2006年、市内の8箇所に産業遺産説明板が設けられたが、登道アーケードの居宅介護支援事業所「若水館」(以前はニチイがあった場所)前に「登り道」の説明板が設置されている。
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昭和33年(1958)に舗装道路が完成
登り道
別子銅山と、諸物資購入や粗銅(荒銅)の大阪回送を扱った新居浜口屋(現口屋跡記念公民館)を結ぶ街道。明治26年(1893)の別子鉱山鉄道の開通まで、銅山−新居浜間の物資輸送のメインルートであった。
元禄4年(1691)に開坑した別子銅山の当初の輸送路は、小箱峠を越えて宇摩郡天満浦(現四国中央市土居町)へ向かうものであった。しかし、輸送距離の短縮と安全性の面から、元禄15年(1702)、銅山峰を越えて新居浜浦へ至約18kmの輸送路が開設され、新居浜浦に口屋が設置された。
口屋から山に向かって6km程進むと立川中宿に至る。
明治13年(1880)、口屋−別子銅山間に全長約28kmの牛車道が完成、牛車による運搬方法に変わったが、口屋−立川間は、ほぼ同じルートを通っていた。
登り道は、現在も新居浜市の中心商店街となっている。
のぼりみち
小学生用解説
別子銅山と新居浜口屋(今の口屋跡記念公民館)を結ぶ街道)。中持ちとよばれる人や牛車によって銅や生活に必要な物が運ばれた。1893年に別子鉱山鉄道が開通するまで使われていた。現在、通りの名前として残っている。
新居浜市
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