和銅黒谷駅 | 【新着】(2010/08/16) | |
聖神社 | 【更新】(2011/01/03) | |
和銅之遺跡 入り口 | 【新着】(2011/05/05) |
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「秩父から和銅献上」と日本史に残る銅の産出地が「和銅露天掘り跡」です。 この和銅をもとに、日本最初の通貨「和同開珎」は造られました。和銅の原石(自然銅)、和同開珎、元明天皇から賜った和銅製蜈蚣雌雄一対が、ここ黒谷の聖神社に伝えられています。 |
和銅(自然銅)がここ黒谷で発見され、奈良の都へ献上されたのは慶雲5年(708年)1月11日のことでした。このことを非常に喜ばれた元明天皇は年号をすぐに和銅とあらため、国を挙げてお祝いをし、「和同開珎」を発行しました。「和銅露天掘り跡」はこの先600メートルほど、徒歩約15分で到着します。 祝典のために「祝山」に建てられたお宮を今の地に移し、聖神社と称して創建されたのが同じ年の2月13日でした。 和銅石13個をご神宝として祀り、また蜈蚣(むかで)が「百足」と書かれることに因んで、文武百官(たくさんの役人9を遣わす代わりにと朝廷から戴いた雌雄一対の蜈蚣をご神宝として併せ祀りました。 以来、里人は、黒谷の鎮守様として千三百年の長い歳月「この上なく耳聡く口すべらかな」(何を言ってもそのことをよく理解してくれ、人の心に染みいる言葉をかけてくれる)神として崇拝してきました。 その間、今までに5階、社殿建替えが記録に残っています。現在の社殿は昭和40年1月25日秩父市有形文化財に指定されたものです。 境内には、宝物庫・和銅鉱物館があり、自然銅、和同開珎、和銅製蜈蚣、数百種の和銅関連鉱物、当地出土の蕨手刀などが見学できます。 秩父市
秩父市和銅保勝会 |
武蔵国秩父郡から「和銅」が献上されたことを祝い、西暦708年1月11日、慶雲5年がが銅元年と改元されました。国の姿や制度もととのい、大きな都の建設も始められようという時でした。既に621年に唐(現在の中国)で発行された通貨「開元通寶」にならい、「和同開珎」銀銭が5月、銅銭が8月と続いて発行され日本最初の通貨が誕生したのでした。 「和銅」奈良時代の歴史書「続日本書紀」は秩父献上の和銅を「ニキアカガネ」と呼んでいます。「ニキ」は「熟」の意味で精錬を要しない純粋な銅のことで、学名では自然銅と言います。 その生成過程は地表の地殻変動(造山活動)にともない隆起した秩父中古成層(チャート層)と第三紀層(堆積砂岩層)の断層面に噴出形成された限りなく純銅に近いものなのです。 当時の面影を今もとどめているのが和銅山に残る「露天掘り跡」(地質学でいう「出牛−黒谷断層」にふくまれます)です。採取された自然銅のうち、大小二個が聖神社のご神宝として伝えられています。 「和同開珎」「和同は「天地和同」「万物和同」などの古語にもとづく「やわらぎ、なごやかに集う」という意味合いで、「和銅」おは直接的に結びつく意味ではないとされます。 「開珎」の「開」は「開始」などの「開」であり、「珎」は「珍しい」の「珍」に当たるとされるのが一般です。 これまでは、稲の束や布が「お金」でしたが、円形方孔(丸い形に四角」い穴)の銅銭「和銅開陳」が使われるようになって、日本に貨幣流通時代のあけぼのが訪れたのが和銅元年だったのです。 平成20年1月 11日 秩父和銅保勝会
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聖神社 御祭神 金山彦命(カナヤマヒコノミコト・和銅元年1月11日) 国常立命(クニノトコタチノミコト・和銅元年2月13日) 大日要貴命(オオヒルメムチノミコト・和銅元年2月13日)(天照大神) 神日本磐余彦命(カミヤマトイワレヒコノミコト・和銅元年2月13日)(神武天皇) 元明金命(ゲンミョウコガネノミコト・養老6年11月13日)(元明天皇) 御由緒 和銅の発見献上を喜ばれた朝廷は、祝山にお宮を建て金山彦命を祀り祝典をあげました。 聖神社の社記によれば創建は和銅元年2月13日で、和銅奉献の祝祭が終って一か月後には、祝い山から蓑山を背にした現在地へ移され前記の神々をご祭神として祀りました。 社殿は以来、四回の建替えを経て現在に至っています。そして昭和39年4月13日秩父市中町今宮神社の本殿拝殿を聖神社として移築されたことに伴い、新社殿脇に旧本殿を移し大国主命を祀る和銅出雲神社として奉斎されることになりました。 一間社流れ造りの本殿と入母屋造りの礼拝殿からなる現聖神社々殿は、江戸中期宝永6,7年にかけて大宮郷の工匠大曾根与兵衛の建立になり、彫刻は桃山期の遺風をわずかに残し活気に満ちたもので「聖神社の社殿」として秩父市指定有形文化財になっています。 祭行事は年8回です。1月1日の元旦祭、2月3日節分祭、2月23日の祈年祭、4月13日の例大祭、7月13日禦ぎの行事、11月3日の和銅出雲神社大祭、12月13日の献穀祭、12月31日の大祓式で、元々は13日に絡む日にすべての祭事が行われていました。 黒谷の獅子舞 黒谷の獅子舞は左甚五郎が黒谷の地に立ち寄り、竜頭を刻んで聖大明神(聖神社)に奉納したことに始まると言われています。 宝暦5年(1755)三河国(現在の愛知県)岡崎から師匠を招き15種(獅子舞でいう15庭)の舞を伝授され、岡崎下妻流を名乗ったと言われています。 文政初年の頃、秩父地方に日照りが続き、いろいろと雨乞いの手を尽くしたが効果がなく、秩父代官の御陣屋から黒谷獅子舞連中に妙見様(現秩父神社)に来て雨乞いの簓をするようにお達しがありました。さっそく、竜頭を先頭に瓢箪廻しの簓を舞ったところ、雲一つ無い青空から、大雨が滝のように降り出したと言われ、それ以来黒谷の獅子舞は「雨乞い簓」と呼ばれるようになりました。現在、秩父市無形民俗文化財に指定されています。 平成20年1月11日 聖神社
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