宝塚歌劇団:「ベルサイユのばら」 (2)

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Ky-077

Takarazuka Opera : "The Rose of Versailles"

村山先生、今日は。今回は宝塚歌劇団の最大のヒット作品である、「ベルサイユの薔薇」の初演の記録がNHK-BS2にて放映されました。その録画データより1990年版と比較しての感想をご報告申し上げます。1976年に宝塚大劇場にて公演された星組の舞台は戦後最大のヒット作品に相応しい規模と豪華キャストを揃えていました。まず、スタッフは池田理代子の原作を脚本化したのは、植田紳爾(演出も兼ねる)、また演出には長谷川一夫が助言している。音楽はご存知の寺田滝雄、入江薫、河崎恒夫、平尾昌晃。振付は喜多弘、岡正窮。、照明に今井直次。演奏は宝塚歌劇団オーケストラ。出演はスエーデンの貴族フェルゼンに鳳蘭、フランスのルイ16世妃マリー・アントワネットに初風じゅん、男装の麗人オスカルに汀夏子、オスカルの夫になるアンドレに但馬久美、ベルナールの妻ロザリーに衣通月子、マリーの後見人メルシー伯爵に美吉左久子、革命政府の典獄ベルナールに浦路夏子、アランに緑原なおき、ヨーゼフ2世に安里梢、ヨーゼフ2世妃に千雅ゆり、ルイ16世の弟プロヴァンス伯爵に湊ゆり、ロザリーの異母姉ジャンヌに四季乃花恵、プロローグで歌う小公子に峰さを理、オスカルの乳母マロン・グラッセに県英巳、王軍のブイエ将軍に碧美沙、ジェローデル少佐に三代まさる、ルイ16世に椿友里、オスカルを慕うモンゼット侯爵夫人に水野葉子、フェルゼンの母ベザンパール公爵夫人に淡路通子、フェルゼンを慕うランベスク公爵夫人に水代玉藻、カロンヌ子爵夫人に木花咲耶、フェルゼンの許婚者マリーヤに玉梓真紀、フェルゼンの妹ソフィアに奈緒ひろき、ダグー少佐に千本たかし、マリーの長男ルイ・シャルルに桐生のほる、長女マリー・テレーズに紫城いずみ、女官長ジョセフィーヌに朝みち子、ドルーエに龍悦代、歌う貴婦人に大空美鳥、侍従長に加寿賀きよし等の宝塚歌劇団星組の皆さん。この公演の最中に観客動員数百万人を突破した。
初演の物語はフルサイズの展開なので上演時間は丁度2時間30分を要します。
第一部「薔薇のなみだ」の<プロローグ>小公子達による歌と踊りが展開します。峰さを理が歌っています。「ごらんなさい、ベルサイユのばら〜」に続いてテーマ曲、「愛それは甘く、愛それは強く〜」をオスカル、フェルゼン、マリーの主役三人が順番にまた三重唱で歌いコーラスが続く。<第一場・仮装舞踏会>正装のマリーがテーマ曲、「青きドナウの岸辺に生まれた一粒の種、セーヌの岸辺に咲く美しい薔薇の面影、何時までも何時までも変ることなし」を歌う。アラビア風の踊りと歌が舞台一面に展開する。仮装舞踏会で誰にも相手にされないフェルゼンにマリーが手を差し伸べる。一曲踊り終わった処へ男装の麗人オスカルが登場し、フェルゼンの非礼を責めて平手打ちする。オスカルからその踊りの相手がマリー・アントワネットその人であることを知らされびっくりするが、マリーの美しさに心奪われる。オスカルは手荒な挨拶を詫びるが、フェルゼンがひざまづいてオスカルにあやまると、オスカルもまたフェルゼンのいさぎよい男振りに心引かれる。三人の重唱、「叶わぬ恋とは知りながら、恋にやつれ恋を恋してあなたを信じたい、愛がほしい、とこしへの強い強い愛が欲しいのよ、何時かは悲しい分かれと知れども」がこの、物語を暗示する。<第二場・革命の三色旗>メルシーとプロヴァンス伯爵がフランス革命の勃発を報告に来る。<第三場・王宮の庭園>フェルゼンとオスカルが登場。オスカルはフェルゼンに王妃のために帰国を勧める。マリーが登場してオスカルに「フェルゼンは返しません」と言い渡す。続いてアンドレが登場、「よく言ったな」と励ます。オスカルが歌う、「私は愛の巡礼、私は愛の巡礼、見知らぬ国をただ一人、愛を求めて今日もさまよう、何処までも何処までも果てない国を、私の求める愛は何処、私の求める愛は何、偽りの姿でいても、この胸の女心を誰が知る」。マロン・グラッセ、ロザリー、ベルナールが登場してパリの様子をオスカルに報告する。オスカルはフランスの将来を憂える。<第四場・運河>運河に浮かぶ舟の中で、マリーとフェルゼンは二人だけの時間を惜しむ。