MUSIC TOWN Program schedule 2008

第107回
L.V.ベートーベン:「交響曲第9番」合唱付き
ニ短調 作品125 1824 ウィーン
H.V.カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1983 ベルリンでの録音
ソプラノ:ジャネット・ペリー
アルト:アグネス・バルツァ
テノール:ヴィンスン・コウル
バリトン:ホセ・ヴァン・ダム
ウィーン樂友会合唱団 指揮:H.フロシャウアー
年末恒例の「第九」であるが日本での歴史は古くはない。実際には戦後の貧しい時代のオーケストラの楽員のボーナス稼ぎに行われていた。それが社会習慣化して逆に欧米にも伝わったらしい。ヨーロッパではささやかに年末に演奏していた地域はあったが、今日の様に世界中で演奏されるのは日本の影響であると言われている。そう思って聴くと年末に相応しいし、年末以外に聴くのが返って違和感され感じられるから不思議である。昨年はカール・ベームのウィーン・フィルでお届けしたが今年はカラヤンのベルリン・フィルでお聴き頂きたい。カラヤンの方がテンポは速い。

第106回
J.S.バッハ:「クリスマス・オラトリオ」(1)
1734〜1735にライプチッヒで作曲された。
当時のクリスマス前後の6日間の行事のための作曲した。それ故に全体で6部に分かれている。新たに作曲したというより既に作曲していた世俗カンタータなどから選曲して並べ替えた。しかし構成は完璧であり力強い単純かつ明快な音楽で参列者にクリスマスの意義を伝えている。
第一部:降誕節第一祝日用
第二部:降誕節第二祝日用
第三部:降誕節第三祝日用
第四部以降は2009年の年末に放送致します。各部は合唱、アリア、レチタティーヴォ、コラール、福音史家の台詞などからなり管楽器と打楽器で効果的に表現している。
演奏:J.E.ガーディナー指揮 モンテヴェルディ合唱団 
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ 1987 ロンドン

第105回
A.ブルックナー(1824〜1896):
「交響曲第7番」ホ長調 1883年ウィーンで作曲
作曲者が59歳の時の作品である。翌年ライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団がA.ニキシュの指揮で初演した。この成功によりブルックナーは交響曲の作曲家として認められた。ロマン派全盛の時代にあってブラームスと共に交響曲の作曲に拘ったが、ブラームスのライバルとしての交流がある。お互いにベートーベンの延長線上を目指しながら新古典派とロマン派の対立の中に身をおいた二人である。
楽曲の形式はベートーベンの交響曲の四楽章方式を踏襲しているのはブラームスと同じであるが、ブルックナーはワーグナーに傾倒していた。第二楽章は1883年に亡くなったワーグナーのための葬送音楽であると言われ後にヒトラーが自殺した時に流された。
第一楽章:ホ長調 2/2 Allegro moderato
第二楽章:嬰ハ短調 4/4 Adagio sehr feierlich und sehr langsam
第三楽章:イ短調 3/4 Scherzo sehr schnell
第四楽章:ホ長調 2/2 Finale bewegt, doch nicht schnell
演奏:カルロ・マリア・ジュリアーニ指揮 1986 ウィーン
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

第104回
J.ブラームス:「ピアノ協奏曲第2番」変ロ長調
1881年48歳の時の作品である。第1番より22年が経過していた。ブラームス自身の独奏、A.エルケル指揮によりブダペストで初演されて好評を博した。協奏曲であるが四楽章からなりスケルツォを第二楽章に置き、アンダンテを第三楽章に置いて交響曲の様な構成にした。
第一楽章:Allegro non troppo 変ロ長調 4/4
第二楽章:Allegro appassionato スケルツォ ニ短調 3/4 第三楽章:Andante 変ロ長調 6/4
第四楽章:Allegretto grazioso 変ロ長調 2/4
「幻想曲集」作品116 1892 59歳の晩年の作品である。
奇想曲と間奏曲とからなり洗練された作曲技法が冴えている。小品集ながら簡素で作曲者の晩年の境地を窺わせる傑作である。
第一曲:奇想曲 ニ短調 Presto energico  第二曲:間奏曲 イ短調 Andante  第三曲:奇想曲 ト短調 Allegro passionato  
第四曲:間奏曲 ホ長調 Adagio  第五曲:間奏曲 ホ短調 Andante con grazia  第六曲:間奏曲 ホ長調 Andantino teneramente  第七曲:奇想曲 ニ短調 Allegro agitato
演奏: E.ギレリス(Pf) E.ヨッフム指揮 BPO 1972 1975
エミール・ギレリスはモーツァルト作品でも評価が高い往年の名手である。エレーナとの連弾の記録もある。

第103回
J.ブラームス:「ヴァイオリン協奏曲」ニ長調 1878
45歳の時に作曲した唯一のヴァイオリン協奏曲である。ベートーベンも一曲しか書いてないのまで真似したのであろうか。ベートーベンとメンデルスゾーンと共に三大ヴァイオリン協奏曲と世間は呼んでいる。シベリウスは感銘したがチャイコフスキーは評価しなかったと云う。
第一楽章:ニ長調 Allegro non troppo
(Cadenzaはクライスラーによる)
第二楽章:ヘ長調 Adagio
第三楽章:ニ長調 Allegro giocoso, ma non troppo-vivace
演奏:C.フェラス(vl) H.V.カラヤン指揮 BPO
1964 ベルリン
「ヴァイオリン・ソナタ第一番」 ト長調 「雨の歌」 1879 
46歳の時の作品である。第三楽章の主題が自作の歌曲「雨の歌」から引用しているのでこの名が付けられた。この歌はクララ・シューマンが好んでいたので余計に拘ったのであろう。1897年にJ.ヨアヒムのヴァイオリン、ブラームス自身のピアノで非公開で初演された。その後に別人の演奏でも公開された。ヴァイオリン・ソナタは第2番イ長調と第3番ニ短調がある。
第一楽章:ト長調 Vivace ma non troppo
第二楽章:変ホ長調 Adagio
第三楽章:ト短調〜ト長調 Allegro molto moderato
演奏:C.フェラス(Vl) P.バルビゼ(Pf) 1968 ベルリン
ブラームスの芸術上の女神であったクララが1896年に亡くなるとその翌年の1897年に後を追うように逝去した。クララの15歳の娘に片思いをした時には声楽曲「アルト・ラプソディ」が生まれた。

第102回
F.シューベルト:「ピアノ五重奏曲」 ”ます”1819
22歳の時に書かれた唯一の五重奏曲である。第四楽章に歌曲「鱒」の変奏曲を採用していることからこの曲も「ます」と呼ばれている。「冬の旅」の初演歌手である29歳年上のフォーグルと北オーストリアを旅行中にある裕福な鉱山技師から依頼された。
第四楽章のテーマは余りにも有名であるのでCMなどでも頻繁に引用されている
第一楽章:イ長調 Allegro vivace
第二楽章:ヘ長調 Andante
第三楽章:イ長調 Scherzo presto
第四楽章:ニ長調 Andantino-allegretto
第五楽章:イ長調 Allegro giusto
演奏:J.レヴァイン(Pf)、G.ヘッツェル(Vl)
W.クリスト(Viola)、G.ファウスト(Celo)
A.ボッシュ(Bass) 1990 アーバーゼー
弦楽四重奏曲第14番 ”死と乙女” 1824
シューベルトの晩年の作品で全て短調で書かれている。健康の衰えと貧困もあったがウィーンの神学校の同級生が支えてくれた。五線紙を買えない時は彼らが用意してくれたし食物も持ち寄ってボヘミアンの様な生活であったという。恩師のサリエリはモーツァルトやハイドンの真似が多いと指摘したがシューベルトには古典音楽の基本をよく教えた。モーツァルトより暗いのは病気と貧困のためではないかと言われる。第二楽章に歌曲「死と乙女」から引用しているのでこの曲も同名で呼ばれている。
第一楽章:ニ短調 Allegro
第二楽章:ト短調 Andante con moto
第三楽章:ニ短調 Scherzo allegro molto
第四楽章:ニ短調 Prestp
演奏:ハーゲン・カルテット 1985 ザルツブルク
L.ハーゲン(1st Vl)、R.シュミット(2nd Vl)
V.ハーゲン(Viola)、C.ハーゲン(Celo)

