東人の新居浜生活あかがね探訪あかがね探訪(2)

銅座跡

(大阪市中央区今橋3丁目)      
 大阪の地下鉄、堺筋線北浜駅と御堂筋線淀屋橋の中間に銅座跡がある。
 
 銅座跡の碑が残っているのみであるが、近くにある古い木造建築が目につく。
 現在は愛珠幼稚園となっている建物であるが、大きな木造建築が幼稚園として使用されている。

 銅座は、江戸時代の明和3年(1766)に設立され、国内産銅の精錬・売買を独占していた。
 諸国の銅山で産出した銅は銅座が買いあげ、銅吹屋により精錬された後、長崎に回送されてオランダとの交易に使われた。
      
  愛珠幼稚園の北側近くには、緒方洪庵の適塾がある。

愛珠幼稚園の建物

適塾
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住友銅吹所跡

   大阪の地下鉄長堀鶴見緑地線 松屋町駅から西に進み、東横堀川に架かる末吉橋を渡り少し左に入ったところに住友銅吹所跡が公園として保存されている。
 
 別子の粗銅もここに運ばれ、精錬された所である。
 昔の銅吹所はもっと広かったと思うが、小さな公園の中に旧ビリヤード場が保存されている。

 
住友銅吹所

 江戸時代、日本は世界有数の銅産国であった。
 なかでも大阪は銅精錬業の中心地であり、全国から粗銅が集まり、精錬されていた。
 この地にあった住友長堀銅吹所は、住友家(泉屋)が1636(寛永13)年に開設した日本最大の銅精錬所で、日本の生産量の約1/3を精錬していた。
 銅吹所には住友家の店舗や住宅が隣接していた。
 それらを含めた面積は約1000m2である。
 銅吹所は1876(明治9)年に閉鎖されるが、住宅は1915(大正4)年までは住友家本邸として、1945昭和20)年までは別邸として存在した。
 1990〜92に発掘調査が行われ、100基を越える精錬炉など、銅吹所・住宅関連の諸遺構が出土している。
 
  大阪歴史博物館9階に復元模型と出土遺物とが展示されている。
 
 
元住友家本邸内ビリヤード場(玉突場)

 
 明治9年に銅吹所が廃止された後、この敷地は住友家の邸宅となった。明治12年には洋館や庭園がつくられ、ビリヤード場はその東側に建てられた。
 ビリヤード場玄関のアーチや円柱の飾りは洋風であり、壁は土蔵造り、屋根は瓦葺きである。洋風と和風がうまく調和しており、文明開化期に多く用いられた擬洋風とよばれる様式である。
 ビリヤード場は、明治25年以前の建築と考えられており、独立建物のビリヤードとしては、わが国最古のものである。
 
 
 銅吹所の精錬炉も展示されているが、保護ケースに収められ、見づらいものであった。

 
「銅吹所の炉」

 
 銅の精錬に使用された小型の炉で、中に据えた「るつぼ」で銅を溶かす。
 
 
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