「ドン・ジョヴァンニ」

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Ky-048

W. A. Mozart : Don Giovanni

村山先生、こんばんは。我が家のホームコンサートは21世紀の新年からは午後9時開演です。オペラは一曲が約3時間なので、晩くとも9時には始めないと寝る時間が無くなります!今夜はとうとう「ドン・ジョヴァンニ」の出番になりました。1787年10月29日にプラハ市民歌劇場でモーツァルト自身の指揮により初演されました。「フィガロの結婚」で大成功を収めた後に、プラハ市民歌劇場の支配人パスクヮーレ・ボンディーニから新作を依頼されたもので、モーツァルト専属の台本作者であるロレンツォ・ダ・ポンテ(1749-1838)によって中世ヨーロッパの伝説的な女たらしの物語として有名な「ドン・ファン伝説」に取材して、イタリア語の台本に書き上げたものに拠っています。色々な脚本や台本が既に出回っていた中で、ダ・ポンテはモリエールやベルターチの作品を元に自らもオペラ向きに改編を加えて、登場人物の性格をより分かりやすいものにしているのは、モーツァルト自身の助言があったのであろうと信じられている。プラハ市民は現在でもこのオペラはモーツァルトがプラハ市民のために書いたオペラであることに誇りと伝統を保っており、初演当時の形で上演することに拘って来た歴史がある。プラハでの初演の後にウィーンでは幾らかの小改訂が行われているので、初演の「プラハ版」と「ウィーン版」とニ種類あることになる。私達の記念すべき1985年の6月15日に東京文化会館で上演された、プラハ国立歌劇場の初の来日公演ではモーツァルトの初演のままに伝統ある「プラハ版」の素晴らしい演出を披露してくれました。ウィーンと比べてすこし地味ではあるが、総合すると芸術的平均値は高く、決してウィーンに優るとも劣らない熱演であります。
プラハ国立歌劇場管弦楽団の責任者で指揮者のズデニェク・コシュラーが率いる初の来日公演の出演者は、ドン・ジョヴァンニにパウェル・ホラーチェク、その召使レポレルロにルジェク・ヴェレ、騎士長の娘ドンナ・アンナにエヴァ・ジェポルトヴァー、その許婚者ドン・オッターヴィオにミロスラフ・コップ、昔ドン・ジョヴァンニに捨てられた妻ドンナ・エルヴィーラにダニエラ・シォウノヴァー・ブロウコヴァー、騎士長にカレル・プルーシャ、村娘ツェルリーナにイジナ・マルコヴァー、その許婚者マゼットにボフスラフ・マルシーク、演出はヴァーツラフ・カシュリーク、衣装と美術はヨセフ・スウォボダ、プラハ国立歌劇場合唱団とバレー団の皆さんでした。もう一つの演目はスメタナの「売られた花嫁」でありましたが、こちらには記録がありません。
物語は貴族で騎士のドン・ジョヴァンニの強引で飽くことの無い女遍歴の話で、召使のレポレルロを従えて昼夜の別なく階級の別なく、ちょっと良い女を見つけると押しかけたり騙したりして一度手に入れると、直ぐに飽いてしまい捨て去り顧みないで次の女に熱を入れるという他愛もない物語であるが、当時の時代背景から考察すると結局は勧善懲悪的なまた、宗教的にはどんな悪者でも「
最後に悔い改めれば神は許す」という教訓的な要素も内包している。しかし、ドン・ジョヴァンニは悔い改めるのを最後まで拒んだので、自分が殺した騎士長の石像に地獄へ連れ去られるという筋書きであります。第一幕では幕が開くと召使リポレルロが、「夜も昼も休む間もなく」を歌う。レポレルロを見張りに立て、ドン・ジョヴァンニが騎士長の娘ドンナ・アンナの部屋に忍び込んだが、ドンナ・アンナに抵抗されて思いを遂げられなかった上に、閉まっている門まで追い詰められて逃げようとしているところへ、父親の騎士長が駆けつけて決闘となり騎士長は簡単に刺されて死んでしまう。そこへ取って返したドンナ・アンナと許婚者のドン・オッターヴィオが駆けつけたが、時既に遅しで、騎士長は息絶えていた。アンナは悲しんでオッターヴィオと必ず犯人を捕らえて復讐すると剣に誓う。
