共存橋 | 共栄橋 |
2006年、市内の8箇所に産業遺産説明板が設けられた。 元塚交差点に、共存橋・共栄橋の説明が設置されている。 |
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共存橋・共栄橋の橋柱 昭和初期、別子鉱業所支配人であった鷲尾勘解治は、別子鉱山の鉱脈もいつかは尽きると考え「地方後栄の策」を示した。 昭和6年(1931)に鷲尾は昭和通りを建設するなど、地方の発展につながる諸事業を起こし、今日の新居浜市の基礎を築いた。 共存橋・共栄橋は昭和通りにかかっていた橋で、命名した鷲尾支配人の思想を今に伝えるものである。 |
2008年、市内の10箇所に産業遺産説明板が設けられ、広瀬公園の桜広場の共存橋・共栄橋の橋柱の近くにも説明板が設置されている。 |
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