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旧泉寿亭跡
昭和12年(1937)、この場所に、住友企業の迎賓館として泉寿亭が建てられた。別子銅山では、それまでも山中の目出度町(のち小足谷)や東平に要人用の接待館が設けられ、活用されていた。
「泉寿亭」の名前は、江戸時代の住友家の屋号「泉屋」を「寿ぐ」という意味で付けられた。
4000坪を越える広大な敷地の中に、一部二階建ての五棟の建物が廊下で接続されており、建物規模は1300坪近くを誇った。
客室は三部に区分された27室が用意され、床の間の配置や造りがひとつひとつ違っているなど、細部にまで気が配られていた。
平成3年(1991)、この場所に、別子開坑300年を記念した図書館が建設されることとなり、玄関と客室の一部を、端出場のマイントピア別子に移築、一般に公開している。
なお、芝生の中には泉寿亭の玄関の靴脱ぎ石と柱の柄石を見ることができ、南側の庭園には、ロータリーの築山や庭木が残っており当時の面影を今に伝えている。
きゅうせんじゅていあと
小学生用解説
1937年に住友の会社のお客を迎えるための施設として建てられた「泉寿亭」の名前は、住友家の屋号「泉屋」を寿ぐ(祝うという意味)館として名付けられた。
現在、建物の一部は、マイントピア別子に移されている。
新居浜市
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