み出された富がいかに大きかったかがうかがい知れるものである。
 
 この建物は、昭和49年(1974年)国の重要文化財の指定を受けている。
 

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川口居留地

        
 (大阪市西区川口1丁目5)
   
 地下鉄中央線及び千日前線の交わる阿波座駅を出て西に進み、木津川を渡った対岸に本田小学校があり、その北西角に川口居留地の碑が残っている。
 
 川口居留地は幕末の開国から明治の始めにかけての大阪での外国貿易の表玄関として開発された土地であった。
 慶応3年(1867)、安治川と木津川、百間堀川が三つに分岐する川口という地点に税関が設けられ、翌年に26区画が競売にかけられ専管居留地となった。
 
 鰻谷に本店を置く住友も、明治6年(1873)に、この地の富島という所に出店を設け、明治8年(1875)には、住友本店が鰻谷から富島に移転した。
 
 海外交易の拠点となるべく開発された地区であったが、安治川の川底に溜まる土砂のために船の着岸が不可能になって、この地は寂れていった。
 住友本店も明治28年(1895)には富島から中之島に移転している。
 
 


 
 慶応4年7月29日(1868.9.15)居留地26区画が外国人に競売され、大阪川口居留地の歴史が始まった。
 居留地に接する本田・富島・古川・梅本町も外国人雑居地となった。
 明治19年(1886)には10区画の増設があり、明治32年(1899)7月に居留地が撤廃されるまで、この付近は洋館や教会・学校などが並び、各国人が散策するなど、大阪の文明開化を象徴する場所として、異国情緒豊かな雰囲気を漂わせていた。
 上図は居留地の建物の推定復元であるが、必ずしも同年代ではない。碑の位置は雑居地の場所にある。
 
        
 かつては、この地には外国人が居留し、洋風の建築物が建ち並んでいたようであるが、今では当時の建物は残っていないという。
 川口居留地の碑の近くで、日本聖公会川口基督教会の煉瓦造りの建物が目を惹く。
 これは明治6年に創建され、大正4年に再建された建物とのことであるが、当時の面影を伝えている。
 
 

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薬師如来像

        
 出張のため奈良に移動した時、薬師寺に立ち寄った。
 丁度、団体の人達が到着し、お坊さんの説明が始まった。
 
 この薬師如来像は西暦700年に造られたもので、日本国内で銅が生産されるようになったのが710年*であり、薬師如来像は中国から運んだ銅により作られた。 という説明であった。
 
 当時は銅は貴重なもので、金と同じぐらいの価値があった。そのため、「金と同じ」と書くとの落ちがついていた。
 
 確かに、銅というものは、当時としては貴重な物であったろう。薬師如来像を作るための銅を運ぶのも大変であったろうと思う。
 
* 後で調べてみると、日本で最初に銅が生産されたのは708年で、武蔵国秩父から献上された銅を用いて貨幣(和同開珎)がつくられ、年号も和銅と改められたという。
 
 


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