美しい二重唱、「人には終わりがある様に、花さえ何時かは散って行く、人には別れがある様に、花さえ何時かは散って行く〜」。二人の対話の後、再びテーマ曲の二重唱。「愛それは悲しく、愛それは切なく、愛それは苦しく、愛それは儚く、愛、愛、愛」。テーマ曲に合わせてダンスが展開。<第五場・王の部屋>フェルゼンが国王に帰国の挨拶に来る。メルシーとプロヴァンスも同席している。王は「王妃が悲しむぞ」と引き留めるが、帰国の決意は固い。弟のプロヴァンスに責められて王は、「フェルゼンは良い男だ、女なら誰でも心を寄せるさ」と言うのをマリーは蔭で聞いていた。マリーは過去を捨ててブルボン王朝を守る決意をするが、メルシーは、「遅過ぎました」と嘆く。マリー、「フェルゼン、さようなら、さようなら〜女心の悲しさは、愛に怯え愛を求め、あなたにすがりたい、愛が欲しい、とこしへの強い強い愛が欲しいのよ、何時かは別れの恋とは知れども、私は一人で生きては行けない」と。<第六場・庭園>貴婦人達がオスカルの噂をしている。オスカルが衛兵隊に転任したと騒いでいる。アンドレが登場、「ブロンドの髪ひるがえす、ペガサスの翼にも似て、わが心振るわせ、ああ忘れじの君、天に呼べど、君は答えず」と歌う。ジェローデル少佐が登場、アンドレに目が見えないのにどうしてオスカルを守れるのかと糾すと、アンドレはオスカルへの熱い思いを語り、ジェローデルを納得させる。そのオスカルが登場して、アンドレに「そんなに私が好きか?」と聞くと、アンドレは「命を懸けた言葉をもう一度言えというのか」と。オスカル、「そんなに私を愛しているなら、男なら私を抱け」と言い、二人はパリ決戦を前に愛を確かめ合う。オスカルとアンドレの二重唱のテーマ曲、「愛それは甘く、愛それは強く、愛それ貴く、愛それは気高く、愛、愛、愛!」。<第七場>ロザリーとベルナールがパリは危険なので、オスカルに来ないように連絡しようと相談しているとパリでの戦闘が始まる。<第八場・パリ市内>オスカルはブイエ将軍の命令に従わず、史実の通り革命軍の側に造反することを宣言する。ベルサイユの方角に向って、「王妃様、お許し下さい。あんなに信頼を頂きながら、王妃様を裏切る結果となりましたが、フランスのためにこの命を捧げます。父上、このオスカルの親不孝をお許し下さい。さらば、諸々の古きくびきよ、さらば、二度と帰らぬ私の青春よ!」と絶叫する。戦闘が始まると、間もなくアンドレが倒れる。アンドレは「ブロンドの髪ひるがえす〜」と歌いながら息を引き取る。コンバット・マーチに載せて激しい戦闘が続いて、遂にオスカルも倒れる。隊員が、「隊長、バスティーユに白旗が〜!」と叫んで報告、オスカルはフランス国歌が流れる中、「とうとう、落ちたか〜フランス、万歳!」とつぶやいて果てる。こうして、戦闘が終わったら結婚を約束していた幼馴染のカップルの夢も革命の嵐に消えた。<第九場・王宮の廊下>メルシーと慌てて逃げ出そうとする貴婦人達が言い争っている。やがて二人の貴婦人を残して、「オーストリアの犬は飼い主に忠実なのね」と捨て台詞を残して他の全員が去る。<第十場・宮殿大広間>メルシー、ジェローデル、ブイエ将軍等が徹底抗戦を話し合っていると、革命軍が既に宮殿にも押し寄せて来る。国王は、「将軍、私達はパリへ行こう」と決断する。マリーも子供達を両側に抱いて、「さあ、この人達と一緒にパリへ行きましょう。全ての責任は私が取ります。マリー・アントワネットはフランスの女王なのですから!」と言い終わると第一部が終わる。
第二部は「別れの紅薔薇」の<プロローグ>小公子達の歌と踊り、テーマ曲、「人には終わりがある様に〜」を歌う。小公子役の峰さを理は歌唱力がある。フェルゼン、「人には終わりがある様に、花さえ何時かは散って行く、人には愛がある様に、花さえ何時かは散って行く、別れがこの世の定めなら、咲いた花なら散る様に、後には別れが待っている」とテーマ曲を歌ってこの物語の結末を暗示する。<第一場・シェーンブルン城>モーツァルト最晩年の1791年5月との設定である。フェルゼンがマリーの兄、ヨーゼフ2世を訪問、仏国王一家の助命嘆願をお願いするも、ヨーゼフ2世は「個人の犠牲は国家間の問題ではつきものだ」と取り合わない。<第二場・スエーデン>ジェローデルとフランスへ行こうとするフェルゼンを妹ソフィアと婚約者マリーアが止めようとしていると、フェルゼンの母親が理解を示して皆を説得してフェルゼンを涙ながらに送り出す。