近所の人から聞いた話であるが、ある時、品の良さそうなお婆さんが家の方を眺めていたそうだ。
![]() |
共存橋・共栄橋の橋柱 昭和初期、別子鉱業所支配人であった鷲尾勘解治は、別子鉱山の鉱脈もいつかは尽きると考え「地方後栄の策」を示した。 昭和6年(1931)に鷲尾は昭和通りを建設するなど、地方の発展につながる諸事業を起こし、今日の新居浜市の基礎を築いた。 共存橋・共栄橋は昭和通りにかかっていた橋で、命名した鷲尾支配人の思想を今に伝えるものである。 |
![]() |
![]() |
![]() |
|
| 現在の共存橋 | 現在の共栄橋 | |