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大阪歴史博物館

   大阪の地下鉄 谷町線と中央線の交わる谷町四丁目に大阪歴史博物館がある。
 
 大阪城の近くにあるこの博物館は、難波長柄豊碕宮という宮殿の遺構の上に建てられ、地下遺構として一部が見学できるようになっている。
 

 大阪の歴史に関する多くの展示があるが、ここの9階(中世近世フロア)には、住友銅吹所のコーナーがあり、銅吹所の復元模型や出土品が展示されている。


住友銅吹所

 江戸時代の大阪には、銅吹屋(銅精錬業者)などたくさんの銅の関連業者がいた。
 銅は鎖国下の重要な輸出品として、幕府による統制を受けていた。
 大阪の銅吹屋には大阪屋、平野屋など有力なものも多かったが、その中でも最大だったのが泉屋(住友家)であった。
 泉屋は元和9年(1623)に大阪内淡路町に銅吹所を開設し、寛永13年(1636)に長堀に移転した。その後、敷地を拡張し、元禄3年(1690)には本店・居宅も移転し、明治に至っている。
 長堀の住友銅吹所跡は、平成2〜4年(1990〜92)にかけて発掘調査が行われ、数多くの精錬関係遺構や道具類・金属類が見つかった。また、居宅部分からも穴蔵や陶磁器などが多数出土した。
 住友家本店・居宅が移転するまでの西側部分は、同じ銅吹屋の平野屋清右衛門が所持しており、平野屋もこの地で銅吹所を操業していたことも発掘調査でわかった。
 

棹銅      丸銅  インゴット

平丁銅

銅の用途

 輸出用の棹銅は、インドや中国で銅銭や軍事用品・船具などに加工された。国内用の銅(円形の丸銅や四角の丁銅)は銅銭や鍋・釜・やかん・盥(たらい)・建材などに用いられた。
 

銅山

 住友家は各地の銅山経営を請け負っていたが、その中でも柱となったのが伊予(現在の愛媛県)の別子銅山であった。左の写真は若狭(現在の福井県)の三幸銅山から送られてきた荒銅につけられていた荷札木簡である。
 

鼓銅図録

 
江戸時代後期
本館蔵

 銅の採鉱から精錬までの様子を図絵・解説付で示した書で、泉屋(住友家)が来客用に作成したものである。
 図絵は丹羽桃渓(「摂津名所図会」などを描く)、解説の「鼓銅録」は増田綱(泉屋支配人)、題字は大田蜀山人(銅座役人)である。
 銅精錬の様子を今に伝えている。
 
住友銅吹所 出土品
  
   
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