第101回
F.シューベルト:連作歌曲「冬の旅」 W.ミュラー
作詞 ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ(Br)
J.デムス(pf) 1965 ベルリン
1827年、ベートーベンが亡くなった年のシューベルト最晩年の傑作歌曲集である。
1.Gute Nacht おやすみ d
2.Die Wetterfahne 風見 a
3.Gefrorne Traenen 凍った涙 f
4.Erstarrung 凍結 c
5.Der Lindenbaum 菩提樹 E
6.Wasserflut 水の流れ e
7.Auf dem Flusse 流れの上で e
8.Rueckblick 返り見 g
9.Irrlicht 鬼火 h
10.Rast 休憩 c
11.Fruehlingstraum 春の夢 A
12.Einsamkeit 孤独 h
13.Die Post 郵便馬車 Es
14.Der greise Kopf 白髪の頭 c
15.Die Kraehe からす c
16.Letzte Hoffnung 最後の希望 Es
17.Im Dorfe 村にて D
18.Der stuermische Morgen 嵐の朝 d
19.Taeuschung 幻 A
20.Der Wegweiser 道しるべ g
21.Das Wirtshaus 宿屋 F
22.Mut 勇気 c 23.Die Nebensonnen 幻の太陽 A
24.Der Leiermann 辻音楽師 a

第100回
F.シューベルト(1797〜1828):「交響曲第7番」ロ短調 ”未完成” 1822 旧来は第8番と呼ばれていた。2楽章しかない未完成の交響曲としてあまりにも有名である。前半が美しく仕上がったために書くことが出来なかったという逸話も聞かれる。シューベルトはモーツァルトの旋律の美しさを継承発展させた。文学への造詣が深く「歌曲の王」と呼ばれる。
「交響曲第8番」 ハ長調 ”グレート” 1825
国際シューベルト協会では第8番と呼んでいる。1838年にシューマンがシューベルトの旧宅を訪問した際に発見してメンデルスゾーンにより初演された。 ベートーベンの影響も見え隠れする。
「第7番」
第一楽章:ロ短調 Allegro moderato
第二楽章:ホ長調 Andante con moto
「第8番」
第一楽章:ハ長調 Andante-Allegro ma non troppo
第二楽章:イ短調 Andante con moto
第三楽章:ハ長調 Allegro vivace
第四楽章:ハ長調 Allegro vivace
演奏 H.カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1965 および 1968 ベルリン イエス・キリスト教会
この教会での名演奏の記録は多い。天井の高い教会ならではの反響が素晴らしい。
教会は西欧音楽の揺籃である

第99回
A.ドヴォルザーク(1841〜1904):「交響曲第9番」 ホ短調 ”新世界” 1893 アメリカ
1891年から1895年までニューヨーク・ナショナル音楽院院長に招聘された。その間にこの交響曲と弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」および「チェロ協奏曲」の代表的な作品を書いた。”新世界”はアメリカから祖国のチェコへのメッセージという意味を込める。アメリカで聞いた黒人や原住民の音楽にチェコの民謡に通じる旋律を見出した。日本でも「旅路」という題名で日本語の歌詞が付けられて戦後の復興期に終業の合図として愛用された。
第一楽章:ホ短調 Adagio-Allegro moderato
第二楽章:変ニ長調 Largo
第三楽章:ホ短調 Scherzo molto vivace
第四楽章:ホ短調 Allegro con fuoco
ユージン・オーマンディ指揮 ロンドン交響楽団 1966
「弦楽のためのセレナーデ」
ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
1968
”新世界”の日本初演は1920年、東京帝国劇場に於いて山田耕作指揮の日本楽劇協会によって行われた。山田は滝廉太郎の後輩であり、現在のN響となる日本で最初の交響楽団を組織した。

第98回
J.ブラームス1833〜1897):「交響曲第4番」
ホ短調 1885
この年の10月25日に自身の指揮によりマイニゲン宮廷管弦楽団により初演された。翌週にはH.V.ビューローの指揮でも演奏された。11月にはドイツとオランダを同楽団と演奏旅行に出た。
ブラームス派には絶賛されたこの作品も、ワーグナー派には酷評を蒙った。マーラーは「空虚な音だ」と言ったという。ビューローの助手をしていたR.シュトラウスは初演でトライアングルを担当して「巨人の作品」と絶賛した。ベートーベンを超えようとしたブラームスであったが古典形式を踏襲しながら作曲法はロマン派的な手法を駆使した。ロマン派の潮流からは離れて「新古典主義」と分類されている。
第一楽章:ホ短調 Allegro non troppo
第二楽章:ホ長調 Andante moderato
第三楽章:ハ長調 Allegro giocoso-poco meno presto
第四楽章:ホ短調 Allegro energico e passionato
楽器編成:ピッコロ(フルート持ち替え)、フルート2、オーボエ2
クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、トライアングル、弦5部
第二楽章ではフリギア旋法を、第四楽章ではバロック時代のシャコンヌ形式を用いた。古い形式にロマン派の主張を込めた作品である。四楽章を通じてあまり抑揚がないがハーモニーは良い。
「悲劇的序曲」 Tragic Overture 1880 は「大学祝典序曲」と対を成す作品でクララ・シューマンとの連弾で披露された。
演奏はC.M.ジュリーニの指揮でウィーン・フィル 1989年。

第97回
P.チャイコフスキー(1840〜1893):
「交響曲第6番」 ”悲愴”  ロ短調 作曲年代 1893 ペテルスブルク
この年の10月28日に作曲者自身の指揮でペテルスブルクにて初演された。その9日後に謎の死を遂げている。「私の全ての作品で最高の出来である」との自信作であった。死因についてはコレラであるとか同性愛が発覚して皇帝の命令で自殺を強いられたとかの説がある。この作品を精神病院に入院中の内因性うつ病の患者が聞くと自殺しようとする者がいたという報告がある。フランス語で”Simphonie Pathetique"という副題で出版する様に指示する手紙が残っているが、「悲愴」という訳語は適切でないという意見もある。
第一楽章:ソナタ形式 ロ短調 Adagio-Allegro non troppo
第二楽章:複合三部形式 ニ長調 Allegro con grazia
第三楽章:スケルツォ&行進曲 ト長調 Allegro molto vivace
第四楽章:ソナタ的複合三部形式 ロ短調 Adagio lamentoso
楽器編成:フルート3、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2
ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニー
バスドラム、シンバル、タムタム、弦5部
「幻想序曲」”ロメオとジュリエット” 
シェイクスピアの戯曲に作曲した交響詩の様な作品であり劇的効果がよく表現されている。作曲に12年を要したと言われる。
演奏: H.カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1976 (悲愴) 1966(ロメオ) ベルリン
カラヤンのレパートリーの広さには驚嘆の一語しかない。ベームと共に20世紀後半を代表する指揮者である。

