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ザカート・フィトルについて 投稿者:a 投稿日:2013/08/02(Fri) 04:04 No.642   
【ザカート・フィトル第1回目】
 ザカート=フィトルとは、貧しい者と裕福な者をイードの日に親しく結び付け、間近に迫ったイードをすべてのムスリムが迎えるための喜びを与え、また、斎戒の月の間の無意味な言動・行動から浄化するためにおこなわれるものである。ハディース((アッラーの御使いは、ザカート=フィトルを義務づけた。無意味な言動・行動の罪から斎戒者を浄化し、貧者に給養する。))とある。いわばラマダーンの仕上げのような義務である。

では1.誰が?、2.誰に?、3.いつ?4.どのように?5.いくら支払うのか?学んでいこう。

第1回目は1.誰が、5いくら?。

 ハディース((アッラーの御使いは、ラマダーンのザカート=フィトルをすべての人に義務とした。老いも若きも、自由人であろうが、奴隷であろうが、男であろうが、女であろうが、ナツメヤシをサーア、または小麦をサーア。)) (注:サーアとは、升の単位で約2.2キロの小麦の量に当たる。)
 このハディースによれば、年齢・性別・貧富の差に関係なくすべてのムスリムは、ザカート・フィトルを支払わなければならないということになっている。
 額は、ナツメヤシまたは小麦を1サーアとハディースに述べられているが、もちろん日本においてナツメヤシや小麦はあまり現実的ではなく、つまりこれらは主食ということなので、置き換えれば米ということになり、米1サーア分(2.2キロ)である。現物で支払ってもいいが、貨幣経済の現在ではそれを貨幣に換算して収める方が処理が簡単である。品質によって金額が変わることになるので、一応日本では1,500円/人と決めている(ちょっと高めだが、従ってもらいたい)。

具体例として、1家族:祖母、父、母、長女、1歳の赤ちゃんの5人家族では、5X1500=7.500円。

胎児については、見解が異なり、120日以上なら一人とカウントするという見解があるが、一般的には胎児はカウントしない。

また海外で支払うという考え方もあるが、それについてはマナーとして自分が所属する社会の中で支払うのがいい。

Re: ザカート・フィトルについて - a 2013/08/02(Fri) 04:05 No.643
【ザカート・フィトル第2回目】
次は3.いつ支払うかということを見てみよう。

★ザカート=フィトルが義務となる時間帯:
○ハナフィー派と一部のマーリキ派
・・・イードの日のファジュル(曙)から
○シャフィイー派・ハンバリー派・一部のマーリキ派
・・・ラマダーンが終ったマグリブ(夕方)から

イードの礼拝前に、ザカート・フィトルの支払いが義務となる時間帯だ。ハナフィーはわずか数時間、それ以外でも12時間少々である。日本のようにマスジド数が少なく、ムスリムも点在している状態であれば、なかなかこの義務の時間帯に支払うのは難しいかもしれない。イードが終わってしまえば、支払期限に間に合わなかったという結果になるので、できれば先に済ましておきたいものだ。
そこで次に見てもらいたい。

★先に支払うことができるか?
○マーリキ派・ハンバリー派
・・・1日や2日早めることができる。イブヌ=ウマルが言った((サダカ=フィトルはイードの前1日か2日に渡していた。))
○シャーフィイー派
・・・イードの礼拝の前に支払うのがスンナである。礼拝より遅れることはマクローフであり、何の理由も無いのにイードの日より遅れることはハラームである。
○一般的なハナフィー派
・・・ラマダーンの間なら早めることは可能である。

これらを見渡したところ、ラマダーン中に先に支払う方が現実てきである。
シャーフィイー派は礼拝前に支払うのがスンナと書いているが、礼拝前とはひろくラマダーン月でもOKというように捉えている。
実際シャーフィイー派法学を採用しているマレーシアでは、近年ではラマダーン中にすでに各マスジドでザカート・フィトル受付カウンターなどを開設して便宜を図っているくらいである。
ハナフィー派はもちろんラマダーンの間なら可能である。

ところで、法学派は上に主要4法学派を述べている。ハナフィー、シャーフィイー、マーリキ、ハンバリーの4つである。日本では、ハナフィー法学(南アジア、中央アジア、中国、トルコなど)か、シャーフィイー法学(東南アジア、シリア、エジプトなど)が主で、どちらかの法学派にしたがうことにしよう。