夜明け近くになると、昔三日で捨てられた妻ドンナ・エルヴィーラが登場して、「あのひどいひとは何処に」を歌いまだドン・ジョヴァンニに未練があるらしい。ドン・ジョヴァンニは逃げ出してしまうが、レポレルロが有名な「カタログの歌」を歌いながら、旦那の行状を愉快に並べ上げて退場する。そこで、エルヴィーラもまた復讐を誓う。次の第7場では今夜婚礼を挙げる村娘ツェルリーナとマゼットが村人たちと登場、マゼットがレポレルロと退場している間に、ドン・ジョヴァンニはツェルリーナを誘惑しようと口説きにかかり、二重唱「
手をとりあって」を二人で歌って、ツェルリーナを自分の館に連れ込もうとすると、またドンナ・エルヴィーラが現れて、「さあ、この裏切り者を避けて」を歌い怒りを爆発させ、ツェルリーナを救って退場。第11場ではドンナ・アンナとドン・オッターヴィオが登場して、騎士長殺しの張本人とは知らずに復讐への協力をドン・ジョヴァンニに求めると、またまたドンナ・エルヴィーラが現れて「あの男を信用してはならない」と二人に告げる。形勢不利となったドン・ジョヴァンニはエルヴィーラを指して「あの娘は頭がおかしい」と言い逃れるが、四重唱「あの男に用心しなさい」の後、ドンナ・アンナはドン・ジョヴァンニの退場を見送った時に、あの夜の犯人の声がドン・ジョヴァンニであることに気づいて、「さあ、あなたにもお分かりでしょう」を歌って復讐の誓を新たにする。
第15場では、難を逃れたドン・ジョヴァンニはレポレルロと合流し、有名な「
みんな楽しくお酒を飲んで」(シャンパンのアリア)を歌う。続く第16場からはドン・ジョヴァンニが村人達全員を俄かな舞踏会に招く場面となる。ツェルリーナとマゼットが喧嘩をしているとドン・ジョバンニが言葉巧みに付け入り、ツェルリーナを誘い込もうとするが、覆面を付けたドンナ・アンア、ドン・オッターヴィオとドンナ・エルヴィーラが登場し、共通の敵ドン・ジョヴァンニに復讐することを改めて確認して「仮面の三重唱」を歌う。第20場では舞踏会が始まりレポレルロにマゼットを任せ、ドン・ジョヴァンニはツェルリーナと踊り始めて、遂に奥に連れ込む。ツェルリーナの悲鳴を聞いて、仮面の三人がレポレルロを犯人に仕立てて逃げようとするドン・ジョヴァンニに詰め寄り、「お前の悪事は知れ渡った」と言い渡すがドン・ジョヴァンニは剣を抜いて何とか逃げ去る。
第二幕第一場は、こんなこと位では悔い改めないドン・ジョヴァンニは嫌がるレポレルロに金貨を与えて従う様に命令する。今度はドンナ・エルヴィーラの女中に手を出そうというのである。レポレルロに自分の帽子とマントを着せ剣を持たせて、ドン・ジョヴァンニに変装させ自分はレポレルロに成りすます。窓の下でドン・ジョヴァンニがすこし悔い改めるかの如き芝居をすると、ドンナ・エルヴィーラはレポレルロをドン・ジョヴァンニと思い込んで二人で腕を組んで去る。その後にレポレルロに扮したドン・ジョヴァンニがマンドリンを弾きながら窓の下で「
窓辺に出でよ」を歌って女中を誘い出そうとしていると、マゼットが村人達と武装して現れる。ドン・ジョヴァンニは変装したまま、村人達を二手に別れて追跡させ、マゼット一人残らせピストルと猟銃を奪ってマゼットを打ちのめして逃げる。そこへマゼットの悲鳴を聞きつけてツェルリーナが登場、「もうやきもちを焼かないのなら傷を治してあげる」と「恋人よ、さあこの薬で」(薬屋のアリア)を歌い自分の胸にマゼットの耳を当てさせて仲直りする。
第7場はドンナ・アンナ邸の前庭、こともあろうにドン・ジョヴァンニに変装したレポレルロとドンナ・エルヴィーラが迷い込んで来る。やっと出口を見つけた処へドンナ・アンナとドン・オッターヴィオが明かりを持つ召使達を従えて登場する。マゼットとツェルリーナも駆けつけてドン・ジョヴァンニの変装故にレポルレロは袋の鼠となる。三人に「殺してやる」と詰め寄られると、何とエルヴィーラは「赦して」と懇願する。しかし、レポレルロと分かって一同あきれるやら怒りが更に高まるが、レポレルロは遂に逃げ延びる。オッターヴィオがアリア「
恋人を慰めて」で復讐の決意を歌い上げる。四人は復讐を更に誓い合って去るが、一人残ったドンナ・エルヴィーラは「あの恩知らずは約束を破って」を歌って複雑な女心を披露する。
第11場は月夜の墓地、騎士長の石像が不気味に聳える。ここで合流したドン・ジョヴァンニとレポレルロが互いの戦果を報告しあって高笑いしていると、「