第96回
P.チャイコフフスキー:「白鳥の湖」1877 「くるみ割り人形」 1892 「眠れる森の美女」 1890
チャイコフスキーの三大バレー音楽と言われる。初演は「白鳥」がボリショイ劇場であったが出演者が原因で不評であった。作曲家の没後に1895年にサンクト・ペテルスブルクのマリンスキー劇場で大成功を得る。他の二作は最初からマリンスキー劇場で初演されて成功を収めた。1893年に没した。
バレー組曲:「白鳥の湖」 Swan Lake  情景、ワルツ、白鳥の踊り、情景、ハンガリーの踊り、情景
「くるみ割り人形」 The Nutcracker 小序曲、個性的な踊り、行進曲、金平糖の踊り、ロシアの踊り、アラビアの踊り、中国の踊り、葦笛の踊り、花のワルツ
「眠れる森の美女」 The Sleeping Beauty  序奏とリラの精、アダージョ、パ・ド・カクテール、パノラマ、ワルツ
演奏:H.カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1966 1971

第95回
J.ブラームス:「交響曲第2番」 1877 ウィーン
初演はこの年にH.リヒターの指揮でウィーン・フィルによって演奏された。ベートーベンの「田園」にも例えられる様な牧歌的な明るさが見られる。
「交響曲第3番」 1883 ウィーン 初演は同じくH.リヒターの指揮でウィーン・フィルである。当時はワーグナー派とブラームス派の対立が深刻であったのでこの「3番」も賛否両論で向かえられた。リヒターはこれはブラームスの「英雄」であると称えた。
「交響曲第2番」 第一楽章:allegro non troppo ニ長調 3/4
第二楽章:adagio non troppo ロ長調 4/4 第三楽章:allegretto grazioso-quasi andantino ト長調 3/4 第四楽章:allegro con spirito ニ長調 2/2 
「交響曲第3番」 第一楽章:allegro con brio ヘ長調 6/4 第二楽章:andante ハ長調 4/4 第三楽章:poco allegretto 3/8
第四楽章:allegro へ短調〜ヘ長調 2/2 
演奏はH.カラヤン指揮のベルリン・フィル 1986 1988 ベルリンでの完全な演奏記録である。

第94回
J.ブラームス:「交響曲第1番」 1876 ウィーン
ベートーベンの「第九」を超えようと21年も要して完成させたこの作品はそれ故に「第十交響曲」とも呼ばれている。しかしベートーベンを超えたとは言いがたい。それはベートーベンがモーツァルトを超えられなかったのと同じである。古典派の形式を踏襲しながらも内容は既にロマン派のそれになっている。ベルリオーズやリストからワーグナー達のロマン派の時代潮流からは距離を置いてきた。それだけウィーン古典派への信奉が強かったのではないか。この「第1番」はクララ・シューマンへの熱き思いが込められている。そう思って聴くと曲想がよみがえる。
第一楽章:un poco sostenuto allegro ハ短調 6/8
第二楽章:andante sostenuto ホ長調 3/4
第三楽章:un poco allegretto e grazioso 変イ長調 2/4
第四楽章:adagio-piu andante-allegro non troppo ma con brio ハ短調〜ハ長調 4/4
楽器編成はベートーベンの「第5番」とほぼ同じであるが、転調は古典派の5度移行ではなくロマン派的な3度移行となっている。
演奏はK.ベーム指揮のウィーン・フィルで1975年の記念すべき録音である。ベームはウィーンで活躍した作曲家の作品を主として指揮した。ウィーン古典派の流れを現代に伝えてくれたのである。モーツァルト演奏で見せた「これしかない」と云うテンポの配分はここでも健在である。

第93回
F.リスト(1811〜1886):「ピアノ協奏曲」第1番(1855)は作曲者自身のピアノとベルリオーズの指揮でヴァイマールで初演された。四楽章の形式をとるが「循環式ソナタ形式」と呼ばれている様に演奏は連続的に行われる。
「ピアノ協奏曲」第2番(1861)は協奏曲というよりもピアノと管弦楽が一体となった交響詩とも言える。六楽章からなり自由なソナタ形式で構成されている。
「前奏曲」(1854)はリストの交響詩の代表作品である。ラマルティーヌの「人生は死へ前奏曲」という内容の「詩的瞑想録」に寄っているという。
ピアノ協奏曲第1&2番
演奏:キリル・コンドラシン指揮 ロンドン交響楽団 1961
ピアノ:S.リヒテル
斬新で雄大な展望を感じさせる曲想であり、リヒテルのピアノも乗っている。古典派音楽の形式は踏襲しているが内容はロマン派音楽そのものである。
モーツァルト没後60年で音楽もここまで変わったのである。
「前奏曲」 演奏:ヤーノス・フェレンチク指揮 ハンガリー国立管弦楽団 1983 リストを専門とする同楽団ならではの誇りが感じられる。リストの交響詩ではもっぱらこの「前奏曲」が演奏される。
交響詩はR.シュトラウス、シェーンベルク、サン・サーンス、ドビュッシーらも書いている。

第92回
F.リスト:「超絶技巧練習曲」第1〜12番 1852
若い頃にパガニーニのヴァイオリンによる超絶技巧を聴いてピアノの超絶技巧練習曲を書こうと決心したという。現在は1852年版が最もよく演奏される。リストは「
ピアノの魔術師」と呼ばれた。 指が長いために10度の音程をカバー出来た。どんな曲でも初見で弾きこなしたし即興演奏の巨匠でもあった。パリでショパンを世に出すために助力したし、ショパンに関する著作もある。ピアノの表現力を限界まで追求した。ピアノ教育にも貢献し弟子も多い。
"Etudes d'execution transcendante" S139
(1)ハ長調 「前奏曲」 プレスト (2)イ短調 
モルト・ヴィヴァーチェ (3)ヘ長調 「風景」 ポコ・アダージョ (4)ニ短調 「マゼッパ」 アレグロ (5)変ロ長調 「鬼火」 アレグレット (6)ト短調 「幻影」 ラルゴ〜レント (7)変ホ長調 「英雄」 アレグロ (8)ハ短調 「荒々しき狩」 プレスト (9)変イ長調 「回想」 アンダンティーノ (10)ヘ短調 プレスト〜アレグロ (11)変ニ長調 「夕べの調べ」 レント〜アンダンティーノ (12)変ロ短調 「雪あらし」 アンダンティーノ〜アンダンテ
演奏:クラウディオ・アラウ 1974 アムステルダム

第91回
F.リスト:「ハンガリア狂詩曲」第1〜6番 1885
ウェーバーからベルリオーズへと繋いだロマン派音楽のバトンは遂に旗手リストに渡された。表題音楽を更に進めてここに「
交響詩」という新しい音楽形式を創始した。単一楽章の交響曲で形式は自由である。その第一作品は「前奏曲」であるが、既に作曲していた「ハンガリア狂詩曲」15曲から6曲の編曲を行った。またこの年に「無調のバガテル」という史上初めての完全無調のピアノ曲を遺したが発見は1958年であった。無調音楽はシェーンベルクの「十二音技法」において完結する。モーツァルトの没後100年足らずでロマン派音楽は開花して現代音楽へと向かうのである。
「ハンガリア狂詩曲」 Hungarian Rhapsodies  原曲 1853
第一番:へ長調 F
第二番:ニ短調 d-moll
第三番:ニ長調 D
第四番:ニ長調 D
第五番:ホ短調 e-moll
第六番:ニ長調 D
クルト・マズア指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団 1984
マスアは1970から1996年までカペルマイスターを務めた。同楽団は1743年に創設された世界最古の民間オーケストラである。織物の見本市会場で公演したのでその名が冠せられた。メンデルスゾーン、ニキシュ、フルトベングラー、ワルター等の巨匠が名を連ねた。現在はリッカルト・シャーイが努めている。