Re: ザカート・フィトルについて - a 2013/08/02(Fri) 04:08 No.644

【ザカート・フィトル第3回目】

2.誰に?4.どのようにについて述べてみよう。
さて誰にザカートを支払うかについては、クルアーンのこのアーヤに述べられている。

 コーラン第9章60((施し〔サダカ〕は,貧者,困窮者,これ(施しの事務)を管理する者,および心が(真理に)傾いてきた者のため,また身代金や負債の救済のため,またアッラーの道のため(に率先して努力する者),また旅人のためのものである。これはアッラーの決定である。アッラーは全知にして英現であられる。 ))

 上記のようにアッラーはコーランの中でザカートを受け取れる権利があるものを次の8種類の人々と定めている。
1、貧者
2、困窮者
3、施しの事務を管理する者
4、心が真理に傾いてきた者・・・・新入信者
5、身代金(奴隷の開放のために)・・・現在では考えられない
6、負債者
7、ジハードする者(戦場に赴く者、学習に赴く者など)・・・留学生はこれに当たる。
8、旅行者

この8種類のどれかの人に直接ザカート・フィトルを手渡してもよい。その時には、これはザカート・フィトルであると受け取る側にも伝える方がよい。その際受け取る側も、8種類のどれかに該当するのであれば、快く受け取ってあげるようにしよう。支払う側は自分の義務を果たせ、また、受け取る側は支払う側の義務行為に協力してあげてたと考えよう。

個人対個人のやり取りが大変な場合は、マスジド、イスラム団体などがザカートの受付・分配を行っているので、任せよう。
イスラムのホームページのイスラム便利帳(マスジドリスト)参照
http://www2.dokidoki.ne.jp/islam/benri/benriindex.htm



支払い方とすれば、各マスジドや団体に持参するのもよし、あるいは、近年では銀行振込を利用することも多い。その際、振込先を間違えないようにwebで確認することをお勧めする。


成田空港礼拝室 投稿者:a 投稿日:2013/08/02(Fri) 03:39 No.640   
成田空港には各ターミナルにムサッラーがあるというので、やってきた。第1ターミナル5階のsilence roomがそれだ。ところが貼り紙があり、施錠されている。使用するには4階の案内所に申し出、警備員に開けてもらわなければならないそうだ。異常!3分の礼拝のために、とんでもない手続きだ。ここではあきらめ第2ターミナルへ移動した。

Re: 成田空港礼拝室 - a 2013/08/02(Fri) 03:54 No.641
第2ターミナル1階に、silence room( ムサッラー)はあった。救いなのは、案内所がすぐそばにあったことだ。警備の人が鍵を開けにくるのに5分ほどかかった。礼拝と写真をとって出た。3分だった。案内の人とおしゃべりを10分して空港を後にした。これぞ珍百景の礼拝所だった。成田空港に行ったら皆さん礼拝所を使いましょう。

成田空港に礼拝室がターミナルごとに2つあるのはありがたいことだ。でも、礼拝が2分〜10分で終わることをご存知ないようで、使用するまでの手続きで礼拝時間よりかかるのでは、誰も使用しないだろう。開けっぱなしにしていただきたいものだ。さらにSilnce Roomというネーミングは、他の宗教にも配慮したのだろうが、礼拝のイラストやイスラムのマークでもつけていれば、人々はひっきりなしに使用するのに、これでは、誰もわからず、使用しないだろう。私が礼拝室の前で開錠してもらうのを待ってる間にイスラム教徒の人が何組も通っていた。
4人に一人はイスラム教徒という世界の人口比があり、また、イスラムの礼拝は生活の中に生きており、1日5回行われる。ほかの宗教に祈りがこのように生きている宗教はないはずだ。イスラムの看板を出して、使用してもらっても問題はないのではなかろうか。

写真は礼拝室内部。何も置いてなかった。
関空礼拝所は常時開いてて、キブラの方向表示、クルアーンまで置いていたのとは、大違いであった。



大砂嵐関登場 投稿者:a 投稿日:2013/08/02(Fri) 03:34 No.639   
7月26日 サウジアラビア大使館で開催された北海道イフタールシンポジウムとそのパーティーにエジプト人力士・大砂嵐が登場した。大砂嵐関は参加者と交流した後、広尾のアラブ・イスラミック学院の礼拝所で、タラーウーの礼拝を行った。ほかの人よりも一つ頭が抜けており、横幅も広く、礼拝の列の中でずっと目立っていた。

