足尾銅山の本山坑・小滝坑・通洞坑の三山にそれぞれ山神社が建てられた。 当神社は銅山最盛期の頃の大正9年(1920)に鉱業所がこの地に移設されたとき造営され、以後、山神祭も盛大に行われた。 通洞坑の開発は明治18年に着手されたが、それまで足尾銅山発祥地の簀の子山神社を祀っていた。 日光市
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愛敬のある独特な顔のこの狛犬は、享保3年(1743)に彫られた簀の子橋山神社にあったが、大正9年当神社造営のときここに移された。 日光市
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足尾歴史館の玄関に、このような鉄道車輌が置いてあった。 「足尾銅山観光」に展示してある1屯角鉱車とも形が違っているが、特に説明はついていない。 別子銅山で使っていた三角坑車に似ている。 傾斜させて鉱石を降ろしたものであろう。 |
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地名の由来として”ねずみの話”があります。 むかし「勝道上人」という僧侶が日光のお寺にいたとき、ある日一ぴきの”ねずみ”が粟やひえの穂をくわえて、どこからともなくあらわれたり姿を消したりしたので、上人はこの山奥に粟やひえの穂があるはずがないと不思議に思って、このネズミの足にひも(緒)を結んで目じるしにして、そのあとをつけてみると、山のふもとの方に人家がありました。 そこで上人はここを「足緒」と名付けたのが後に「足尾」となりました。 上人はそのあたりは僧が修行をつむのに適している土地だと考えました。 その後、上人の弟子たちがこの土地へ来て、修行をつんだり寺を建てたりしたのが足尾のおこりだといわれています。 一方、学問的には、地形的なことから山の高いところや山のふもとの延びたところを「尾」ということや山の峰つづきを尾根とよんだりすることからこの地名がつけられたのであろうとみられています。 足尾の近くに細尾や粕尾という地名があるのも興味深いことです。 また勝道上人とゆかりのあるねずみが入ったという”ほこら”が大黒橋のたもとにあり、現在は波之利大黒天として祀られています。 秋には大黒天まつりがひらかれていて、みこしが町中をねり歩きます。 |