第90回
H.ベルリオーズ(1803〜1869):「幻想交響曲」 1830 パリ
H.カラヤン指揮 ベルリン・フィル 演奏 1974〜
1975 ベルリン
C.M.ウェーバーのロマン派的作風を受けて初めて本格的に書かれた交響曲である。ワルツも登場。
第一楽章:「夢、情熱」 ラルゴ〜アレグロ・アジタート 
第二楽章:「舞踏会」 ワルツ、アレグロ・ノン・トロッポ
第三楽章:「野の風景」 アダージョ
第四楽章:「断頭台への行進」 アレグレット・ノン・トロッポ
第五楽章:「サバトの夜の夢」 ラルゲット〜アレグロ

第89回
ニューイヤーコンサート 2003 ウィーンフィル
指揮 N.アルノンクール 
2001にも登場したアルノンクール先生は今回ではワルツの元祖である「舞踏への勧誘」から始めた。
C.M.ウェーバー:「舞踏への勧誘」
J.ブラームス:「ハンガリア舞曲」第5番、第6番
J.シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」
J.シュトラウス2世:「美しき青きドナウ}他  
詳しい解説

第88回
J.S.バッハ:「ゴルトベルク変奏曲」 1742 作曲
「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」というのが正式な曲名である。グールドは50歳で他界したがその前年までに2年半を要して自分でも納得の行く録音記録を繋いで最後の名演奏の記録を残した。現代のコンピューター音楽を先取りした開拓者としての実績と言える。
演奏:グレン・グールド 1981 最晩年の遺作である。
1955のデビューも「ゴルトベルク変奏曲」であった。バッハ、ブラームスとシェーンベルクを好んで演奏した。稀代の変人であるが指揮者やオーケストラとの妥協を許さず、後半生はスタジオに閉じこもって孤独な演奏記録を残した。ピアノの椅子を調整するのに30分もかけたり、バーンスタイが指揮する前に彼のことで聴衆に説明したという逸話もあり、ペダルを踏まない事でも有名である。

第86〜
87回
E.カールマン:喜歌劇「チャルダーシュの女王」
ウィーン・フォルクスオーパー 第3回日本公演
1985 東京文化会館 指揮 ルドルフ・ビーブル
作曲: Emmerich Kalman(1882〜1953) 
台本: L.シュタイン、 B.イェンバッハ (ドイツ語)
初演 1915 ウィーン 
詳しい解説

第84〜
85回
宝塚歌劇団 1976年 星組公演
「ベルサイユの薔薇」 宝塚大劇場
詳しい解説(1)
原作:池田理代子  1972〜73 「マーガレット」誌
脚本:植田紳爾 音楽:寺田滝雄 演出:長谷川一夫 
詳しい解説(2)

第83回
ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899)作曲
喜歌劇「ジプシー男爵」 指揮 ルドルフ・ビーブル
作曲年代 1883年〜 初演 1885 ウィーン
台本:イグナーツ・シュニッツラー (ドイツ語)
原作:ヨーカイ・モール(ハンガリーの作家)

詳しい解説(1)
  詳しい解説(2) 

第82回
カール・ベーム特集:Serenade Nr.13 K525
1956 ベルリン イエス・キリスト教会
ベートーベン Op.67 交響曲第5番 1953 
ベルリン 同教会
指揮:カール・ベーム ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
日本には1963、1975、1977、1980の四回来演している。第一回と第四回に「フィガロの結婚」を指揮した歴史を残す。1980年のウィーンフィルとの共演は1933年以来47年間続いたウィーンフィルとの最後の指揮であったことも日本との縁の深さと物語る。B.ワルターとR.シュトラウスから受け継いだ
モーツァルト哲学の帝王学は抜きん出ている。
1894.8.28(グラーツ)〜1981.8.14(ザルツブルク)
グラーツでデビューして間もなくB.ワルターに見出されてミュンヘン国立歌劇場へ移った。そこでモーツァルトの素晴らしさを基本から教わった。ワルターがナチスに追われて渡米してからは戦時下でありながら幸運にもR.シュトラウスに師事した。この作曲家もモーツァルトの専門家であったのでベームは名実ともにモーツァルト演奏の規範とも言われる専門家になれた。戦前と戦後に二回ウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就任しており、オーストリア音楽総監督の名誉にも二回浴している。作品全体を見通してのテンポ配分は完全であり「
遅すぎず速すぎず」の中庸でありながらモーツァルトの作曲の意図を20世紀に再現して聴かせてくれた。またベートーベンの作品も得意とした。どちらも交響曲全集の記録がある。20世紀最高の指揮者として今は故郷のグラーツに眠る。

第81回
モーツァルト: ピアノソナタ第8番 K310
作曲年代 1778 パリ
第一楽章:アレグロ・マエストーソ イ短調 4/4
第二楽章:アンダンテ・カンタービレ ヘ長調 3/4
第三楽章:プレスト イ短調 2/4
演奏 エミール・ギレリス 1970 ザルツブルク
ピアノソナタ第10番 K330 1783 ザルツブルク
第一楽章:アレグロ・モデラート ハ長調 2/4
第二楽章:アンダンテ・カンタービレ ヘ長調 3/4
第三楽章:アレグレット ハ長調 2/4
演奏 クリストフ・エッシェンバッハ 1967 ベルリン
ピアノソナタ 第11番 イ長調 K331 1783 ザルツブルク
第一楽章:アンダンテ・グラツィオーソ〜ヴァリアツィオーネ1−4
イ長調 6/8 第二楽章:メヌエット イ長調 3/4 第三楽章:
アラ・トゥルカ アレグレット イ短調 2/4
演奏 クリストフ・エッシェンバッハ 1970 ベルリン
第11番は「トルコ行進曲」付きとしてあまりに有名である。第12番とともに最も有名なピアノソナタとして知られる。当時はトルコ風がウィーンでも流行していた。第8番はパリで母が亡くなった年に書かれたので優雅ではあるが葬送曲のイメージも感じられる。第10番と第11番は結婚報告のために帰ったザルツブルクで書かれたと考えられいる。しかし曲風は旅行したパリの影響を強く残している。ウィーンの人々がメヌエットに拘るのはパリへの劣等感からであるという。

第80回
J.S.バッハ:無伴奏パルティータ 1720 作曲
ケーテン宮廷楽長時代(1717〜1723)
第1番 ロ短調 BWV1002 
アルマンド、クーラント、サラバンド、ブーレ
第2番 ニ短調 BWV1004
アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ、シャコンヌ
第3番 ホ短調 BWV1006
前奏曲、ルーレ、ガヴォット、メヌエット1&2 ブーレ、ジーグ
演奏: フェリックス・アーヨ(ヴァイオリン) 1975
ローマ アーヨはスペイン生まれでローマで1951年に「イ・ムジチ」合奏団を結成した。
この時代の組曲は転調をしないのを原則としていた。この有名な一連の組曲は、ソナタとパルティータを交互に三曲ずつで構成した。有名な無伴奏チェロ組曲とセットになっている名曲である。第2番の最後の楽章である「シャコンヌ」は圧巻である。数あるバッハの作品の中で「トッカータとフーガ」とともに代表作品となっている。これらの組曲は「無伴奏」なるが故に価値が高められている。バッハを再評価したメンデルスゾーン達がピアノの伴奏曲を付けたが後世には受け入れられなかった。
この作品群では3音を重ねる演奏法が要求されており、現代のヴァイオリンで引くのは困難である。当時のヴァイオリンの弓は文字通りの形の弓であったので3音の重音奏法が可能であったのである。この名曲はヴァイオリンでなければ表現できない。ピアノでは絶対に表現できない
至高の芸術性を誇る。