エジプトのクーデター 投稿者:a 投稿日:2013/08/02(Fri) 03:14 No.638   
つれずればなより転載---

エジプトで1980年代から長年続いたムバラク政権が倒れたのは去年のこと。「現代のファラオ」と評されたムバラクが失脚したのを受けて大統領選挙が行われ、当選したムハンマド・ムルシーはエジプト初の国民に選ばれた指導者だった。

ムスリム同胞団

ムルシーの所属するイスラム政治団体「ムスリム同胞団」はその名のとおりイスラム教の教義に基づく政治を志す組織である。その歴史は古くエジプトにおけるイギリスの殖民支配が終焉を迎えた後に結成されて以来、幹部の暗殺や投獄などの弾圧を受けながらも草の根の活動を続けてきた。その内容は民衆の教化(もともと教徒である民衆のイスラーム知識を深めること) 、モスクや病院の建設、貧者救済という地道なものであり、世界に悪名高いアルカイダやヒズボッラーなどとは性質が違う。組織は時とともに拡大を見せた。その影響はシリアやパレスチナをはじめとするスンニ派のイスラム諸国に広く及ぶ。同胞団のパレスチナ支部であるハマスは武装部隊であったが現在は穏健化し同国の政権政党になっている。
かつてのハマスのように同胞団の中には武装派がいくつか存在する。中東不安定化を目論む西欧が巧みに彼らを利用したことから多くの血が流れた。ウサマ・ビン・ラッディーンは同胞団の出身ではないにしても関係は深く、結局はここからアルカイダのようなテロ組織が生まれてしまった。時おり議論にのぼる同胞団とCIAとの癒着はこのあたりを指摘したもの である。

アラブの春と呼ばれる市民蜂起の結果解体されたムバラク政権はアメリカ合衆国が糸を引く傀儡政権であった。ムバラクにエジプトの石油利権をしゃぶらせる代わりにイスラエルの防護壁になり、湾岸諸国と提携して原油の価格をアメリカの意向で動かすよう命じられていた。また世俗主義を標榜してイスラム主義を地に貶めることもムバラクの大事な使命であった。アメリカの支援で整備された軍はその権力を振るい放題であった。エジプトの石油、電気、産業、その他思いつく限りの企業の経営は軍人とその親族に占められてる。それ以外の市民といえば、仕事がほしければ軍人に擦り寄り便宜を求める必要がありそのためには世俗側の立場をとらなければならなかった。信仰を守り世俗主義に染 まらない市民の生活がどのようなものかは想像にたやすい。この市民がかたくなに拝金主義の世俗派と一線を画し続けたのは長年にわたるムスリム同胞団の活動がそうさせたと言える。

ムルシー政権

日本を含む各国のムルシー政権への評価は厳しく特に経済の失策が強調されている。国の舵は一年やそこらで切ることのできるものではないことを指摘できる心ある政治学者などは存在しないらしい。新政府とすら呼べるこの政権にすぐさま評価を下すことなど不可能である。ましてや、選挙で大統領に選出されたとはいえ閣僚や軍部の高官そして資源と資本を握るのは旧勢力の残党ばかり、ムルシーはまさに裸で政界に乗り込んだといえる。ムルシー政権に移行するやいなや電気水道の供給が滞り燃料 と食料の価格も軒並み上がった。産業も停滞を見せた。これは旧勢力がムルシー政権に対しての国民の不満を煽るためにおこしたサボタージュであった。
ムルシーに失策があったとすれば急激なイスラム化にともなう非イスラム層への配慮の少なさであろう。陸海空軍司令官を解任し、軍部が作成した新憲法草案を破棄、閣僚の人事はイスラム色を弱めつつも官僚には同胞団の幹部から任命した。エジプトには少数ながらもコプトとよばれるキリスト教徒もいれば、先述の世俗層はすでに非イスラム教徒と形容しても過言ではなく、その非イスラム層が恐れるのは社会でイスラム層ばかりが優遇され自分たちが冷遇されることである。そういった広い層からなる国を収めるのは難しい。最初からシャーリア(イスラ ム法)を表に押し出しすぎたのでは抵抗にあうのは目に見えている。成果を出しながら民意がついてくるのを待たなければならない。
大統領であれば不支持層を含めた全国民に責任がある筈、選挙に勝って選ばれたにしても自らを支持する特定の集団だけを優遇したのでは前任のムバラクや日本の某政党と何もかわらない。それは民主主義がどうのと言う以前に統治者としての最低の義務である。

