東人の新居浜生活あかがね探訪日立鉱山


日立鉱山


   仕事で茨城県の日立市方面に出かけた際に、途中で精錬所の煙突が見えて東人の鉱山病が発症してしまった。
 
 その後の訪問での仕事が終わり、翌日は土曜なので日立市に一泊し、日鉱記念館までバスで向かい、その後は精錬所などを見ながら日立駅まで歩いて戻った。
 


日鉱記念館  【新着】(2008/01/04)
  正門 【新着】(2008/01/04)
  栄斜坑 【新着】(2008/01/11)
  坑口 【新着】(2008/01/29)
  本館 【更新】(2008/03/04)
  竪坑 【更新】(2008/04/22)
  電気機関車 【新着】(2008/04/05)
  鉱山機械車両 【新着】(2008/04/13)
  旧久原本部 【更新】(2008/05/13)
  塵外堂 【更新】(2008/06/03)
  水路跡 【新着】(2008/06/10)
  山神社 【更新】(2008/06/30)
鉱山資料館  【更新】(2010/01/04)
  コニカルボールミル 【新着】(2008/07/24)
  スパイラル・コンセントレーター 【新着】(2008/08/19)
  クロケット磁力選鉱機【新着】(2008/09/15)
  バケットローダー 【更新】(2008/11/17)
  藤見斜坑人車 【新着】(2008/12/22)
  第11竪坑巻揚機ギヤー 【新着】(2009/03/09)
  竪坑鉱石巻揚機深度計【新着】(2009/03/31)
  クリスマスツリー【新着】(2009/12/06)
  削岩機【新着】(2009/04/20)
  鉱石室【新着】(2010/04/12)
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日鉱記念館


 日鉱記念館は、旧日立鉱山の跡地に建てられた施設で、本館、鉱山資料館などの展示室 および第一および第十一竪坑や鉱山で使用された電気機関車などの屋外展示などから成る。

 パンフレットより

新日鉱グループ日鉱記念館

 1905(明治38)年12月、久原房之助は赤沢銅山を買収し、日立鉱山として開業しました。工業都市・日立市の発展の原点であり、また茨城県の近代鉱業の発祥でもあります。
 日立鉱山は、開業わずか数年後には四大銅山の一角を占めるにまで急成長し、以来、1981(昭和56)年の閉山までの76年間、日本の近代化と経済発展に寄与してきました。そして、その事業は、時代の要請に対応し形を変えながら、現在の新日鉱グループに引き継がれています。
 日鉱記念館は、1985(昭和60)年、創業80周年を記念して日立鉱山跡地に建てられました。
 
 
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電気機関車

 
 日鉱記念館の屋外に、電気機関車が展示されていた。
 
 鉱山で使用された鉄道車輌は、それぞれの鉱山独特の形式のものが採用されているが、この機関車も他では見られない形をしている。
 

電気機関車
(明治末期 久原鉱業所日立製作所製)

 
 「十三号」と名付けられ、昭和35年まで50年間、専用電気鉄道(略称・助鉄)および精錬所構内の輸送に活躍した。

 ●自重 − 8トン
 ●牽引加重能力 − 40トン
 ●45馬力電動機2台を装備
 (株)日立製作所水戸工場に保存展示されていたものを同社のご好意により借用
 

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鉱山機械車両

 
 日鉱記念館の屋外に、大きな重機械車両が展示されているが、説明は無い。
 パンフレットの地図にも、この車両については何も書かれていない。
 
 掘削用の機械のようであるが、坑内で使うには大きすぎるように感じる。
 また、それほど古いものでは無さそうで、つい最近まで使われていたもののように感じる。
 どのような用途に使われたものか分からないが、鮮やかな色で塗られた大きな車両であり、目を惹く屋外展示物である。
 
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