ニューイヤーコンサート 2003

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New Year Concert 2003

毎年一月一日にウィーンから送られてくるワルツの祭典は新年に相応しい優雅な雰囲気を世界中の茶の間まで運んでくれます。毎年の様に聴いていますがN.アルノンクールさんが指揮した2003年版が特に印象に残っています。その曲目は以下の通りの14曲であります。
(1) C.M.ウェーバー:「舞踏への勧誘」
(2) J.シュトラウス2世:フランス風ポルカ「2度音程」
(3) J.シュトラウス2世:「ヘレーネン・ポルカ」
(4) J.シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」
(5) J.シュトラウス2世:「田舎風ポルカ」
(6) J.シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「女性賛歌」
(7) J.シュトラウス1世:「中国風ギャロップ」
(8) J.ブラームス:「ハンガリア舞曲・第5番」
(9) J.ブラームス:「ハンガリア舞曲・第6番」
(10) J.シュトラウス2世:ワルツ「戴冠式の歌」
(11) J.シュトラウス2世:速いポルカ「軽い心で」
(12) J.シュトラウス2世:「狂乱のポルカ」
(13) J.シュトラウス2世:ワルツ「美しき青きドナウ」
(14) J.シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」
この曲目の配列には音楽史的な重要な意味があります。さすがは古楽研究の第一人者であるアルノンクール先生でありますからワルツの歴史を遡る選曲になりました。2001年の時は「ラデツキー行進曲」のオリジナル版を披露されて現行版との比較を聴かせてくれました。ウェーバーの有名な「舞踏への勧誘」はウィンナ・ワルツの元祖とも言うべき名曲であります。言うまでもなく、C.M.ウェーバーはモーツァルトの妻コンスタンツェの従姉弟に当たります。ウェーバーの父フランツ・ウェーバーはレオポルド・モーツァルトを見習ってわが子カール・マリアをモーツァルトの様に天才教育をしようと旅回りの楽団を結成してドイツとオーストリアを巡回して廻りました。ですからウェーバーの幼少期の生い立ちはモーツァルトによく似ています。このモーツァルトを意識した天才教育は歴史的な成果を得ました。C.M.ウェーバーはモーツァルトの音楽を継承してワーグナーとベルリオーズにバトンを繋ぐ極めて重要な役割を果たしたのであります。即ちモーツァルトが始めた「魔笛」などのドイツ語オペラをドイツ・ロマン派オペラの形式の確立へと導いたのであります。その記念碑的な作品が「魔弾の射手」であります。ベルリオーズはこの歌劇のパリ上演に努力して実現させました。そのオペラの幕間に演奏する曲目としてピアノ曲であった「舞踏への勧誘」の素晴らしい管弦楽への編曲を行いました。今日ではこの編曲によって世界中の人が誰でも知っている名曲となったのであります。一方のワーグナーは「楽劇」というドイツ・ロマン派オペラ形式を確立したことは周知の通りであります。なお、ベルリオーズは初めてワーグナーの歌劇を聴いて、「この人は作曲法を知らないのではないか」と述べたと伝えられています。それほどワーグナーの「楽劇」は当時でも異常に感じられたのでしょう。
ウェーバーはまた指揮者の第一号であります。たまたま楽譜を丸めて振ったら受けたので指揮棒の使用を思いついたと言われています。モーツァルトが「ドン・ジョヴァンニ」を成功させたあのプラハ歌劇場の音楽監督に30年後に就任したウェーバーは「ドン・ジョヴァンニ」以降は寂れていたこの由緒ある歌劇場を再生させました。この様にモーツァルトの直系とも言うべきウェーバーは音楽史的に重要な位置にありました。モーツァルトのもう一つの流れはベートーベンを経てブラームスに引き継がれました。すべての流れがロマン派に向かう中でブラームスは新古典主義に殉じました。そしてJ.シュトラウス2世とはお互いにその才能を認め合う親友でもありました。面白い逸話が残っています。ワーグナーがウィーンでJ.シュトラウス2世の作品を指揮した時に、「僕はどうしてもこの様な軽い楽しい曲が作れない」と言ったとのことで、あの「楽劇」の作曲者ならではの述懐でありましょう。
これらの曲目の由来はご存知でしょうから詳しくは申しませんが「ラデツキー行進曲」はJ.シュトラウス1世が、イタリアでの戦勝を記念して作曲した男性合唱曲を後に自ら管弦楽に編曲したものであります。J.シュトラウス2世が作曲した「美しき青きドナウ」はオーストリアの第二国歌と言われる位に有名ですが、敗戦下の国民を勇気づけようと祖国の山河を称える名曲に育てました。こうしてモーツァルトの音楽の伝統は受け継がれてウィーンで歴史的な発展を果たしましたがシェーンベルクに至り、モーツァルトが完成させた古典派音楽の基本構造を根底から破壊する謂わば「西欧音楽の終焉」ともいうべき結末に導いたのもウィーンに於いてであります。この破壊にはワーグナーも大きい役割を果たしました。因みにベームさんの師匠であるR.シュトラウスでありますが、初めはワーグナーに傾倒して「楽劇」の形式でオペラを書いていましたが晩年はモーツァルトに回帰して「薔薇の騎士」などの傑作を残しました。
モーツァルト以後の歴史について簡単に触れましたが、モーツァルトに影響を与えた人々は沢山います。まずは初期の旅行ではイタリアの音楽とバッハの遺産に触れました。バッハの末子のロンドンのJ.C.バッハからは直接に指導を受けました。レオポルドお父さんの他にはハイドン先生からの薫陶も光ります。オペラ誕生の初期から活躍したモンテ・ヴェルディのオペラを改革したグルックがモーツァルトの上司で居たことも幸運でした。グルックは古典派オペラを完成寸前まで用意して後任のモーツァルトに確実にバトンを渡しました。こうしてウィーンではモーツァルトを頂点とする近代音楽の歴史を文字通り創造して来ましたので「音楽の都」と呼ばれるには誰も異論はありません。そのウィーンから毎年届くニューイヤー・コンサートは華麗なワルツによって新年の祝賀気分を盛り上げてくれます。万年雪を冠するモーツァルトのアルプスの頂きから枯れることなく流れ続ける水がドナウ河に流れ込む様に「美しく青きドナウ」のワルツに乗って、毎年新鮮で楽しく幸せな気持ちにさせてくれますね。

この道は近くて遠き幸せの何時か来る道いのちある間に!

So near and far this way will bring us happiness while being alive !

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2003.1.1 ORF/NHK 放送記録         10 Aug 2008

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