数の上ではイスラム層が世俗層(非イスラム層)をやや上回る。2012年の大統領選挙が示す数字である。

7・3 クーデター勃発

2013年6月30日、ムルシーを支持する国民と支持しない国民がそれぞれ大集会を開く。政府閣僚たちははデモに同調するかのように次々と辞任し内閣は空中分解した。騒 然となったカイロをはじめとする都市という都市では軍がデモ鎮圧に乗り出した。その騒ぎに乗じて7月3日、国防大臣のシーシーはムルシー大統領を拘束し大統領権を剥奪したとの声明を発した。直後に最高裁判官のマンスールを大統領とする暫定政権を樹立、自らが擁立した大統領の前で宣誓し副首相に就任した。これほど滑稽な茶番があるだろうか。このシーシーという男は数年後にはムバラクの如く使い捨てにされるであろうことを想像できないらしい。
この時点でエジプトで起こったこの事件を「クーデター」と表現し非難したのはトルコだけである。アメリカは軍の行動に憂慮するとしながらもクーデターとはいわなかった。

ムルシーを支持する市民は連日のように数万人規模の集会を開きこれに 抗議し「大統領を返せ」と叫ぶ。

7・8 虐殺

クーデタ以後もカイロでは市民がアディヴィエ広場で寝起きし昼夜を問わず軍に対して抗議の声を振り絞っていた。そしてラマダーン(断食月)が始まろうとするその前日であった。広場で朝の礼拝を行う群衆に軍が背後から発砲し五人の子供を含む55人が殺害された。軍はこれを「やむを得ない迎撃であった」と発表する。立ち姿勢から膝を折って床にひれ伏すことを何度も繰り返し行う礼拝の真っ最中に軍に向けて先制攻撃を仕掛けるのは不可能であり明らかな虚偽であるが西欧のメディアは軍の発表をそのまま報道する。アメリカ政府とEUと国連は遺憾だの憂慮だのとモゴモゴ言っていた。

礼拝中の丸腰の市民に向けて発砲することが「迎撃 」であるのならば礼拝そのものを軍に対する「攻撃」とみなしていることになるが、違うだろうか。

この虐殺の後もムルシーを支持する市民は広場を離れずそのままラマダーンを迎えた。日中は40℃を越える炎天の下で断食をしつつ暫定政権への抗議を続ける。この暫定政権発足後は停電も断水もなくなった。

この状況を同じイスラム教国はどうみているか。湾岸諸国(サウジアラビア、アラブ首長国、レバノン、ヨルダンなど)はムルシーの退陣を歓迎する声明を出した。シリアのアサドも同様にエジプト軍を擁護する。これら産油国政府にとって市民を救済し教化し続けるムスリム同胞団は非常に煙たくその台頭を恐れているからである。またシリアには同胞団に対する大虐殺の過去があり70年代以 来つづく確執がある。アサド政権と戦闘状態の数ある集団には同胞団も含まれているためさらに煙たい。

シーシーはムルシーを拘束後に告発、その罪状は「犯罪組織ハマスと協力関係にある」。ハマスは誕生以来ずっと同胞団の傘下にあるというのに今更なにをほざくか。

欧米の算段

アメリカは長年エジプト軍をイスラエルの番犬として兵器を供与してきた。これはアメリカ内の右派とユダヤ勢力の意向であり大統領といえどなかなか却下できない。しかし相手がクーデターにより違法に樹立された政府であれば兵器の供与は法的に不可能になるためクーデターという言葉を使えない。民主主義の守護神を自負するアメリカがエジプト軍の蛮行を容認する理由はこのように語られているがそれだけ ではない。このクーデターは何年も前から計画されていたことのひとつである。

ムバラク政権解体後にエジプトで大統領選挙が行われればムスリム同胞団が勝利することは目に見えていた。それを承知でムバラクを政権から引き摺り下ろすための市民革命(一連のアラブの春)を扇動したのは欧米である。ならばわざわざ政権を取らせた同胞団の危機をなぜ見過ごすのか、そればかりか失策をあげつらい軍部の行動を支持する世論を作り出すのはなぜか。

欧米は地下活動をしていたムスリム同胞団をまず政治の表舞台に立たせた上で施政を妨害した。デモとクーデターを誘発し、軍の台頭や扮装の絶えない「未開なイスラム社会」と「無能なムスリム同胞団」をメディアを通して強調した。ここまでが現時 点である。そしてシリアのような内戦状態に持ち込み最終的に西欧(NATO,国連、米軍)の介入によって収拾をつけ世界の正義はつねに西欧にあることを、それに乗じて中東の支配地図をあらたに作成することを目的としている。湾岸諸国の政府もそれに加担しているのが我々の理解に苦しむところだが国や国民よりも自らの資産や身の安泰が大事な施政者はどこにでもいる。日本にもいる。