その笑いも夜明け前に消えるだろう」と地獄からか、迫力のある怖い声が朗々と聞こえる。二人は怯えるが虚勢を張るドン・ジョヴァンニは怖がるレポレルロに墓碑銘を読ませると、騎士長の復讐の意志が書かれている。粋がってドン・ジョヴァンニは石像を晩餐に招待すると、石像は「行く」と首をうなずく。第13場ではドン・ジョヴァンニの館の広間で晩餐の準備が整った。ドン・ジョヴァンニは舞台上の第二オーケストラである楽士達に演奏を命じて、一人で食事を始める。当時の流行曲のメドレーの後、あのフィガロのアリア「もう飛ぶまいぞ」の旋律が突然流れる。そのメロディーに載せて、ドン・ジョヴァンニとレポレルロが歌う。つまみ食いしているレポレルロに「口笛を吹いてみろ」と言うと「うまく出来ません。旦那さんの料理人の腕があまり上手なので、つい頂きました」などど歌っていると、またまたエルヴィーラが現れて、最後の改心を求めるがドン・ジョヴァンニは取り合わない。エルヴィーラが退場すると、突然不気味な足音がして、あの騎士長の石像が近づいて来ると、凄みのある低音で「天国の食事をする者は地上の食事をとらない」と言い、逆にドン・ジョヴァンニを晩餐に招待すると言う。「来るのか来ないのか、決心せよ」と促されてすこしためらうが、「よし、行く」とドン・ジョヴァンニが手を上げると石像の冷たい手がきつく握って離さないのであるが、今回のプラハ国立歌劇場来日公演の演出では手を握るこの仕草はなかった。「時間がない。今、悔い改めよ」と石像が迫るがドン・ジョヴァンニは「いやだ。悔い改めない」と拒む。その次の瞬間、炎と煙が大音声と共に上がり、その中へドン・ジョヴァンニが消え去る。六人が再び登場して、レポレルロの報告に一同は「天が我等に代わって復讐を遂げた」と喜ぶ。ドンナ・アンナは「私の心が安らぎを取り戻すまで、もう一年待って」とドン・オッターヴィオに告げると彼は「愛する人の希望には従う」と答える。ドンナ・エルヴィーラは「私は修道院に入って余生を送る」と歌う。ツェルリーナとマゼットは「私達はいっしょに帰って食事をしよう」と合唱、レポレルロは「わしは旅篭屋に行って良い主人を見つけよう」とそれぞれに今後の人生を目指す。そして全員が最後に六重唱で歌う。「我々善良な人間は古い昔の歌を歌おう!」 「罪深い人たちの死は同じ報いを受ける!」と。
出演者の概評では、パウェル・ホラーチェクは主人公ドン・ジョヴァンニの懲りないドン・ファン振りを十分に演じて悪役をこなした。レポレルロを演じたルジェク・ヴェレはこのやられっぱなしの
道化役をよく演じて歌唱力も確かである。ドンナ・アンナを演じたエヴァ・ジェポルトヴァーは常に憂いを持つ結婚前の娘の心情を良く歌い、父の復讐を遂げようと強い意志を見せた。最後に許婚者役のミロスラフ・コップと歌った二重唱の時に初めて微かな笑顔を見せた。いつも首を少し左に傾けて歌う姿勢が何とも魅力的である。ミロスラフ・コップは許婚者のために復讐を遂げて「あなたの夫とも父ともなりましょう」と正義の騎士を雄々しく演じてまたアリアの詠唱も素晴らしかった。ドンナ・エルヴィーラ役のダニエラ・シォウノヴァー・ブロウコヴァーは複雑な女心を巧みに歌って脇役の存在感を示したし、歌唱力は出演者中の最高であった。ツェルリーナ役のイジナ・マルコヴァーは可愛い素朴な村娘を演じて華を添えた。人の良いマゼット役のボフスラフ・マルシークは肥満体の特徴を生かしてツェルリーナに甘えたり焼いたりと好演である。ヴァーツラフ・カシュリークの演出とヨセフ・スウォボダの衣装と美術は伝統的で手を抜いておらず、古い伝統を誇るプラハの印象を良く伝えてくれた。オペラの演出が西欧では次第に抽象的な手法を用いる様になる中で、東欧では古典的なモーツァルトの時代の香りを感じさせる真面目な演出には安心感がある。第二幕第13場でフィガロの「もう飛ぶまいぞ」のメロディーが聞こえた時、東京の聴衆には反応がなかった。プラハでなら聴衆は懐かしさと嬉しさで大きな拍手が起きるに違いない。オペラの歴史の浅いわが国ではまだ聴衆のレベルを論じることは出来ないが、ウィーンとミュンヘン、ミラノ、パリ、ロンドン、ニューヨークでも聴衆の反応には微妙な差違がある。
