江戸時代の大阪には、銅吹屋(銅精錬業者)などたくさんの銅の関連業者がいた。 銅は鎖国下の重要な輸出品として、幕府による統制を受けていた。 大阪の銅吹屋には大阪屋、平野屋など有力なものも多かったが、その中でも最大だったのが泉屋(住友家)であった。 泉屋は元和9年(1623)に大阪内淡路町に銅吹所を開設し、寛永13年(1636)に長堀に移転した。その後、敷地を拡張し、元禄3年(1690)には本店・居宅も移転し、明治に至っている。 長堀の住友銅吹所跡は、平成2〜4年(1990〜92)にかけて発掘調査が行われ、数多くの精錬関係遺構や道具類・金属類が見つかった。また、居宅部分からも穴蔵や陶磁器などが多数出土した。 住友家本店・居宅が移転するまでの西側部分は、同じ銅吹屋の平野屋清右衛門が所持しており、平野屋もこの地で銅吹所を操業していたことも発掘調査でわかった。 |
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