<第三場・馬車>フェルゼンは馬車を走らせてフランスに急行する歌、「かけろ、かけろ大空を行く、ペガサスの如くかけて行け、風を切り、雲を切り、遥かな遠くへ、行く手に悩み多くとも、行け、行け、行けフェルゼン、風を切り、雲を切り、遥かなとつ国へ、行く手に悩み多くとも、行け、行け、わが命の続く限り!」。<第四場・チュイルリー宮殿>マリーの二人の幼い王太子と王女が歌う、「こまどりが鳴いている、さみしそうに、悲しげに、どうしてそんなに悲しいの? どうしてそんなにさみしいの? 親がいないのか、お家がないのか、それともお腹がひもじいのか?」と無邪気に歌っている。マリーと国王も初めて家族で一緒に過ごせる喜びを感じている。モンゼット侯爵夫人が王子達をを散歩に連れて行くと、ベルナールが一人で来て、「この革命は失敗でした。貴族同志の権力争いでしかない。こんなことでブルボン王朝が亡んではなりません」と極秘に国外脱出の計画を打ち明けると、マリーと相談の結果国王も同意した。ロザリーが蔭で聞いていて、「フェルゼン様が来るのですか?」と聞いてもベルナールは答えない。<第五場・城外>フェルゼンとベルナールとジェローデルが極秘の計画の実行を、明朝6時にヴァレンヌの森を出発と決めた。皆が解散した後、ロザリーがフェルゼンに会い、ベルナールからの連絡で国王と革命委員との会談が延びているので、朝8時に変更して欲しいと告げる。フェルゼンは困惑しながらもロザリーの言を信用してしまう。<第六場・ヴァレンヌの森>明朝6時になってもフェルゼンが来ないため、ベルナールとジェローデルは焦って来る。既に国王一家は変装して馬車に乗っている。7時になってもフェルゼンは来ない。ベルナールが様子を見に行っている間に、革命派の密偵ドルーエが現れて、変装のマリーを見抜いてしまう。そこへジャンヌが現れて、マリーに恨み辛みを吐き出して高笑いする。こうして国王一家の脱出計画は失敗した。マリーは国王と王子達とも離されて、パリに連れ戻される。これが国王と子供達との最後の別れであった。その後8時前にフェルゼンが到着するが、既に時遅しである。ベルナールも戻って来て、「何故遅れた?」と抗議されて初めて謀略と気付く。ロザリーが泣き崩れて、「王妃様の名誉を守るために、私がフェルゼン様に8時と申し上げました」と自白する。ベルナールも激怒するが後の祭りであった。フェルゼンは嘆き悲しんで歌う。「人には終わりがある様に、花さえ何時かは散って行く、人には別れがある様に、花さえ何時かは散って行く、別れがこの世の定めなら、せめて今だけ愛に生きよう、束の間だけになお強く、咲いた花なら散る様に、後には別れが待っている」と舞台はいよいよ大詰に向う。<第七場・牢獄>マリーが一人暗い牢獄の片隅に座っている。ロザリーが夕食を運ん来るが、マリーは食べようとはしない。ベルナールの勧めで、一口だけスープを飲み二人に感謝する。ベルナールは最後の面会人を告げる。それはメルシー伯爵であった。あのステファン人形を返しに来たと言う。マリーは、「最後にあなたに会えて良かった。もう思い残すことは何もありません。メルシー伯爵、お別れです」と言うと、メルシーはマリーの着物の裾を掴んで、今生の別れを言いたくとも言葉が出ない。「身体だけはお大切に!」と労わるマリーの言葉に背を向けたまま、言葉の無い慟哭と共に退出した。この場での美吉左久子の迫真の演技はベテランならではのものである。1990年版の深山しのぶは、「王妃様!」と言って出たが、言葉を発しない美吉左久子の方が何枚も上であった。恐らく台本にある台詞を美吉は言えなかったのであろう。メルシーを見送った後、マリーはステファン人形を抱いて、「もう全ては終わったわ。後は立派に死ぬことだけ、死ぬことだけね」と人形に語りかけていると、突然に、「王妃様!」と聞きなれた声がする。マリーは反射的に、「フェルゼン!」と答えて振り返ると、何とフェルゼンが立っている。「私は夢を見ているのでしょうか?」というマリーに、「夢ではありません。王妃様、お迎えに来ました。命に代えても国外にお連れします」とフェルゼンが答える。しかし、正気を取り戻したマリーは、命懸けのフェルゼンの行為を感謝しつつも、「最後だけはフランスの女王として立派に死なせて下さい!」と懇願して、ベルナールの最後の呼び出しを受ける。