第77〜
79回
モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 K527
詳しい解説(1)
作曲年代 1787年10月28日 プラハ 初演 10月29日
詳しい解説(2)
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第76回
モーツァルト:セレナーデ第13番 ト長調 K525
作曲年代 1787年8月6日 ウィーン
セレナーデ第6番 ニ長調 K239 1776年1月 ザルツブルク  第9番 ニ長調 K320 1779年8月3日 ザルツブルク
構成(13番) ヴァイオリン2 ヴィオラ チェロ コントラバス
(6番)第1オーケストラ:ヴァイオリン2部 ヴィオラ バス(ヴィオローネ)
第2オーケストラ:ヴァイオリン2部 ヴィオラ チェロ ティンパニ
第6番は「ハフナー」と同年に書かれた。バロックのコンチェルト・グロッソの形式を踏んでいる異色作である。リピエーノとコンチェルティーノからなる二つのオーケストラの掛け合いで進行する。しかし後者が常にリードする形式であり、バロック協奏曲の基本的な形式の一つである。第9番は「ハフナー」に匹敵する規模のセレナーデでありモーツァルト23才の力作である。第6番は緩徐楽章を欠いているがロンドの中間でアダージョが現れる。何れもベームの指揮でベルリンで1970年に録音された。
第13番 第一楽章:アレグロ ト長調 4/4 第二楽章:ロマンツェ アンダンテ ハ長調 2/2 第三楽章:メヌエット アレグレット ト長調 3/4 第四楽章:ロンド アレグロ ト長調 2/2
第6番 第一楽章:行進曲 マエストーソ ニ長調 2/4 第二楽章:メヌエット ニ長調 3/4 第三楽章:ロンド アレグレット ニ長調 2/4〜アダージョ 3/4〜アレグロ 2/4
第9番 第一楽章:アダージョ・マエストーソ ニ長調 4/4〜アレグロ・コン・スピリト 第二楽章:メヌエット アレグレット ニ長調 3/4 第三楽章:コンチェルタンテ アンダンテ・グラチオーソ ト長調 3/4 第四楽章:ロンド アレグロ・マ・ノン・トロッポ ト長調 2/4 第五楽章:アンダンティーノ ニ短調 3/4 第六楽章:メヌエット ニ長調 3/4 (トリオ1、トリオ2) 第七楽章:フィナーレ プレスト ニ長調 2/2
モーツァルトの全作品でこの第13番ほど美しい曲は他にない。モーツァルトの代名詞になっている名曲である。第二楽章はこの番組のテーマ曲にも指定している。K.ベームの指揮でウィーン・フィルによる1974年の記念碑的な録音である。これ以上の名演奏は空前絶後であろう。ベームの
テンポ配分はこれしかないという究極的なものである。速いところは速く、遅いところは遅く過不足なく纏めるのは至難の業であるがベームはモーツァルト演奏の歴史的な規範を打ち立てたと言える。

第75回
モーツァルト:交響曲第25番 ト短調 K183
作曲年代 1773年10月3日 ザルツブルク
第7番 ニ長調 K45 第8番 ニ長調 K48
作曲年代 1768年1月と12月 ウィーン
構成(25番) オーボエ2、ファゴット2、ホルン4、弦5部(通奏低音)
(7番と8番) オーボエ2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部(通奏低音)
モーツァルト父子は1768年はずっとウィーンに逗留していた。10月から11月にかけて姉弟ともに天然痘に罹患したので暫く郊外のオルミッツに避難していた。モーツァルトの顔にその痕が残っているが12才のモーツァルトは7番と8番の他に交響曲変ロ長調(K45b)を書いている。ザルツブルクに戻ったモーツァルトは一年間の準備の後に翌1769年12月には父子二人でイタリアに音楽修行に出掛ける。
この第7−8番の演奏はK.ベーム指揮のベルリン・フィルで1968年の録音である。
第25番 第一楽章:アレグロ・コン・ブリオ ト短調 4/4 
第二楽章:アンダンテ 変ホ長調 2/4 第三楽章:メヌエット ト短調 3/4 第四楽章:アレグロ ト短調 2/2
第7番 第一楽章(序曲):アレグロ ニ長調 4/4 第二楽章:アンダンテ ハ長調 2/2 第三楽章:メヌエット ニ長調 3/4 第四楽章:(アレグロ) ニ長調 2/4
第8番 第一楽章:(アレグロ) ニ長調 3/4 第二楽章:アンダンテ ト長調 2/4 第三楽章:メヌエット ニ長調 3/4 第四楽章:(アレグロ) ニ長調 12/8
モーツァルトは有名なト短調の交響曲を二曲書いている。この25番とあの40番である。交響曲は元来は祝典的な序曲であるから基本的には長調で書かれることが多かった。ゲーテに代表される「疾風怒濤」の文芸運動の影響と受けてこの時期にハイドンも短調の交響曲を書いている。モーツァルトもその影響を受けたのであろう。短調の交響曲は稀有な存在だけに返ってその輝きを歴史に留めたと言える。この第25番の演奏はJ.レヴァイン指揮のウィーン・フィルで1985年の録音。1981年ベームの没後にウィーンは優れた指揮者を失ったがバーンスタインやレヴァインで穴埋めをした。

第74回
J.S.バッハ:「音楽の捧げ物」 1747 ベルリン
演奏 ウィーン・コンチェントゥス・ムジクス 1970
フリードリッヒ大王が提示した主題に基づくフーガを即興演奏した後で楽譜に書いて献呈した作品である。ベルリンの宮殿には彼の次男のCPE.バッハが勤めていた。「対位法」は既に古い作曲法と考えられていたが、大王は高名なバッハに敬意を表したのであろう。わざとフーガには向かない主題を提示した大王に対して、バッハも演奏不可能なフルートのパートで答えた。しかし、この記録はバッハ最晩年の傑作として歴史に留まったのである。
N.アルノンクールはベルリンに生まれてグラーツで育ったのでベームの後輩と言える。1953年にウィーン・フィルのチェロ奏者をしながら古楽演奏集団ウィーン・コンチェントゥス・ムジクスを組織して今日に至る。2006年には26年ぶりにウィーン・フィルと同楽団を率いて日本に演奏旅行をした。戦後のバロック・ブームを乗り越えて音楽作品が作曲された時代の古楽器と演奏方法によって再現するという極めて困難な事業に取り組んで来た先駆者である。当初は異端者として扱われた彼も今ではバロックのスタンダードと呼ばれる様になった。世論とは如何にも軽薄であると思うが時代の変遷もこうして歴史に記録されるのであろう。バッハがいなければモーツァルトも存在し得ない。「音楽の父」は永遠である。