7・26 大虐殺

金曜日の集団礼拝の後にムルシー側の市民は各地で大規模な抗議集会を計画、そして実行した。それに対抗する形で軍部を支持する市民も集結した。カイロでは深夜から未明にかけて軍部がムルシー支持層にむけて発砲、少なくとも200人の非武装の市民が射殺され、負傷者は8000人を越 えた。世界では衝突する二勢力の鎮圧の際に死傷者がでたと報道(死者は75人と発表)されているがこれは軍による虐殺でしかない。市民は最後まで無抵抗であった。遺体の多くは頭や首を狙い撃ちにされていた。7・8の礼拝中の虐殺と同様に訓練された狙撃手によるものである。

翌日、アメリカ政府と国連はまたしても虐殺の表現を避けムルシーの開放を呼びかけるにとどまった。しかし政権をムルシーに返せとは言わず新憲法の草案を作成し総選挙を行うよう提言している。これは先の大統領選挙の結果を否定する、つまりエジプトの民意を踏みにじる発言である。

民主主義と口うるさくまくし立てる国にとっての「民主」がどのようなものかは容易に理解できる。「民」の「主(あるじ)」が国を つくる主義である。

国の設計図が大国によって作られ、それに沿った国づくりが実は大国から強制されている。その間に選挙があろうと国民がどのような判断を下し誰を指導者に選ぼうと結果は変わらない。エジプト国民はムルシーとムスリム同胞団を選んだが用意されたクーデターにより一年で元の状態に戻されようとしている。多くの血が流れた後で新たな枠組みが大国によって押し付けられるであろう。30日にはEU外相が人権擁護の立場からエジプトを訪れ拘束中のムルシーと会談したが「ムルシーの健康状態は良好」という頓珍漢な発表をした。それに対し市民は「我々がこの広場に集まるのはムルシーの健康を願うがためではない、我々が選んだ政権を取り戻すためである」と怒りを顕にした。 メディア対策のために時間を割いているだけのEUの姿勢などはもはや子供だましにもならない。先に擁護すべきは市民の権利と生命である。

欧米の誤算

砂漠の国の断食月に無抵抗で抗議集会を続ける市民は西欧を震撼させている。民衆が暑さと空腹に追い詰められ暴徒と化し、つかみかけた市民による政治を自らの手で壊すことを期待しわざわざこの時期に計画されたクーデターであった。しかしムスリム同胞団をはじめとする宗教指導者たちは悪魔の誘いに乗ってはならぬと市民に忍耐を呼びかけ、みな罵声にも銃声にもおののかずに祈り続けている。また同胞団傘下の急進派武装集団も歯噛みをしながら行動を自制している。欧米の筋書きはここで狂った。彼らの祈りの力、神という存在との つながりの強さは数字にすることができないゆえに計算に入れられないのである。残虐な者たちは同時に臆病であり、臆病であるからこそ残虐になることを考えれば、震え上がった欧米の更なる蛮行が重く懸念される。

民主主義がひとつの政治形態として世界に定着して久しい。国民が施政者を選ぶことができ、選ばれたものは民意を担い国政に臨む。ならばその政治の根源は民意にある。ならば一番賢明でなければならないのは国民である。そうでなければ国政は口の巧い小利口者の手に落ち、その飼い主である大国に世界は握られる。一般の国民が政治を理解し、監視し、選んだ者に対し責任を負う能力をもたねばならない。そうでなければ「民」が「主」になることはありえない。民主主義と呼ばれる ものが成功した国がどこにもないのはこの落とし穴のせいである。民主主義は楽ではない。
ムスリム同胞団は90年かけて民衆を教化してきた。隣人を騙さず、盗まず清貧に甘んじて生きること、エジプトのみならずシリアでもパレスチナでも虐殺と弾圧に遭いながらその意思を通してきた。彼らの標榜するのは民主主義ではないが少なくとも西欧の押し付けたこの世界基準に沿うために一応の努力はしてきたといえる。しかし欧米は彼らに非民主的という言葉を使い続ける。