マリーは物陰に隠れているフェルゼンに、「ベルナール、あなたのご親切には心から感謝しております」と礼を伝える。全てを理解しているベルナールは、「カフェー未亡人!」と呼び、マリーは弱く、「はい」と答える。マリーの後を追おうとするフェルゼンをロザリーが必死に止めて、「あれがフランス女王の最後なのですから〜!」と叫ぶ。マリーは、断頭台の階段から、「さようなら、ベルサイユ! さようなら、パリ! さようなら、フランス!」と叫んで登って行く。フェルゼンは「王妃様〜!」と絶叫して、最後に歌うテーマ曲、「愛それは悲しく、愛それは切なく、愛それは貴く、愛それは儚く、愛、愛、愛、!」を涙ながらに絶唱して締めくくる。<オールキャスト・ダンシング・フィナーレ>宝塚恒例の華々しい歌と踊りのメドレーで盛り上げる。悲劇的な結末であっても、からっと明るいのはこの様な舞台設計のためであろうか。オペラの伝統からは程遠いショウビジネスを感じてしまう。
この1976年の星組の舞台は豪華絢爛の一語に尽きる。何と言っても戦後の宝塚最大のスターである、鳳蘭の存在は大きく群を抜いている。オスカル役の汀夏子の熱演も光る。引退直前のマリー役の初風じゅんも好演したと言える。国王の椿友里もよく助演した。ベルナール役の浦路夏子の好演には光るものがある。メルシー伯爵を演じた美吉左久子に私は
最優秀助演賞を差し上げたい。1990年版の深山しのぶ始め、14年後の後輩達がこの1976年版の記録をよく研究していることが、舞台を通じて確認された。宝塚歌劇団では1976年版をその後の「ベルばら」公演の鏡としていることが良く理解出来る。演出は1970年代という時代感覚もあろうが、古き良き時代の長閑さを感じる。1990年版では、この原典の無駄な部分を削って30分短縮して、演出も無駄のない鋭敏さがある。鳳蘭の存在の故に総合評価では、1976年版が1990年版を上回ったが、鳳蘭が居なければ1990年版の方に評価が高くなる。日向薫も先輩の演技をよく研究したと思われるが、鳳蘭を凌ぐことは他の誰でも難しかろう。本来の主役のオスカルの役では、1990年版の大輝ゆうは1976年版の汀夏子に優るとも劣らない。それは大輝ゆうには、これぞ宝塚という眩いばかりの華やかさを感じさせるからである。大輝ゆうは最高のオスカルであると記録されるであろう。音楽は変らないが演奏は1990年版の方が水準は上がっている。舞台の細やかなテンポをフォロー出来ているからである。長谷川一夫の演出は主に鳳蘭に向けられていたのであろう。他の配役には宝塚らしくない演技は見られない。マリー役の比較では、1990年版の毬藻えりは先輩の初風じゅんの舞台を良く研究していて好演と言える。最後の牢獄の場面での台詞は毬藻えりの方がテンポに乗っていた。平尾昌晃氏の関与する音楽がどの部分かは分析出来なかった。振付にはあまり誇張されたところもなく無難と思われる。照明も多少のテンポの遅れはあったが、あれだけの照明をコントロールするのは大仕事である。その他には、昔のマイクはあんなに大きかったのかと懐かしさを覚えた。踊りは宝塚の看板であるが、1990年版の方がテンポよく揃っているのは時代の趨勢であろうか。台本ではダグー少佐やアランという役が何者か不明であり、ジャンヌも唐突に出て来て前歴が省略されている等の不備が目立ったが、慌しい準備で時間が足りなかったのであろうか。新旧の「ベルばら」の舞台を見て感じることは、前例を踏襲するだけでなく、毎回新しい企画と演出をして欲しいと願いたい。そうでなければ歌舞伎の様に形だけの継承に陥り、新しい作品が生まれなくなるからである。この事はオペラにも当てはまる。1952年の「夕鶴」を最後に、新しい歴史的作品は世界で生まれていない。

華麗なる乙女の歌は眩ゆくも、歌い継ぎて世界を廻れ!

Brilliant show by Japanese girl singers with dance go around the world stages !

English

11 Feb 2002

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NHK BS-2 Feb 2002 ・ Takarazuka Opera Group's HP

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