第73回
源氏物語に登場する雅楽:朗読 幸田弘子 長谷川景光作曲 2005 演奏 雅楽の会(東京)
収録されている楽曲:盤渉調 青海波(紅葉賀)、盤渉調 秋風楽(乙女)、黄鐘調 喜春楽(胡蝶)、平調 万歳楽(若菜上)、大食調 仙遊霞(若菜下)、大食調 太平楽(若菜下)、黄鐘調 海仙楽(総角)、九声双調 藤花(宿木)
原文の朗読に続いて雅楽の演奏が聴かれる。
平安時代の歌謡は取りも直さず現代の日本歌謡の原点である。1990年の宮内庁楽部の演奏記録。
源氏物語の中には雅楽の管絃や舞楽に関する記述が多く出てくる。しかし、平安時代の源氏物語が成立した頃にどの様に演奏されていたかは誰も分からないがテンポは今より速かったらしい。紫式部が源氏物語を書いている頃に雅楽の天才である源博雅が活躍していた。作曲者はその当時を遥かに空想して作曲されたらしい。原文の朗読と雅楽演奏を組み合わせて、平安時代の雅楽を再現した画期的な作品である。明治と昭和でも雅楽の変遷は大きい。解説は困難であるので感性で聴いて頂く他は無い。
併せて平安時代の歌謡の代表的な歌をご紹介する。神楽歌、大和歌、久米歌、東遊び、催馬楽、朗詠などである。

第72回
モーツァルト:セレナーデ第7番「ハフナー」 ニ長調 K250 作曲年代 1776年7月 初演 同年7月21日 ザルツブルク 
構成: フルート2、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット(クラリーノ)2、ヴァイリン2部、ヴィオラ(チェロ)、コントラバス
モーツァルト
20歳までの作曲活動を集大成する作品で演奏時間も1時間を要する。ザルツブルク市長の娘の結婚式のために書かれた。後に1782年に交響曲第35番「ハフナー」として再編成されている。演奏はコレギウム・アウレウム合奏団 ヴァイオリンはF.J.マイヤーで1970に録音された。
第一楽章:アレグロ・マエストーソ ニ長調 4/4 〜 アレグロ・モルト 2/2 第二楽章:アンダンテ ト長調 3/4 第三楽章:メヌエット ト短調 3/4 第四楽章:ロンドーアレグロ ト長調 2/4 第五楽章:メヌエット・ガランテ ニ長調 3/4 第六楽章:アンダンテ イ長調 2/4 第七楽章:メヌエット ニ長調 3/4 第八楽章:アダージョ ニ長調 4/4 〜 アレグロ・アッサイ 3/8 
このセレナーデ第7番は初めての本格的な交響曲的な管絃楽作品であり、その後のオペラと協奏曲や交響曲の輝かしい作品群を予感させる記念碑的な作品である。メヌエットが三楽章もあり史上最高の結婚祝典楽曲であり、セレナーデとしては大規模な構成と華麗さを実現した。
舞曲および協奏曲と交響曲からなる組曲とも言える記念碑的な超大作である。

第71回
「源氏物語千年紀」を記念する特集(4)はチベット仏教音楽の声明をお聴き下さい。インドにある亡命政府が設立したダラムサラのナムギュル学堂の僧侶たちが、1990年に東京のスタジオで録音した。
15人の僧侶が各種の楽器を伴奏として神秘的に合唱する。グレゴリオ聖歌とも真言声明にも通じる普遍性が感じられる。シンバルの種類のプグチョルとシルニェン、ティルブとドルジェの鈴、ダマルというでんでん太鼓、ギャリンという篳篥、ラグガという長柄太鼓、チェエガなる大太鼓、そして極め付けはトゥンチェンという長さ3メートルの巨大喇叭である。
初めはゆっくりとしたテンポで読経のコーラスが聞こえる。子供の頃から聴いている真言宗の読経を思い出す。しかし、数分すると突然にトゥンチェンの天地を炸裂させる超重低音が最大ボリュームで聴く者を揺るがせる。将に「驚天動地」である。暫くすると元の静かな読経に戻る。それを何回か繰り返して同時に他の楽器も一斉に鳴り響いて大音量の無秩序な混沌の世界が現れる。前半では声明と合奏は同時には演奏しないが、後半では楽器が声明を伴奏する。テンポもユーラシア大陸に共通の序破急の原理を呈している。時には歌う僧侶達の手拍子も入ってくる。2〜3のパートが少しずつテンポをずらしながらフィナーレでは同期して綺麗なハーモニーとなって静かに終わり、世界の永遠の平和を祈っている。

第70回
G.P.テレマン(1681−1767) 四重奏曲ト長調 トリオ・ソナタロ短調、ソロ・ソナタハ長調、管弦楽組曲(序曲)ニ長調、協奏曲ヘ長調などのターフェル・ムジークをご紹介します。ターフェルとは予約販売の食事付き音楽会のことである。生涯に4000曲以上も作曲したという超多作の作曲家であり、オペラ指揮者、教会音楽監督として生前はバッハを凌ぐ人気を誇った。演奏はアムステルダム合奏団、指揮F.ブリュッケン、1964年及びT.コープマン指揮アムステルダム・バロック・ソロイスツ 1993年。 欧州最古のオーケストラを持つライプチッヒからの招聘を断ったのでバッハが赴任したというエピソードが残っているが、ハンブルクのテレマンにとってもそれは幸いであったと言うべきである。「私は一人のためには作曲しない。大多数の聴衆のために書くのを信念としている」と語っている。BGMとして一日中聴いていても飽きない楽しくやさしい音楽であるが、万人を対象としながらも多くの素晴らしい音楽を書いた。同時代のバッハ、ヘンデルとともにモーツァルトにも多大の影響を与えたに相違ない。何時まで聴いていても飽きない「ターフェル・ムジーク」はバロック音楽の百科辞典と言われている。聴く人のための音楽という原点がある。

第69回
モーツァルト:交響曲第35番 ニ長調 K385 「ハフナー」 
第一楽章:アレグロ・コン・スピリトD, 第二楽章:アンダンテG, 第三楽章:メヌエットD, 第四楽章:プレストD
交響曲第36番 ハ長調 K425 「リンツ」
第一楽章:アダージョ〜アレグロ・スピリトゥーソC, 第二楽章:アンダンテF, 第三楽章:メヌエットC, 第四楽章:プレストC
35番はフルート2本とクラリネット2本を36番はホルン2本を配置している。あとはオーボエ、ファゴット、トランペット、ティンパニと弦5部である。
演奏はL.バーンスタイオ指揮のウィーン・フィルで1984年、ムジーク・フィライン・ザールでの記録。
35番は1782年7月にウィーンで書かれて1783年3月にブルク劇場で初演された。ウィーンに出て間もなくの頃は協奏曲の作曲で忙しくしていたので交響曲はあまり書かなかった。四楽章の内、最初の三楽章をコンサートの開始時に演奏し、最終楽章を終了時に演奏するのが当時の習慣であった。協奏曲に比して交響曲は序曲的な役割しかなかったのである。36番は1783年10月から11月にかけてリンツで作曲されて、同年11月4日に初演された。第一楽章に序奏とアレグロを持つのはバロック時代の「シンフォニア」の名残でありハイドンの強い影響が見られる。この後は偉大な38番「プラハ」、39番、40番、41番と続き1788年(32才)で交響曲の作曲を終える。モーツァルトにとっては協奏曲とオペラの方により重点が置かれていたことが理解できるであろう。当時ではオペラでなければ公演収入を得られないという事情がある。器楽曲も協奏曲の方が人を集めた。

