しばらく歩いていると、コンクリートの橋の脇に鉄橋が見えた。
これが古河橋であり、今は歩行者も通行禁止になっていた。 対岸には大きな精錬所が見え、昔はこの橋に鉄道が通っていたらしい。 精錬所への物資輸送のための重要な橋であったのだろう。
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足尾精錬所 |
足尾事業所 |
この広場で、大正13年(1924)に赤倉町務会が「八木節」を始めたことが切っ掛けであろうか。時に、足尾銅山労働大争議(大正8年・10年)で荒れた後でもあり、文化・スポーツの振興に機運が高まる中、本山坑勤務の畑中清(舟石出身)・堺正高(フランキー堺の父)等が、銅山に相応しい盆踊り唄を作ろうと、同年から毎年歌詞を募集し、当選歌を社内報で発表した。お囃子、振付けも創作され、昭和2年(1927)頃に「直利音頭」に変えて踊るようになり、足尾の盆踊りとして定着し全山で盛大に行われた。しかし、この広場での盆踊りは平成8年を最後に思い出を残して幕を閉じた。 直利:銅鉱を多量に含んだ良質の鉱脈。
日光市
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