モーツァルトの代表的なオペラ作品の一つである「ドン・ジョヴァンニ」からも多くのことを学びました。まず第一にはやはり
台本がしっかりしているということです。モーツァルトとダ・ポンテはこの他に「フィガロの結婚」と「コシ・ファン・トゥッテ」の三つのオペラを共同制作していますが、いずれも物語が単純明快であることが挙げられます。物語が複雑過ぎると観衆に理解してもらえにくいと思います。物語はモーツァルトの場合は全てハッピーエンドで終わる喜劇的要素を大切にしていることであります。この点において次の時代のヴェルディやワーグナーとの根本的な相違があります。そして音楽が明るく美しく覚えやすいということも大切な要素であります。特にアリアの明るさ、旋律の美しさが基本的条件であります。それでいて2〜3箇所には高い歌唱技術を要するコロラトゥーラをソプラノには要求しています。前奏曲と間奏曲を含めて、音楽の劇的効果を十二分に高めていることが最も重要であります。そのためアリアと前奏曲などは単独でも演奏会で歌われ演奏される程の完成度が必要であります。高度な芸術性と同時に広く行き渡らせるためには大衆性の要素も織り交ぜる必要性があります。モーツァルトの代表的なオペラ作品は全てこれらの要素を兼ね備えているが故に、200年以上経っても何ら色あせることなくオペラ芸術の最高峰永遠に位置することが出来る訳であります。モーツァルトのオペラ作品はオペラの400年の歴史の中で前期200年の時点で最高峰に到達してその後の200年においても変わることなくその位置にいることで証明されています。オペラの基本形式を完成させ、その音楽による劇的効果を高めることに成功したことにより、モーツァルトは真の意味でのオペラ音楽の完成者でもあります。本日は「ドン・ジョヴァンニ」の「プラハ版」を例にとり、モーツァルトのオペラ作品についての感想と考察をご報告申し上げました。私達もモーツァルトの時代に返って何時かはオペラの基本条件を満たす作品を一曲でも完成させたいものですね。
因みにゲーテはこの「ドン・ジョヴァンニ」を聴いて「これこそ作曲したなどというものではなく、天才の息吹に貫かれたもの」と称えたと言います。また、スタンダールは「ドン・ジョヴァンニを聴くためなら、百里の道でも歩いて行く」と述べたと言われています。ウィーン初演は1788年5月7日で、義姉のアロイジア・ランゲがドンナ・アンナを歌った。1790年にはベルリンでドイツ語版が上演された。ローマは1811年、ロンドンは1817年、ニューヨークでは1826年に初演されています。尚、モーツァルトはこのオペラを作曲中の1787年5月に偉大な父親を亡くしている。
レオポルト・モーツァルトはその子ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの先生であり、4歳から姉ナンネルと共に天才教育を始めて、6歳から全欧を廻る教育体験旅行に連れ廻っている。当時の交通事情を考えると無謀とも思える強行軍は、レオポルトがどれだけ我が子の才能を信じていたかを容易に想像できます。そしてその子は期待通りにバッハからハイドンまでの音楽を全て吸収して古典派音楽の集大成を成し遂げて、そのバトンを確実にベートーベンに渡したのであります。将にモーツァルトの前にモーツァルトなく、モーツァルトの後にモーツァルトなしと言われる所以であります。
(3 Mar 2001)

わが歌を飛び行く雁よ今宵また、北の都のひとに届けよ!

Flying bird of night bring my heart to sing for Her Princess my love !

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文献 「オペラ全集」 芸術現代社 1980

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「歌劇大事典」 音楽之友社 1962

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NHK 教育TV 1985

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