第68回
モーツァルト:交響曲第31番 ニ長調 K297
第一楽章:アレグロ・アッサイD, 第二楽章:アンダンテG, 第三楽章:アレグロD
交響曲第32番 ト長調 K318
第一楽章:アレグロ・スピリトゥーソG, 第二楽章:アンダンテG, 第三楽章:プリモ・テンポ
交響曲第33番 変ロ長調 K319
第一楽章:アレグロ・アッサイB, 第二楽章:アンダンテ・モデラートEs、第三楽章:メヌエットB, 第四楽章:アレグロ・アッサイB
交響曲第34番 ハ長調 K338
第一楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェC, 第二楽章:アンダンテ・ディ・モルトF, 第三楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェC
演奏はJ.レヴァイン指揮のウィーン・フィル、1985〜1986.
31番は1778年6月パリで作曲されて6月18日に初演された。当時の先進的なオーケストラの支配人よりの依頼で書かれた。子供の時に来たパリと22才の時のパリでは別の扱いを受けたので父に「僕はパリが嫌いや」と書いている。32番はザルツブルクで1779年4月26日に書かれた(23才)。33番も1779年7月9日に書かれた。新大司教の下でいやいや宮廷オルガニストを勤めていた時である。34番は1780年8月29日にザルツブルクで書かれた最後の交響曲である(24才)。次の35番「ハフナー」への飛躍を秘めた作品である。この時期は三楽章形式と四楽章形式が混在している。生涯に約50曲書いた交響曲であるが、35番から41番に続く輝かしい傑作を生み出す為に1番から34番があると言っても良いのではないか。尚、第37番はミヒャエル・ハイドンから借りたことが判明しているので37番は欠番になっている。音楽会やオペラの「序曲」から交響曲はこうして独立を遂げようとしていた。モーツァルトの晩年からベートーベンの時代に交響曲は演奏会用に定着して今日に至るのである。

第67回
源氏物語千年紀:現代京都語訳による「若紫」「桐壺」 作者:紫式部 1008頃完成 現代京ことば訳中井和子先生 朗読 井上由貴子さん 1989 京都 カセットテープ二本組 大修館書店 
2008年は源氏物語千年紀を記念して京都と全国で行事が目白押しである。「定家本」が流布しているが源氏物語は「伊勢物語」の巨大な影響下に成立した。「若紫」の段は「伊勢物語」の第一段の写しと拡大である。紫式部は歌人でもあり、物語の中でも珠玉の歌が光る。日本文学の最高峰である源氏物語は世界の文学遺産でもある。平安貴族の美学とロマンを今に伝えていて不滅である。
源氏物語は過去にも与謝野晶子、谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴、円地文子、田辺聖子などが標準語に訳している。しかし、平安時代のニュアンスからは程遠い。現代京ことばは平安時代の日本語の直系であり今尚使われている話し言葉である。この画期的な翻訳は15年の歳月を懸けて中井和子先生が成し遂げた偉業である。その朗読を担当した井上由貴子さんは生粋の京都生まれで謡曲の達人である。千年の時を超えて今に甦る王朝文学の粋をお聴き頂きたいと思う。朗読には別にCD10枚組の出版もあるが、こちらの朗読者は京都生まれではなくイントネーションが正しくない。他所の人には区別は付かないと思うが京都の人が聴けばその違いは歴然としている。また、作曲家でフルート奏者の松崎裕子さんのシンセサイザーによる音楽が素晴らしい。

第66回
真言声明:高野山 南山進流 1989 ベルギーでの公演記録より
1.庭賛 Teisan 2.総礼加陀 Soulai Kada 3.散華 Sange 4.対揚 Taiyou 5.唱礼 Shoulei 6.理趣経 中曲 Lishukyou Chiukyoku 7.後賛 Gosan 8.称名礼 第1句 Shoumyoulai (1) 9.称名礼 第2、3句 Shoumyoulai (2)(3)
導師:稲葉義猛師 高野山の15名の僧侶によるグリンベルゲンでの貴重なライブ記録である。
グレゴリオ聖歌が西洋音楽の源流である様に、声明は日本伝統音楽の源流である。その成立もグレゴリオ聖歌とほぼ同時代と考えてよい。752年の東大寺大仏開眼供養会の時に始めて公開された記録がある。その後平安時代に空海が真言声明を伝え、次いで円仁は天台声明を伝えた。この二大声明がその後の日本での二大源流となって今日に到っている。戦後はヨーロッパで先に認知されたあとで日本でも声明の存在を知る人が増えてきたという肩身の狭い経緯がある。グレゴリオ聖歌に優るとも劣らない声明の音楽を日本人はもっと誇りに思わなければならない。

第65回
グレゴリオ聖歌:サン・ピエール・ド・ソレーム修道院聖歌隊 指揮 ドン・ジョゼフ・ガジャール神父 (1885−1972) フランス 演奏年月日 不詳
1.ソレームの鐘 2.あわれみの賛歌 第9番 Kyrie (M1) 3.栄光の賛歌 第9番 Gloria (M7) 4.感謝の賛歌 第9番 Sanctus (M5) 5.平和の賛歌 第9番 Agnus Dei (M5) 6.あわれみの賛歌 第11番 Kyrie (M1) 7.信仰宣言 第1番 Credo (M4) 8.入祭唱 主、我にのたまえり Intro: Dominus Dixit Ad Me (M2) 9.入祭唱 一人の幼児が Intro: Puer Natus Est (M7) 10.アレルヤ唱 聖なる日は Alleluia: Dies Sanctificatus (M2) 11.入祭唱 主よ、永遠の安息を Intro: Requiem (M6) 12.続唱 怒りの日 Sequentia: Dies Irae (M1)  13.賛歌 舌よ、栄光ある Hymnus: Lingua Gloriosi (M1) 14.昇階唱 この日こそ Graduale: Haec Dies (M2) 15.続唱 復活のいけにえを Sequentia: Victimae Paschali (M1) 16.続唱 精霊よ、来たりたまえ Sequentia: Veni Sancte Spiritus (M1)
グレゴリオ聖歌は9〜10世紀にかけてローマ・カトリック教会とガリア(現在のフランス)の教会の聖歌を統合したものであるとの定説に達した。6世紀のグレゴリウス一世の名を伝説的に冠してはいるがヨーロッパ最古の聖歌であり音楽であることに相違ない。グレゴリオ聖歌は単旋律・無伴奏の宗教音楽であり、教会旋法という8種類の旋法に分類されていた。ハーモニーも対旋律もなく楽器の伴奏もなく、ユニゾン(斉唱)で歌われる。音階は12音音階ではなく、6音音階である。楽譜はネウマ譜という四本線の楽譜が13世紀から用いられ、16世紀には五線譜に発展して現代に到っている。音符は当時は上行旋律には四角音符で、下行旋律には菱形音符で表示した。バス記号やシャープ、フラット、ナチュラルの臨時記号もグレゴリオ聖歌の記譜法から直接に由来するものである。モノフォニーのグレゴリオ聖歌は中世からルネサンスにかけてポリフォニー音楽の発展に貢献した。そしてモーツァルトが活躍した古典派に於いてホモフォニーの音楽が完成されたのである。
日本ではグレゴリオ聖歌が誕生する前に中国から仏教音楽である声明が伝わっていた。平安時代に完成されて今日まで千年余に渡って伝統が守られて来た事は驚嘆に値する。雅楽と声明は日本音楽に決定的な影響を与え続けた。グレゴリオ聖歌もまた西欧音楽に影響を与え続けて来た。今日では無調時代の混沌の中にあるが今一度歴史を遡って原点を聴く必要があると痛感している。