たとえば某国の首都では最近の国政選挙で脱原発を掲げた某候補が国会議員に選出されたがその都市の某馬鹿知事と前馬鹿知事を選んだのも同じ選挙民である。これでは「選びっぱなし」である。
「彼」は立派な市民活動家で あっても政治家としての経験はない。周りを見れば敵ばかりでムルシーと同じく裸で国政に臨むことになったが同胞団のような組織がついているわけでもない。議事堂ではひどい目に合わされかねない。彼を議員に選んだ市民は彼の議員としての立場に責任がある。もし彼が攻撃されることがあればその辱めは市民に向けられたという認識を持つことができなくてはならない。できるのか。

カイロの大虐殺から数日後、アメリカはやっとクーデタが起きたことを認めた。そうすればアメリカはエジプトに兵器の供給ができなくなる。イスラエルがまた騒ぎ出しそうだがまさにこの時期、パレスチナ和平交渉を三年ぶり再開すると発表した。ムスリム同胞団が窮地にありその下にあるハマスの発言力が低 下した隙をすかさず狙ってのことである。あまりに姑息な手段だが世界はそれを「外交」と呼ぶ。

東京ジャミイで小講演会 投稿者:a 投稿日:2013/07/06(Sat) 09:52 No.635   
東京ジャミイのメイン礼拝堂で、6月29日から3週にわたって、土曜日の午後2時半から小講演会を開催している。
第1回目が、「神の概念」
第2回目が、「預言者ムハンマドとは」
第3回・・・・

というように、イスラムの基本となる知識を掘り下げて説明してくれる。講師は英語で話し、それを日本語で通訳する形で、講演はすすんでいく。
一般日本人向けで、何でもざっくばらんに質問できる。
通訳の方は、日本語堪能で、笑顔がかわいく親しみのもてる外国人。
おすすめの講演会である。

写真をみると女性がみんなヒジャーブをしているように見えるが、これは、礼拝堂入場時にわたされるスカーフで、礼拝堂入場ルールに従ったもの。みなさん一般の日本人。

サウジアラビア大使、新居浜マス... 投稿者:a 投稿日:2013/07/06(Sat) 09:41 No.634   
サウジアラビアのアブドルアジーズ・トルキスターニ大使が、愛媛県新居浜市のセミナー出席のスケジュールの中、新居浜マスジドにも訪問し、地元のムスリムたちと交流をおこなった。大使にとっては、初の四国訪問となる。

セミナーでは、日本とサウジアラビアの経済交流が主なテーマであったが、ムスリム留学生に対しては、イスラム諸国と日本の橋渡し役の重要性、日本へのダアワに対するアドバイスなどを行ってくれた。

【今回はヨルダンです】 投稿者:abu 投稿日:2013/06/26(Wed) 09:53 No.632   
「旅 魔法のランプか絨毯か?」
馥郁な香り、芳醇なアフターヌーンティー
〜不思議いっぱいイスラム世界〜
10カ国を巡って

内容:映像、トーク、伝統的飲み物淹れ方講習会、民族衣装の試着と記念撮影
日時:毎月1回1カ国 15:00〜17:00 (受付開始:14:45〜)
2013 年7 月7日(日):ヨルダン
(以降予定:パキスタン、トルコ、中国、ウズベキスタン、サウジアラビア)
場所:レストラン「Saba(サバ)」(JR 山手線大塚駅より徒歩3分)
会費:各回1,000 円
プレゼント付き(レストランSABA のカレーセット850 円券、等)


定員:先着20名(満席になり次第締め切り)
(※お子様の入場はご遠慮下さい。会場は禁煙です。)

申込方法:予約(まずメール下さい)umarcafe.tokyo@gmail.com(国際文化講座担当)

主催:OumarCafe 実行委員会
後援:Japan Islamic Trust
協賛:各国大使館、航空会社
詳細:http://umarcafe.wordpress.com/

松山マスジドプロジェクト 投稿者:abu 投稿日:2013/06/26(Wed) 09:49 No.631   
6月22日.

松山MICCの執行部のメンバーが新居浜マスジドに集まり、松山マスジド建設計画について話し合った。
松山MICCは、神戸以西の中国・四国・九州ではもっともはやく活動を始めたイスラム団体の一つで(注:徳島がより早く活動していた)、1981年にさかのぼる。また、1994年からは拠点となる礼拝所も有している。
 しかし、2000年に入ってからのマスジド建設ラッシュで、新居浜、徳島、別府、岡山、福岡、熊本とライバル都市に次々と抜かれ続けている。本来、松山にこそ最も早くからマスジドがあって当然の歴史を持ちながらである。
 やっと、今本腰を入れてマスジド建設に動き出したと言える。
 ただ、マスジド運営はたいへんであることを知らなければならない。

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