|
説明板の写真にもある「自彊舎」の看板は今でも残っているが、隣に家が建ち、外からは見えなくなっていた。
|
自彊舎
自彊舎は、もともと明治45年(1912)に旧別子の風呂屋谷で、会社の舎屋を借り受けて鷲尾勘解治の私塾として開かれたものである。鷲尾は自ら志願して坑内で働いた経験から、青年坑夫の精神的な向上を図る必要性を痛感して、総理事の鈴木馬左也に、学生時代の禅の修業経験を加味した教育を行うことを申し出て了承を得て開塾した。
自彊舎の名は中国の古典の「天行健 君子以自彊不息」(天行健なり。君子を以って自ら彊めて息まず。)から取られた。「おのれを修め、人に交わり、学問に励み職責を全うして、怠ることがあってはいけない。」という意味で鈴木総理事によって命名された。
採鉱本部の移転に伴い、自彊舎も旧別子から東平、川口新田へと時代とともに移転した。戦後になって社団法人自彊舎記念会を結成し、菊本町に元塚自彊舎道場を建設して活動を続けている。
じきょうしゃ
小学生用解説
1912年に銅山で働く若者の教育のために鷲尾勘解治が、旧別子に開いた塾。銅をとる本部の移動とともに東平・川口新田へと移り変わった自彊舎は、現在「自彊舎記念会」と形を変え、この地で活動を続けている。
新居浜市
|
|