第64回
モーツァルト:交響曲第15番ト長調 K124
第一楽章:アレグロG、第二楽章:アンダンテC
第三楽章:メヌエットG、第四楽章:プレストG
交響曲第16番ハ長調 K128 第一楽章:アレグロC、第二楽章:アンダンテ・グラツィオーソG、第三楽章:アレグロC
交響曲第17番ト長調 K129 第一楽章:アレグロG、第二楽章:アンダンテC、第三楽章:アレグロG
交響曲第18番ヘ長調 K130 第一楽章:アレグロF、第二楽章:アンダンティーノ・グラツィオーソB、第三楽章:メヌエットF、第四楽章:モルト・アレグロF
第15番は1772年2月に書かれた。第16番から18番までは同年5月に書かれた。新任の大司教ヒエロニムス・コロレードが着任した年であるので着任の行事用に作曲された可能性がある。ヴァイオリンが得意な新大司教は演奏にも参加する程の熱心さであったという。第二回目のイタリア旅行から帰ってから作曲されたのでイタリアの影響が色濃くみられると同時にウィーンの影響も受けている。三楽章形式のシンフォニアもあれば四楽章形式の構成もどちらも既に書かれている。第18番はモーツァルト最初の本格的な交響曲であるが、フルート2本とホルンC2本F2本というシンプルな構成である。16歳のモーツァルトは欧州各地への大旅行の成果を自らの作風に取り入れて将に飛翔しようとする時代と言えるのである。

第63回
モーツァルト:交響曲第19番変ホ長調 K132
第一楽章:アレグロEs、第二楽章:アンダンテB、第三楽章:メヌエットEs、第四楽章:アレグロEs 第五楽章:アンダンティーノEs
交響曲第20番ニ長調 K133 第一楽章:アレグロD、第二楽章:アンダンテA、第三楽章:メヌエットD、第四楽章:アレグロD
交響曲第21番イ長調 K134 第一楽章:アレグロA、第二楽章:アンダンテD、第三楽章:メヌエットA、第四楽章:アレグロA
ハイドンの影響下に交響曲の連作に取り組んだ。
1772年には合計7曲の交響曲が書かれている。第15番から第21番までであるが、19番と20番は7月、21番は8月にザルツブルクで書かれた。この時モーツァルトは若干16歳である。その後1772年10月24日に第三次イタリア旅行に出掛けて、翌年の3月13日に帰郷してその年の7月中旬には第三次ウィーン旅行へ出るという忙しさである。当時はハイドンの例に倣って、交響曲でも6曲の連作が標準であったらしい。この時期にはまだハイドンとその弟であるミヒャエル・ハイドンらの影響が見られる。交響曲の形式は既に四楽章形式になっている。第19番の第五楽章は元は第二楽章の別の原稿であった。演奏はカール・ベーム指揮のベルリン・フィルで1968年のイエス・キリスト教会での録音である。

第62回
ビバルディ:フルート協奏曲へ長調「海の嵐」RV433
同:フルート協奏曲ト短調「夜」
RV439
イ・ソリスティ・ディ・ペルージャ 2002 イタリア
バロック・ハープシコードの独奏 ローレンス・カミングス 1999 イギリス
スカルラッティ:ソナタヘ短調・作品466
同:ソナタへ短調・作品467
同:ソナタニ長調・作品119
同:ソナタニ短調・作品120
アントニオ・ビバルディ(1678−1741) イタリアを代表するバロック音楽の大作曲家であり、「協奏曲の元祖」として知られる。晩年はウィーンとイタリアを往復してウィーンで没した。ハイドンとモーツァルトに多大の影響を与えた。モーツァルトに負けない程の多作であり次の三人とともにバロック音楽を集大成した功績は大きい。
ドメニコ・スカルラッティ(1685−1757) J.S.バッハとヘンデルと同年に生まれた。
1685年は三人の天才作曲家を生んだ偉大な年であり音楽史上特筆すべきことである。ヘンデルはナポリでスカルラッティとオルガンの競演をしたと伝えられる。

第61回
モーツァルト:交響曲第26、27、22、23、24番
作曲年代 1773年3月〜10月 ザルツブルク
イタリアの「シンフォニア」というオペラの序曲の形式とウィーンのハイドンの影響下にこの年に6曲の交響曲が書かれた。そして遂に第25番と第40番に於いて初めてト短調の交響曲が書かれることになるのである。第25番の飛躍の直前のこれらの連作には若きモーツァルトの血潮が感じられる。この若きモーツァルトから第39、40、41番や四大オペラを想像出来るであろうか。
構成は何れも三楽章形式で10分余りの短い交響曲である。楽器の構成も極めてシンプルであり躍動感に溢れている。急ー緩ー急の三楽章形式であり、協奏曲と同じ構成である。しかし三楽章を切れ目なく連続的に演奏することも行われた。第25番に到って初めて四楽章形式が現れるのである。そして30分以上の規模になり、ベートーベンに到って60分を越える交響曲に拡大することになる。
演奏はジェイムズ・レヴァイン指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で1985年のムジーク・フェラインザールでの録音である。レヴァインは米国の指揮者であるがバーンスタインの跡を受けてウィーンとはよく共演している。

第60回
ベートーベン:交響曲第8番ヘ長調 作品93
作曲年代 1812年10月 リンツ 初演 1814年2月24日 ウィーン 
第1番と2番と同じく古典形式への回帰がみられるが九つの交響曲で最も人気のない作品である。しかし、古典形式ではあるが随所にベートーベンの工夫が見られて作曲者本人は自信作であったらしい。自身の指揮での初演もその前年の12月8日に初演された第7番とともに演奏されたので陰に隠れた存在であった。3番、5番、6番や9番のベートーベンとは別の顔が垣間見える。
構成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部
第一楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・コン・ブリオ ヘ長調 3/4
第二楽章:アレグレット・スケルツァンド 変ロ長調 2/4
第三楽章:テンポ・ディ・メヌエット ヘ長調 2/2
第四楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ ヘ長調 2/2
演奏:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1984年1〜2月 ベルリン カラヤン(1908−1989)は1929年のデビュー以来、実に60年の長きに渡ってヨーロッパ楽壇の”帝王”として君臨した。ベートーベンの交響曲全集を3回も録音している。この記録は3番と共にその最後を飾る。

第59回
モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」ニ長調K504
作曲年代 1786年12月6日 ウィーン
初演 1787年1月17日 プラハ
ウィーンの聴衆が好むメヌエットを省いた画期的な交響曲であるが、ウィーンでは最初は理解されなかった。「フィガロ」がプラハで熱狂的に受け入られたので夫妻でプラハに招待された時にモーツァルト自身の指揮で初演された。プラハではその後100回も演奏されたが、やがてプラハで「
ドン・ジョヴァンニ」が生まれるのである!
構成:フルート2、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部
第一楽章:アダージョ 4/4〜アレグロ ニ長調 4/4
第二楽章:アンダンテ ト長調 6/8
第三楽章:(フィナーレ) プレスト ニ長調 2/4
演奏:カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1979年 ウィーン ベーム85歳の誕生日のお祝いに最後の録音がなされた。この歴史的な演奏記録はB.ワルターとR.シュトラウスから受け継いだベームのモーツァルト研究の到達点である。後世の規範として幸運にも現代に伝えられたことは喜ばしい。